第7話
アズライトが精霊王の助力を得て異世界から織部正一郎を召喚した日から約二カ月余り。
彼の周囲では色々な変化があった。
都会での一人暮らし、家には寝に帰るだけだと話した正一郎は、仕事から帰ると此方に来て、3日間くらい泊まっていく。アズライトが寝てしまってから来た場合は、彼もこちらで就寝し、朝に再会するという流れだ。
山の中という環境が気に入ったそうで、本人曰く、
「週休2日どころか週に2日しか仕事してない。しかもリゾート地に別荘を持った気分。贅沢が過ぎる」だそうだ。
もちろん此方に来て遊んでばかりいるはずもなく、通信具の開発は無事に完成した。
最初は難航したが、絶対に必要な機能が、正一郎の世界に置いてある通信具に着信があった場合のみ伝わること、この一点のみに絞られれば、勇者が欲したと言われる通信具に比べて構造は単純だ。
となると、問題は魔石の代わりに通信具同士をつなぐもの。
あちらからはこちらに持ち込めても、こちらからあちらには持ち込めない。にも関わらず魔力の触媒となる魔石の代わりになるものがあちらの世界にはないのだ。
散々悩んで、失敗も繰り返した後で思いついたのが双方の世界を混ぜる方法。
正一郎も最初は驚いていたのだが、魔術師であるアズライトには割と馴染んだもので、つまり、二人の血液を混ぜて凝固させたのだ。
血液は生物の生命活動を維持するために不可欠な体液であり、こちらの世界にとっての魔力そのもの。そこに異世界の血液を混ぜればどうなるか……、最適な比率を弾き出すまで1週間以上掛かったものの、二つの世界を行き来できて魔力を込められる石を創り出す事に成功した。
途中から、石を作ると言う目的を忘れて研究そのものを楽しんでいた感は否めないが、結果として成功したのだから問題ない、はずである。
その後、あちらから実験器具を持ち込んだ正一郎がアズライトの血液を調べたいと言い出したのは、ともかくとして。
そんなこんなで、さらに2週間を掛けて血を固めた石――
閉じた扉の隙間を通り抜けられるように、とにかく細く、細く、だけれど強く。
傍で正一郎が見守っていなければ、途中で確実に魔力枯渇、はたまた脱水で倒れていたと断言できるほどの長時間、アズライトは集中し続けた。
扉を閉じても通じるかの実験で、こちらも2度ほど失敗したが、最終的に完成した。
正一郎がこちらの世界にいる間、彼のスマホは彼の世界で、双血石の片割れを組み込んだ魔法陣の中に置かれている。着信があれば、もう一つの片割れを組み込んで作った腕輪が振動して知らせてくれる。その腕輪は、腕時計の代わりに正一郎の手首に巻かれている。
「メールでも鳴るのが面倒だが、まぁ長さで判るな」と本人も納得の結果だ。
この通信具が二人の共同作業なら、正一郎があちらに戻っている間にアズライトが個人で頑張ったのは、部屋の片付けだ。
見た目を取り繕うためだけに自室に詰め込んだ大量の物品を片付け、次いで祖父母の遺品も整理した。研究用の机や調合窯なんかは既に見られているので、居間にそのまま置き、使えるものはそれぞれのエリアに棚を移動して纏めていった。
居間に荷物が増えて窮屈になったが仕方ない。
遺品庫に棚ごと放置しておく方が勿体ないと判断せざるを得なかったのだ。
もう読み終えたと思っていた本。
使わないと思っていた素材。
正一郎と話していると、自分の興味が意外に広い範囲に及んでいる事に気付いた。今までは魔王封印の魔法陣の解析にしか時間を割けないと考えていたけれど、実はそうではないのかもしれない。
使えるものを使う場所の近くに纏めた結果、祖父母の遺品庫だった部屋は正一郎の部屋になった。
壁一面、天井まで届く本棚や、処分出来ない遺品は隅の方に寄せて置いてあるけれど、正一郎が「そこまで気を遣うな」というので問題ないだろう。
彼個人の実験器具も着実に増えている。
そろそろ棚の増設が必要かもしれない。
大きな変化はもう一つ。
正一郎がショウの名前で冒険者登録をした。
