第5話

 アズライトは出来る限り分かり易く、そして要点を押さえた説明をしようと努力した。

 この世界では敵対する悪魔への対抗戦力として『勇者召喚』が行われており、その最初は700年前――召喚された後の大賢者アオイトーカによって悪魔の王、魔王が封印された事。

 魔王が封印されてからも魔王を奪還しようとする悪魔族が度々襲来しており、これに対抗するための『勇者召喚』も度々行われている事。

 しかし『勇者召喚』には精霊という大きな犠牲が必要で、精霊が世界に満ちていることで齎される効果についても細かく説明していった。


「それは……この世界の人々に伝えられないのか?」

「これが事実だと証明出来たわけではありませんし、そもそも精霊の姿が見える人を、俺も、自分しか知りません」

「普通は見えないってことか」

「恐らくそうだと思います。祖父母も声は聞こえていたようですが姿までは見えていなかったので」

「……なら、なんでアディには見えているんだ?」

「判りません。突然見えるようになったので」

「最初からじゃないのか」

「はい。小さい頃からこの山の中で暮らしていて、祖父母以外に話し相手がいませんでした。精霊の声が聞こえるという祖父母が羨ましくて、自分も話がしたい、それに姿が見えるようなれば一緒に遊べるんじゃないかと思って、毎日お祈りしていたんです」

「……お祈りで見えるようになるのか?」

「確証はないですよ? でも祖母は精霊王のお導きだねって言ってました」


 その日以降、アズライトには友達が出来た。

 おかげで鬼ごっこやかくれんぼの楽しさを知ったし、最初こそ驚いていた祖父母も、アズライトの笑顔が毎日見られるようになってとても嬉しそうだった。

 森の探検は精霊の案内で迷わずに済んだし、薬草の群生地や、獣の生息地、木々の葉の広げ方などを教えてもらう日々は、山や森と言った一般に厳しいといわれるエリアでの生存力を高めてくれたのだ。


「そうでないなら、他に考えられる理由は魔力量かな……」

「魔力量ってのは?」

「体内で生成されて、一度に使える魔力の最大量です。それと、魔力には、3種類あるというのが定説です。一つは世界を構築している魔力。一つは構築に必要以上の、余剰魔力。そして一つが、人間の体内で生成される個人の魔力」


 世界を構築している魔力というのは、世界を維持する――つまり存続させるために消費されるもので、ポーションの原料になる草花を育てたり、魔道具や武器、防具の素材となる鉱石、魔石、そういったものを生成する事で人間の暮らしを支えると共に、この世界の基盤を維持するために必要不可欠。

 世界の中心から決して途切れることなく供給されるもので、アズライト個人としては循環しているのではないかと考えているが、研究に着手するとしても、まだしばらく後になるだろう。


 二つ目の余剰魔力というのは、一般に言うなら魔獣を変異させる悪いものだ。アズライトに言わせれば大部分は精霊の力となって世界を安定させる良いもので、精霊が管理しきれなかった余剰魔力のさらに余剰分が魔獣を変異させる、となる。

 祖父母曰く、精霊は世界の自衛本能だそうだ。

 余剰魔力が世界に放置されてしまうと魔獣が増えたり、一説によれば悪魔を強化してしまう原因にも成り得るらしく、精霊が余剰魔力を吸収する事でそれが抑えられる。

 魔力を吸収した精霊達は、その力で森の木々、畑の作物などに栄養を与えて人々に実りをもたらし、海や川の水を綺麗に保つため有害物質を中和し、天候を安定させる。

 そうして消費された魔力の行き場としてアズライトは循環説を思い付いたわけだが、前述の通りである。


 そして人間の体内で生成される個人の魔力。

 これは個々によって生成される量が大きく異なり、アズライトのように魔術を使える魔術師や、ポーションを生成する薬師、魔道具を作成する技師には多く、それらが向かない人間は少ないというのが一般的な見方だ。

