第8話

 スイレンの街は南北に細長く、東西はどちらも海だ。

 南門から南下すること約一時間半。アズライトは都合が良さそうな大木を見つけると、そこを目指して馬車を街道から逸らした。


「ショウさん、あの木の陰で荷台を入れ替えましょう。この子の休憩にもいいタイミングです」

「ああ」


 御者台の隣に座っていた正一郎は「いよいよか」と子どものように笑っている。

 目当ての場所に辿り着くと、貸馬車屋から指導された手順に従って馬の綱を荷台から木の幹に付け替えていく。

 そこに、借りた荷台を収納空間にしまい、正一郎が丹精込めて改造した荷台を出し終えたアズライトが、大きなバケツを持って近付いた。


「お水、いま用意するからね」


 鼻の頭を撫でてやりながら声を掛けると、高くいななく。

 嬉しそうだ。

 バケツに水魔法でたっぷりと水を注いでやれば、美味しそうに飲み始めた。


「30分くらい休憩してから移動再開なので、その間に荷台の確認をお願いします」

「おう」


 意気揚々と荷台に向かう正一郎を微笑ましく見送った後は、収納空間から貸馬車屋で購入した干し草を少しだけ与える。

 出発前に食事しているので、次は夕方ごろにしっかり与えてほしいと言われているが、休憩時のおやつも大事だそうだ。市場で買ったリンゴや、自分が育てたニンジンなどの野菜も、収納空間に入れてある。

 リンゴやニンジンは、馬の好物である甘味に該当すると聞いて驚いたが、アズライトも正一郎のおかげで甘味に目がなくなって来た今日この頃だ。仲間が出来たようで嬉しかった。


「名前はロロだって聞いたよ。これからしばらくお世話になるね。よろしく、ロロ」


 言うと、アズライトの気持ちに応えるように鼻面を摺り寄せて来た。

 可愛い。

 それから、草原の草を食み始めたロロに笑んで、荷台の確認をしている正一郎の側に戻った。

 すると、それに気付いた正一郎が御者台を指差した。


「座席用のクッションも二つ出しておいてくれ」

「はい、……二つともですか?」

「そりゃそうだろ。旅してんだぞ?」


 怪訝そうに言い返す正一郎と、驚いたように目を瞠るアズライト。


「おまえ、まさか御者は交代制にして移動を一人淋しいものにするつもりか?」

「え、だって、せっかく荷台を居心地よく改造したのに」

「それとこれとは別。馬の休憩だってしっかり取らないといけないんだし、これを堪能する時間はたっぷりあるだろ」

「それは、確かにそうなんですけど……」

「言っとくが、嫌がっても俺は隣に座るからな。俺が御者する時もおまえは横。異論は認めん。この旅、俺はおまえと楽しむって決めているからな」

「……楽しむ、ですか」

「そ。俺の我儘だが、呼び出したのはおまえだ。観念して付き合え」


 アズライトは目を瞬かせた。

 観念という言葉に感じた違和感は何だろう。

 楽しむと言われて、そわっとしてしまったのは……?


「……旅は初めてなので、楽しみ方なんて判りませんよ……?」

「だから俺がいるんだろ」

「仕事が忙しくて自分も初めてだって言ってませんでしたか?」

「ん、経験はないな。しかもアウトドアに限定したらガキの頃に家族でキャンプしたくらいだ。だが、きっと何とかなる!」


 ニッ、と。

 荷台の改造を任せろと言い出した時の、不安を煽ってくる笑顔とサムズアップ。しかし同時に隠しようもなくわくわくしてしまった。

 それに気付かれたくなくて、わざと嫌味っぽいことを言ってしまう。


「……お願いですから自重を忘れないでくださいね」

「おうっ。ほどほどにするさ」


 全く信用できない返答だった。



 馬に荷台を引いてもらいながらの旅は、基本的に馬中心だ。

 正一郎が遠慮なく荷台をくつろぎスペースに改装してしまえたのは、馬の飲食に関しては全てアズライトの魔法でどうにかしてしまえることから、積載量を気にせずに済んだのが大きい。

 約2時間ごとに休憩し、朝と夕方にはしっかりと食事休憩。

 水分、食事、そして休憩をきちんと取っていれば睡眠時間は4時間程度で良いと言うし、夜間の走行も問題ないと言われているが、アズライトと正一郎は、急ぐ旅ではない。

 予定としては30日目にスイレンの街に戻り、山小屋から正一郎を日本に帰還させるつもりだが、扉が移動できると判明したことで、日数の縛りはかなり緩んだと言える。

 アズライトが望むなら帝都での滞在日数を伸ばし、彼が図書館に籠っている間に正一郎が地球に戻って仕事をして来たって良いのだ。

 そんな理由で、のんびり旅が始まったとはいえ、当初の目的を忘れる事はない。


「帝都に着いたら、まずは50年前に召喚された勇者達の所在を確認したいと思うんですが、構いませんか?」

「理由は?」

「勇者なら魔王封印の石碑に近づけるんじゃないかなと思うんです。様子見に同行させてもらうとか……同郷のショウさんになら説得が可能かもって考えているんで、そこはお願い……ううん、丸投げしちゃう可能性もあるんですが」

「それは構わんが、同行を頼むのは今回召喚された勇者じゃダメなのか? 50年前の勇者が亡くなったから新しい勇者が召喚されたのかもしれないし」

「その割には、50年前の勇者が亡くなった話も、新しい勇者が召喚されたって噂も聞こえてこないんです」

「……どういうことだ?」

「つまり……俺は、精霊達が消えてしまったので『勇者召喚』が行われたって推測しましたし、精霊王達の言葉を思い出してみても、やっぱり事実だって確信があるんですけど、他の人達にその変化は判りません」

