第6話

 翌朝、自分のベッドの上で体を起こしたアズライトは少しぼぅっとしてしまったものの、窓から見える太陽の位置が普段の起床時間と変わらない事を確認してホッとする。

 少し瞼が重いのは久々に泣いたせいだろう。

 あの後、時間がどうだと言ってお泊り宣言した正一郎は、祖父母の部屋に保管されていた、木枠のみのベッドに、自分の部屋から持参した布団を引いて寝る事になった。

 ベッドがあったとはいえ、其処は遺品庫だ。

 人様を……しかも大事な異世界からの客人を泊めるには相応しくないと言い張ったが、自分の部屋は昨日の片づけで大量の物が収納されていたし、他に泊まれるような場所もない。

 結局、お試しの一晩だけだという言葉に折れてしまったわけだが……。


「……朝ごはん、用意しよう」


 アズライトは立ち上がると、サイドテーブルに用意してある桶に魔術で水を溜め、顔を洗う。傍に置いてあったタオルで拭き終えると、水が入ったままの桶を持って小屋を出ると、外に流す。

 それから、やはり魔術で畑に水やりだ。


「美味しく育て~」


 歌うような独り言が口をついて出るのは、癖だ。

 いまは精霊達の反応が期待出来ないのは判っていても、長年続けていた事なのだからと割り切っている。

 朝食にと、真っ赤なトマトを二つ。

 きゅうりを一本。

 レタスも

 小屋に戻ってからは木製の平皿を2枚用意し、両方にサラダを盛り、街で買った白パンを乗せる。


「……飲み物って水でいいのかな。白湯?」


 どうしたものかと迷いながら、昨日までは遺品庫だった扉を見た。

 気配を感じないのは、まだ寝ているのか、それとも元の世界に帰っているのか。声を掛けるべきか、そっとしておくべきか、悶々と考え込むアズライトだったが、悩みはすぐに解消された。