 ただ、世界が魔力で出来ている以上、魔力ゼロなんて人間がいるとは思えないのに、測定器で測るとゼロと記録される者は少なくない。

 アズライトの両親がそうだった。

 測定する機械を作ったのが人間なのだから……と言ってしまえばそれまでだし、身長や体重などの成長に差が出るといった事もないので、放置されている疑問だ。

 一番有り得そうなのは、魔術にしろポーションにしろ、それを形にするに至らない数値はゼロ扱いになる、だ。

 ちなみに祖父は魔道具作成が趣味の魔術師で、祖母はポーション開発と自家菜園が趣味の魔術師だった。二人の孫がこう育つのも判ると言うものだろう。


「俺も人付き合いが得意ではないので、自分の魔力量を他人と比べた事もないですが、祖父母曰く、かなり多いみたいです。おかげでポーションを作ると高性能な仕上がりになるので生活費が稼げていますし、魔術の回数や威力任せで魔獣のソロ討伐が可能なので助かっています」

「アディは有能な魔術師ってことか」

「へぁっ?」


 褒められた事に驚いて、変な声が出た。

 正一郎が目を丸くしている。

 アズライトは恥ずかしくなって来た。


「そ、そんなことはないんです! いつも自分の力不足が情けなくなりますし、今回のことだって、結局誰かに助けてもらわないとダメってことで……」


 だんだんと声が小さくなるアズライトに、正一郎は眉根を寄せていた。

 しかしそれは決してアズライトを責めるつもりではなく。


「人間が一人で出来る事なんてたかが知れている。目的を明確にして必要な助力を仰ぐのは、むしろ賢いからこそだろう」

「……そう、でしょうか……?」

「俺はそう思う」

「……っ」


 はっきりと断言されたアズライトは、胸を締め付けられるような気持ちになった。

 祖父母が亡くなって10年。

 ポーションを褒められたり、独りでいることを案じてくれた人はいても、……こんな泣きたい気持ちになるような事は、ただの一度もなかった。

 気を取り直そうと、心の中で自分に喝を入れるアズライト。

 その正面で、正一郎は考え込むように顎に手を置いていた。


「……確認なんだが『勇者召喚』で招かれる異世界人ってのは、やはり勇者と呼ばれるだけあって強いんだよな?」

「そう、ですね。ものすごく強いと聞いています。ただ、祖父母の話では召喚直後は普通の子どもにしか見えなかったそうです。悪魔と戦う事も怖いから嫌だと拒否したり、……ですが戦闘訓練を行うと成長速度がものすごくて、あっという間に騎士団じゃ敵わなくなったと」

「で、いろいろと考察した結果、アディのおじいさん達は犠牲になった精霊達が招かれた異世界人の何かに影響していると判断したわけだな?」

「異世界では、体内で魔力が生成されたりしないのでしょう? 召喚される際に、勇者達の身体には此方の世界に適応するための何らかの進化が起きたはずなんです。何度も言いますが、精霊は世界を安定させる存在です。勇者達の身体が進化と共に強大な力を……世界を守る力を得て、代わりに此方の世界から多くの精霊が消えてしまうのですから、あの子達は勇者に吸収……、同化させられたと考えるのが妥当です」

「なるほど」


 しかし証拠がない。

 だから止められない。

 50年振りに行われた『勇者召喚』が世界にどんな影響を齎すのかはアズライトにだって判らない。


「もう一個確認するが、俺の召喚で精霊は犠牲になってないんだな?」

「はい! それは断言出来ます、俺の魔力以外は一切介入していません」

「つまり、俺は自分で魔力を作る事は出来ないし、勇者みたいな強さも持ち得ないってことで間違いないな?」

「そう、ですね。魔術師になるのは無理で……」


 アズライトは首を傾げた。

 正一郎の確認の意図を掴みかねたからだ。もしかすると魔術を使ってみたかったのだろうか。この世界にも魔術に憧れる剣士がいるのだ、正一郎が望まないとは言い切れない。

 アズライトは顔から血の気が引く音を聞いた気がした。

 内心でひどく焦るが、それに気付かない正一郎。


「アディの希望は『勇者召喚』が二度と行われないように、魔王を何とかしたい。悪魔族がこの世界に現れないようにしたい。そのために必要と思われる魔法陣の解析をしたい、だったな?」