勇者らしく戦闘能力が開花したとか、そういう事はない。
非公式の異世界からの客人には身分がなく、例えばギルドを通してアズライトに護衛依頼を頼むにも、依頼主としての信用がゼロなのだ。
となると、一番簡単に得られる身分は冒険者になる。
しかしこれにも問題があって、この小屋からスイレンの街に向かっては、不審者確定。下手をすればレガーテ平原の奥にある密林から現れた悪魔だと疑われてしまう。それくらい、スイレンの街から此方側に人間が出てくるのは厳しく取り締まられているのだ。
というわけで、二人は扉を持ち運んで芝居を打つことにした。
まずはアズライトが、スイレンの街の南門から外に出て、その付近にある薬草採取の依頼を受ける。
付近の森で、魔獣から逃げている内に荷物を失くし、道に迷っていた冒険者のショウを保護する。
そして、ギルドから一定の信頼を得ているアズライトが身元引受人となって世話をするという条件の下、ショウは冒険者として再登録。冒険者証を失くしたペナルティで新人Fランクからの再スタートになるが、アズライトと共に北門を行き来する事を許可されたのである。
尤も、ショウは新人冒険者と言えど、その素性は異世界で立派に社会人をやっている29歳だ。言動の端々にそれを感じさせるため、アズライトに保護者が出来たと喜ぶ門兵や受付嬢達がいた事に、彼だけが気付いていなかった。
今日までにショウのランクはDまで上がった。
装備は、祖父の遺品に新人には上等な剣があったのでそれを持ってもらう事にし、胸当てなどの皮装備は街で購入した。
特殊な能力は無かったのだが、剣の素養があり、ネズミやウサギといった小型の魔獣なら手堅く仕留めていけたからだ。
「ガキの頃は警官になりたくてさ、柔道と剣道をやってたんだ」
彼は言う。
色々あって研究職を選んだが、警官になった友人とは今でも職場の道場で手合わせをするそうで、その経験が活きたなと笑っていた。
同時に、魔獣の素材を売らずに供養しようとする姿勢を、共感はするが認められないと否定された。
曰く、
「憐れむのは満たされている奴がすることで、自分の生活もままならないのに同情するのはただの馬鹿だ」と。
正一郎のその持論で、二人は初めてのケンカをした。
「可哀想だと思うなら根本的な原因を解決しろ、その為にもまずは自分の生活を改善しろ。金の余裕は心の余裕だ、金があれば出来ることは増えるんだ!」と叱責されて、アズライトは否定出来なかった。
余裕があったなら、正一郎を召喚するに至ったあの日以前にも選択肢はあったかもしれないと気付いたからだ。
10年も山小屋に籠るなんて、解析したい研究があればこそ愚の骨頂だと言える。判らない事が見つかった時点で知識を更新しなければ先に進めるはずがなく、知識の更新には自分自身の成長が必要だ。
その事に気付かされて、恐ろしくなった。
小屋に籠ったのは何のためだったのか。
それをしていなければ。
山を出る勇気さえあれば。
それが出来ていれば、もしかしたら精霊達を救えていたかもしれない。
独りで、恐れて、甘えて、固執して、それでも頑張っている自分に陶酔していただけなのかもしれないという、汚さ。
気付かされた羞恥。
更に言えば、ケンカしてしばらく正一郎が来なかったことがより強くアズライトに恐怖と後悔を自覚させた。
自分の独りよがりを青白い顔で謝罪したアズライトに、正一郎はいつかと同じように息を吐いた。
「おまえ、やっぱ少し子どもに戻った方がいいぞ」と。
以降、正一郎の甘やかしがひどくなり、一方のアズライトは「俺が頼りにならないから……」と落ち込む日々がやって来るのだが、それはもうしばらく後の話である。
更に、時期は多少前後するのだが、魔獣を倒し、素材を売ってお金を手に入れるようになってしばらく経った頃、アズライトの収納空間に大きさの制限は無いと聞いた正一郎が、少し悩んだ後でこう切り出した。
「やっぱ馬車は買わないか? 馬車つーか、屋根のついた……幌馬車だっけ? あれの荷台をキャンピングカーみたいに出来たら道中が楽じゃないかと思うんだよ。野営が多いだろうし、テントじゃ雨の日とか大変だろ」