 部屋から物音がして来たのだ。


「――あぁ起きてたんだな、おはよう」

「! おは、ようございますっ」


 精霊達と交わすのとは違う挨拶に、驚きと、戸惑いと、そして喜びが混じり合う。

 正一郎はテーブルに用意された朝食に目を瞬かせ「朝飯まで用意してくれたのか」と席に近付く。


「手間掛けさせてすまないな……いや、ありがとう、か。朝飯を用意してもらうなんて実家を出て以来だ」

「そ、そうなんですね。手間とかじゃないです、自分の分を用意するのと変わりませんし。野菜はうちで取れたものなんです、美味しいですよ」

「畑作ってるのか」

「小屋の裏に少し。飲み物は水でいいですか?」

「いや……あー、そうか。すまん、ちょっとこの機会に試したいんで少し待っていてくれるか?」

「?」

「すぐ戻る」


 言って、元の世界に戻った正一郎は、5分くらいで再びこちらに戻って来た。


「やっぱり向こうからは持ち込めたぞ」


 嬉しそうな彼の手には、アズライトが見た事の無い真っ白でツルツルした手触りのコップが二つ。どちらからも湯気が立っていた。

 もう一方の手には銀色の細長い筒が握られいる。


「朝飯の礼に、どうだ? こっちの黒いのが珈琲で、こっちの白いのが牛乳なんだが……判るか?」

「こおひい……こぉひぃ……勇者関連の本で読んだことがあるような気がします。牛乳はミルクのことだと……」

「正解。珈琲と牛乳を半々にして砂糖加えるのもおススメだ」

「お砂糖ですか!?」


 突然の高級調味料にアズライトが驚くと、その反応は予想していたのか、正一郎は楽しそうに笑う。


「俺達の世界じゃ当たり前に使ってる調味料だ、コップもう一つあるか?」

「えっ、あ、コップはあります。ちょっと待ってください……」


 言い、急いで木製のコップを渡すと、正一郎は銀の筒――後に水筒というと教えてもらうのだが、そちらから少量の珈琲を注いでアズライトに返した。


「一口試してみないか?」

「……お言葉に甘えて」


 緊張しながら、受け取った珈琲を飲んでみる。

 ……苦かった。


「これは、ちょっと……」

「まぁそうなるか。じゃあ次は、ほら」


 木製のカップに残った珈琲にほぼ同量のミルクを足して、また手渡される。少なからず警戒して飲んでみると、先ほどまでの苦みが随分とまろやかになっていた。


「で、砂糖を足す」

「!」


 これも後にスティックシュガーと教えられるのだが、細い紙袋から、ほんの少量の砂糖を混ぜたものを渡されて、アズライトの喉が鳴る。


「さ、砂糖……」


 無意識なのか、コップの中身を睨むように見ていたアズライトだが、恐る恐るそれを口に入れた瞬間だった。

 目を真ん丸にして、表情が輝く。


「美味しい……!」

「そりゃよかった。珈琲ダメってやつも多いからな」


 言いながら、正一郎はもう遠慮は要らないとばかりにコップにたっぷりのミルクと珈琲を注ぎ、スティックシュガーの残りを全部入れてしまう。


「こ、こんなに……!」

「自家菜園の野菜をごちそうになるのに比べれば、買って来ただけのもんだぞ」

「えぇ……っ?」

「俺は、朝は珈琲がないとダメなんだ。こっちの文化だと思って受け入れろ」

「でも……あ、そうだ、じゃあ白パンを二つどうぞっ。これは50年前に召喚された勇者の知識で誕生した奇跡のパンで、それまでの常識を覆したふわふわの……」


 高級なものにはせめて自分なりのごちそうでお返しをと考えたアズライトだったが、そこまで言って、50年前に召喚された勇者も、正一郎も、同郷の異世界人だと言う事を思い出した。


「ああっ、何でもないですっ。ごめんなさい! ショウさんにはふわふわパンなんて食べ慣れたものですよね!?」

「ふはっ」


 慌ててパンを隠そうとするアズライドの態度に、正一郎は悪いと思いつつも笑ってしまう。


「食べ慣れてはいるだろうが、ありがたく頂くさ。せっかく用意してくれたんだろ」

「た、確かにそうですけど、でもっ」

「それと改めて相談したい事もあるんだ、飯食いながらで良いか?」


 正一郎がそう言うから、アズライドもまだ納得はしていないものの大人しく席に着いたのだった。



 食事の席は賑やかだった。

 収穫したばかりのサラダはアズライトが自信満々に勧めるだけあってとても美味しかったし、彼が「レタス」だと言ったのを正一郎が「リーフレタスだ」と訂正し、他にも似たような葉物野菜がたくさんあるのだと説明し始めた。

 勇者は食に関してうるさいという情報を裏付ける一端を見た気がした。

 更には白パン一つとサラダでお腹いっぱいだというアズライトに、食が細すぎると注意してくる。


「特に朝はしっかりと食え。卵一つ加えるだけでもかなり違う。そんなだから子どもに間違われるんだ」

「っ、そんなことないです! 祖父みたいなこと言わないでください」

「じっ、そこはせめて父親だろう!」


 お互いにムッとして言い返すが、そこで正一郎はふと思いついたように言葉を止めた。


「……なるほど、つまり養えばいいのか? いや、この場合は護衛依頼で雇うのが……」

「え?」


 ぶつぶつと思案中の正一郎。

 アズライドは首を傾げる。


「……アディ。さっき言った相談なんだが、俺がこちらの世界にいても、元の世界でスマホ……電話、いや通信機なら通じるだろうか。遠くの人間に声だけを届けて会話出来る道具なんだが」

「通信具なら判ります。勇者が仲間と連絡を取り合うために開発された魔道具で、一つの魔石を二つや四つに割って、魔力の糸で繋ぐんです。そうすると、繋がれた魔道具同士に限って、どんなに遠くに居ても声が届けられるんだとか」

「それだな。それを、異世界間でも可能に出来るだろうか」

「えっ」

「職場と連絡がつかないのは困る。だが、それさえ可能なら一か月掛けて問題の魔法陣を見に行ける」

「……どういう事ですか?」

「こっちと、あっちの時間差だ。結論を言えば、こっちの2時間があちらの5分だ」


 目を丸くしたアズライトに、正一郎は更に詳しく説明する。

 アズライトより随分早く起きていた正一郎は、既に幾つかの検証を終えており、扉を開いている間は同じように時間が過ぎること、扉を閉じた状態でも、自分が元の世界に居る間は同じように時間が過ぎること、しかし此方にいると向こうの時間の進みが遅くなった、と。