「ふむ」

「国は『勇者召喚』を行ったのであれば、悪魔への新たな戦力が加わったと大々的に告知するはずなんです。国民が欲しいのは安心で、国が欲しいのは求心力ですから」


 そこまで一息に告げて、アズライトは声を落とす。


「あの日から2ヵ月以上経ってもそういった話題がスイレンの街まで流れて来ないって言うのは、さすがに妙なんです。あそこは、悪魔族が暮らす魔界に繋がる場所だと思われているレガーテ平原の密林に対する最前線の防衛ラインなんですから」

「なるほどな」

「穏健な理由としては、50年前の勇者が高齢で引退したいけど、今回の勇者がまだ国の求める戦力に達していないので国民に周知は出来ないとかなんですけど」


 アズライトの予測に正一郎はなるほどと頷く。


「50年前の勇者ってことは、もう70近いってことだもんな。そりゃ高齢を理由にするには充分か」

「はい」

「ちなみに何人召喚されたとかって、判るか?」

「当時の資料……ほとんどは祖父母が遺したものですが、それを読んだ限りは4人です。男性3人、女性1人だったって」

「名前は?」

「そこまでは……すみません。あ、でも帝都の図書館で調べられれば、きっと判ると思います」

「ん。なら、帝都に着いたらまずは図書館に行って、名前を確認してから本人捜索って感じか」

「はい」


 一先ずの予定が決まり、ほっとする。

 そして今日4度目の休憩になる5時過ぎ、太陽が西に沈んでいくのを見ながら野営に良さそうな場所を選ぶ。

 水分に困る事は無いので、万が一の際に馬と荷台を庇いながら戦いやすい場所がいい。


「あの森の手前はどうだ?」

「いいと思います。今日はあそこにしましょう」


 以前にも誰かが野営に使ったらしく、焚火の跡らしい焦げ目が地面についている。

 アズライトが馬のロロに、水と、たっぷりの食事をあげている間に、正一郎は食事の準備だ。

 アズライトが収納空間から出しておいてくれた焚火台、椅子、テーブル、ランタンを並べ、深さ20センチくらいの鍋に、アズライトが育てた野菜を一口大に切って入れていく。肉はあちらで購入して来た豚肉だ。

 というより、野菜以外は全て日本で購入して来たものなので、異世界なのにまったくそんな感じがしない。あえてそれっぽさを出すとすれば、箱に『楽に火がつく! 着火剤要らず!』と大きく書かれた炭に、火魔法で着火してもらう、とかだろうか。マッチももちろん持参しているのだが。

 焚火台と合わせて、キャンプ初心者へのおススメ商品である。

 野菜と肉を切り終わったら、焚火台の上に網を置き、その上に鍋を置く。

 油で野菜をいため、良い焼き色が付いたところで水筒に入れておいた水を注ぐ。

 手際よく調理していると、アズライトも側に来る。


「ロロのお世話は無事に終わりました。お手伝い出来る事はありますか?」

「あー、じゃあ包丁とまな板を洗ってもらって良いか? 生肉切ったんで、丁寧にな」

「はい」


 返事があったと思った途端にアズライトの魔術が発動し、包丁とまな板が綺麗になる。

 包丁など、比喩でなくきらりと輝いて見えた。


「……なに、いまの」

「水と火、風魔法を合わせて組み上げた洗浄魔法です。夏場は特に、口に入れるものに使う調理器具や食器には気を付けなさいと、祖母が開発して、教えてくれました」

「へぇ……っていうか、家で使った事ないよな?」

「夏じゃないですし、家では、食器一つ、家の掃除一つ、ありがとうって気持ちを込めて綺麗にしなさいと教えられたので、自分でします」


 正一郎は驚いた。

 食中毒と思しき概念がある事もそうだが、その後の話は、まるで八百万の神々を意識しているようだと感じたからだ。

『異世界召喚』が日本人を対象に行われているようだから、そういった考え方がこちらに伝えられるのは、思うほど驚くべきことではないのかもしれない。

 そもそも、それが此方の常識だという可能性もあるだろう。


「他にもありませんか?」

「っ、ああ、じゃあカレーのルー……その箱の、この一列だけ、パキッって折れるから、包丁で刻んでくれるか。それ以外はそっちの、チャックが付いた透明の袋に入れておいてくれ」

「はい」


 考えすぎるのは良くないと自身に言い聞かせる正一郎と、そんな彼の様子にまるで気付かないアズライトは、馬のロロには頑張ってくれたお礼にリンゴをあげたとか、天気が良くて街道の状態も良かったおかげで予定以上の距離を進めただとか、当たり障りのない会話でいつもの雰囲気に戻っていく。

 15分ほど水で煮込んだ野菜を火から下ろして、細かく刻んだルーを入れて混ぜる。

 途端。


「うわぁ……っ」


 アズライトが思わずといった様子で感動の声を上げた。

 正一郎にも気持ちが判る。

 カレーの匂いは空っぽのお腹を刺激してたまらない。

 鍋をもう一度火にかけて、軽く煮込んだら完成だ。

 正一郎は既製品のナンを袋から出すと、先ほどまで鍋があった焼き網の上に置いて炙り始める。

 アズライトは家でも使っていた木製の皿を用意し、二枚の深皿にカレーをよそう。大いに期待しているらしく、目が輝いていた。

 その、あまりにも素直な子供っぽい様子に、正一郎は微笑った。


「さぁ食うか」

「はい!」

「「いただきます」」


 帝都までの旅一日目の夕食は、ナンとカレー。

 アズライトもとても気に入ったようだ。

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