扉の運搬があるから馬車を、という話は、アズライトの収納空間を知った時点で流れたと思っていた。
馬車を使った移動と、徒歩での移動なら、馬の休憩時間などを考えると歩いた方が効率が良いのではないかと判断したからだ。
しかし、キャンピングカーが何かは分からなかったが、正一郎が「必要だ」と言うなら検討するつもりはある。
「それって貸馬車じゃダメなんですか? 荷台を買っても借りても馬は借りる事になりますし、馬と一緒に借りた方がお得なことも」
「それじゃ改造出来ないだろ」
「改造?」
「例えば幌にビニールを貼って雨対策、とかだな。夏が近いし、出入口には網戸を付けたい。ブラインド式の網戸なら簡単リフォームの木枠が応用出来そうだし、……あぁそれだと隙間が出来るか。その辺りはしっかり調べてこないとダメだな。太陽光パネルと充電池は災害の備えだって買った覚えがあるから玄関のクローゼットに入ってるはずだし、それで夜は明かりが使えるだろ。床板も絨毯敷いて寝心地も良くしておきたい。寝袋も夏用の涼しいやつを……」
「まっ、待ってください!?」
「ん?」
「異世界のあれこれを持ち込む気、満々ですか!?」
「当然」
「そんなことしたら目立って旅どころじゃなくなりますよ!?」
「だから、目立たないように改造するんじゃないか」
「??」
よく判らなくて目が白黒する。
太陽光で使える家電というのは以前にも聞いていた。魔王封印の魔法陣を見に行く事が出来るなら写真を撮りたいといって、デジタルカメラとかいうのを持ち込むために充電の確認をしていたからだ。
違う、問題はそれではない。
「30日も外で寝泊まりしたらどれだけの人の目に触れるか判ったものじゃありません!」
道中で他の人と行き交う事もあるし、魔獣に襲われる事もある。
ここ30年は精霊のおかげで暮らしが安定しているから盗賊に身を落とす者は少ないが、ゼロではない。
同行者はそもそも増やしたくないのが本音だが、見張りなどを考えると、冒険者の護衛を雇う事だって視野に入れる必要があるかもしれない。
いつまで二人旅が続けられるかは判らないのだ。
「そう考えると、あまりあちらの世界の物を持ち込むのは……」
「……確かにアディの言う事も一理ある」
「じゃあ」
「しかし、現代日本でしか生活したことがない俺に一カ月間の野営暮らしは、たぶん無理だ」
「――」
「なんで、やはり荷台は買おう。ただし、馬と一緒に荷台も借りて、状況に応じて入れ替えるんだ。アディの収納空間に頼る事になるが」
「収納空間を使うのは構わないんですが、でも」
「アディ」
「は、はい」
「これは俺の死活問題だ」
「……」
鋭い眼圧と共に真顔で言い切られて、彼を説得させられる言葉が出て来ない。結局、荷車はアズライトが自分で稼いだお金で買うことという条件だけは飲んでもらった。
改造や持ち込むものは全て任せろというのだ、本体だけでもきちんと負担したい。
「お願いですから、自重してくださいね?」
「おうっ、任せろ!」
アズライトは、こんなにも不安を煽られるサムズアップを見た事がなかった。
通信具が完成し、部屋の掃除も落ち着いてから、アズライトは毎日ポーションを生成した。
冒険者ギルドで魔獣討伐の依頼を受けるついでに森で薬草を採取し、素材も丁寧に解体して売るなど、自分で出来る金策に励んだ結果、数日で目標金額を達成した。
そこからは正一郎の番だ。
山小屋の側で鼻歌を歌いながら作業する彼はとても楽しそうで、研究者のくせに肉体派だなぁと思った。
見た目が普通の幌馬車に見えるよう、骨組みは弧を描いている部分まで全く同じなのだが、骨組みと見慣れた白い幌の間に挟まれた透明で不思議な手触りの生地。
更に言えば骨組みがやけに太くて、固い。
「防水かつ断熱のビニールシートだ。幌の下と絨毯の下に敷くだけで、全体を覆うわけじゃないから、どこまで効果が出るかはわからんが、夏の暑さも少しくらいなら和らぐんじゃないか」