 こちらの2時間があちらの5分なら、こちらの1日があちらの2時間だ。

 帝都まで行き、魔法陣を確認し、戻って来るまで約一ヵ月掛かると言っていた。こちらで一ヶ月、30日間を過ごすのに必要な時間は60時間。

 60時間なら決して無理ではない。

 ただし正一郎と、彼の職場が、常に連絡の取れる状態でいられることが条件だ。


「最初に言ったように、俺は科学捜査研究所といって、警察組織の一員だ。万が一ににも大きな事故や、事件が起きれば、すぐに出動する」


 休みは休みだと正一郎の上司は言うのだが、事件や事故は急を要するのが大半だ。現場で手が足りないのならすぐに駆け付けられる自分でいたいと、そう思う。


「だが、こうして召喚されたのも何かの縁だ。俺の知識がどこまで役立つかは判らないが、やれることはやってやると約束した。通信の問題が解決するなら、魔法陣を見に行く。その際の護衛をおまえに頼みたい」


 無言で見開かれる目を、正一郎はまっすぐに見返す。


「依頼料は、一月分の食事と俺が持つ知識だ。何せ戦力にならない異世界人の護衛だから苦労を掛けると思う。ああ、それともこういうのは冒険者ギルドとかってのを通すとおまえの実績になるのか?」

「そ、それは、はい。実績にはなりますけど……」


 冒険者ランクCのアズライトがランクBに上がるには、対人戦闘経験の有無が必須で、いわゆる商隊の護衛任務、盗賊の討伐といった実績が必要なのだ。

 とは言え、此処から離れるつもりも、理由もなかったアズライトにはランクを上げる必要性さえなく、ポーションの納品さえ出来れば冒険者ギルドに登録している意味は充分だったのだ。


「でも、連絡が取れても、すぐに帰れなかったら意味ないですよね?」

「それならたぶん問題ない、あの扉は移動可能だ」

「はい?」

「動くんだよ、あれ」


 言われた内容がすぐには頭に入って来なくて、気付いたら立ち上がって問題の扉に駆け寄っていた。

 試しに押してみれば、確かに動く。

 そういえば最初にあった紙に書かれていた魔法陣が扉の出現と共に消え去った。つまりこれは、此処に固定されているものではないということ。


「な?」


 正一郎が得意そうに言う。


「これを運ぶために馬車なんかが必要になるかもしれないが、その費用は俺が何とかする。向こうからこっちには物を運び込めるみたいだし、調味料関係なら高く売れるだろう」


 確かに先ほどの砂糖といい、調味料関係は輸入に頼るものが多く値段も高い。売ればそれなりの財産になるのは間違いないだろう。

 だが――。


「……『収納』」


 アズライトが一言唱えた瞬間に扉が消えた。

 文字通り、彼の収納空間に扉が収まった。

 驚くのは正一郎の番だ。


「なっ……あの扉はどこにいった!?」

「俺の魔法に収納空間というのがあって、その中です」


 説明しながら、収納空間に手を入れて「扉」と念じながら引っ張り出せば、それは再び彼らの前に現れる。


「勇者召喚や、魔王封印の魔法陣を解析中に、たまたま勇者特有の秘術の文献を見つけたんです。いろいろあったんですが、収納空間だけは自分でも出来そうだったので研究したら、……本当に出来てしまって」

「ははぁ……これは、旅が随分と楽になりそうだな?」


 顔を見合わせた二人は、笑った。


「でも、一か月も働かないでこちらの世界にいてもらって大丈夫なんですか? しかも依頼料……俺の食事までなんて」

「心配は要らん、それくらいの蓄えは充分にある」

「しかも、お呼びしたのは俺の方で、迷惑を掛けているのに」

「魔法陣の実物見たいって言ったのは俺。しかも、俺達の世界じゃ大人が一ヶ月も休めるなんてなかなかないんだ、それが週末だけで実現出来て、しかも普通じゃ経験出来ない異世界旅行を楽しむつもりでいるんだからな。しっかり護衛してくれ」


 どや顔で言い切る正一郎に、アズライトは最初こそ呆気に取られていたが、だんだんと楽しくなって来た。

 無意識に表情が緩み、笑い声が零れそうになる。


「それは、何が何でも異世界同士を繋ぐ通信具を開発しなきゃ、ですね」

「おう」


 そうして二人は朝食の途中だった席に戻る。

 久々に他人と取る朝食は、新しい通信具の構想で大いに盛り上がったのだった。

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