ということらしい。
更に荷台の大きさ、幌の高さに組み立てられた、材木そのままの四角い骨組みを台の上に固定すると、前後にブラインドと呼ばれる網目の生地を設置。
四角い骨組みと、幌の骨組み、その間に生じている隙間には網目の生地を直接切り貼りして塞ぐ。
その更に外側には扇形の布を吊った。骨組みの左右に紐で括れるようになっており、出入りする時以外の目隠し用だそうだ。
太陽光パネルと教えられた、布みたいに折りたためる大きなものは幌の真上に設置された。平たいので傍目には何かが乗っているように見えない。そこから伸びた紐は荷台の隅に置かれた重そうな箱に繋がり、そこからまた紐で小型冷蔵庫と教えられた箱と繋がっていた。
開けるとひんやりした風が来る。
すごい。
更に手の平サイズの太陽光パネルも幌の上に設置され、そこから伸びた紐は、幌の骨組みから吊られた電球と呼ばれる明かりに繋がっている。
こちらも充電式で一晩は余裕でもつという。
その他にも連日のように物品が持ち込まれ、いよいよ出発日が近づく頃には、8人が対面で座れると言われた広さの荷台は部屋と呼べる内装にすっかり様変わりしてしまっていた。
「……ショウさん、自重はどこに?」
「自分のための買い物ってのは初めてだったかもしれん。結構楽しかったぞ」
「え、いや、そうじゃなく……」
「言ったろ死活問題だって。日本人は電気がないと死ぬんだ」
「……」
「まぁとりあえず乗ってみろって。苦情はその後で聞く。あ、靴は脱げよ」
言われて踏み込んだ荷台は、元が木の板とは思えないほどふんわりしていた。置かれていたクッションは体が沈み込むようで怖かったが、支えられているような不思議な心地良さもある。
思わず目を閉じてしまっていたら、コトンと傍で音がした。
確かめると、小さなテーブルの上に白いマグカップ。中には温かくて甘いカフェオレ。
「……ダメ人間になりそうです」
「心配すんな。一週間に2日しか働かなくなったあげく、旅行準備に本気出してる俺ほどじゃねぇよ」
こうして、二人の旅の準備は着々と進んでいった。
正一郎を召喚して、こちらの世界で72日目の朝。
正一郎の世界では金曜日の帰宅後、夜8時というタイミングで出発する事にした。
こちらの世界では朝9時を過ぎた頃だった。
北門の衛兵に「無事に帰って来いよ!」と妙に感慨深く見送られ、ギルドの受付に顔を出せば「お帰りをお待ちしていますね!」とカウンター越しに身を乗り出された。
しかも何人にも。
そんなにポーションを納品する冒険者は少ないのだろか。
「モテモテじゃん」
「えぇ……」
正一郎に揶揄われて納得のいかないアズライトだったが、もっと納得がいかないのは、
「ショウさん、アズライトさんをよろしくお願いしますねっ」
「絶対に無傷で連れ帰ってください!」
と、正一郎が受付嬢達から頼まれていることだ。
おかし過ぎる。
身元保証人は自分の方だったはずだ。
依頼を受けての王都行きではなくなったが、しばらく不在になる事に変わりはない。ポーションの納品で便宜を図ってもらったこともあるので出発前の挨拶にと思ったのだが、非常に居心地が悪い。
「えっと、では、行ってきます」
「「「行ってらっしゃいませ!」」」
熱い声援。
正一郎が肩を震わせて笑っていた。
幌馬車は南門に置かれていた。
馬は貸出。王都までの行き来を共にする新しい仲間だ。
一頭にするか、二頭にするかで迷ったが、アズライトも正一郎も御者は初心者だということ。収納空間のおかげで荷物が減らせることなどから、馬力のある少しだけ御高めな馬を1頭借りる事にした。
名前はロロ。
女の子だ。
「じゃあ、行くか」
「はい!」
南門の兵にも挨拶をし、二人は並んで御者台に乗り込む。
帝都に向かう旅が始まる。
季節は春から夏へ移り変わろうとしていた。
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