「はいっ」

「その魔法陣のコピー……複写ってあるか?」

「ありますっ、祖父の手書きですが……!」


 アズライトはせめてちゃんと役に立とうと心に決め、急ぎ足で机から複写された魔法陣を引き上げ、正一郎の眼前に広げる。

 正一郎が無言でそれを確認すること数分。


「あー……大賢者アオイトーカが異世界人ってのは理解した」

「え?」

「これ、俺達の世界の文字だと思う」


 魔法陣の外周、八重に円を描く文字の羅列を指して正一郎は言う。


「古代文字……とかじゃ、ないんですか……?」

「現役の日本語だよ、ひらがなカタカナ漢字……たまに英語だな。中二病かコイツ」

「え、え?」

「いやすまん、こっちの話だ」


 顔を顰めている正一郎の目は、流れるように魔法陣の文字を読み込んでいく。迷いがない。

 のだ。


「まさか……もう解読出来るんですか?」

「解読っつーか……あぁでも、アディのおじいさんに漢字の書き取りは相当難しかったと思うのに、こんな細かいところまで複写するのはすげぇな」


 祖父が褒められた事に嬉しくなるアズライト。

 一方で正一郎は呆れた顔になる。


「それに比べて大賢者アオイトーカだ。確かに頭は良さそうだが、わざわざ面倒な漢字使ってカッコいいつもりか。……700年前って言ったか? 明らかに現代っ子だろ」

「え、え?」

「これ、実物を見に行く事は可能か?」

「実物はあります。ただ厳重な監視がついているという話なので方法は考えないといけません……。それに、どんな方法を取るにせよ、まずは帝都まで行かないといけないので、どんなに急いでも片道だけで10日は掛かります」

「往復で20日、調査なんかも含めて一か月……」


 さすがに休めないな……と苦い呟きが聞こえて来た。


「……祖父の複写に間違いがあったんですか?」

「間違いっつーか、ここな、こういう……」


 指先でテーブルの上に「人」と「入」いう文字を書いた正一郎。


「それからこれ……門構えっていう漢字の……なんだ。部品で通じるか? とりあえずこれと同じような漢字が日本にはいくつもあって、何となく想像はつくが、やるからには確信が欲しい。ましてやどっちの漢字でも意味が通じそうな箇所が少なくないんだ」


 正一郎にしてみれば、それまで漢字なんて縁がなかっただろうアディの祖父が「門」「問」「開」「閉」「闇」「聞」といったあたりの違いを正確に把握できたとは思えない。

 むしろこれだけの量を、日本語と分かるよう複写した能力が異常だ。

 しかしアズライトは落ち込んでいた。

 正しく複写されていなかった事で正一郎に迷惑を掛けるのだろうという申し訳なさと、自分一人では到底解読など出来るはずがなかったのだという、事実。

 目線を落として固まってしまったアズライトに、正一郎は軽く息を吐き、テーブルを指先で叩いた。


「これ、700年前って言う割には日本語の言い回しが新し過ぎる。こっちと向こうの時間差があると考えれば、もしかしたら遠出する方法も見つかるかもしれない。おまえに必要と言われたからには俺もやれるだけやってやる。だから、そう……落ち込むな」

「……はい……」

「おまえは、今日まで一人で頑張って来た。それは間違いない。俺が断言してやる」

「っ……」

「よく頑張った、偉かったな」

「……!」


 直後。

 今度こそ耐える間もなく涙が零れ落ちた。

 こんなだから子どもに見られるのだと自分を叱咤してみるけれど、まるで何かが壊れたみたいに、涙を止めることが出来なかった。


 今日まで一人で頑張って来た。

 そう、頑張った。

 祖父母が亡くなって、一人になった11歳の秋から、生きていくためにとにかく頑張ったのだ。

 精霊達がいてくれたおかげで寂しくはなかったと思う。

 薬草を採取してポーションを作り、納品という形で換金して生活費を稼いだ。

 家で使っている魔道具の調整は自力で出来たので日常生活にも支障はなかった。

 生きて来た。


「……甘えるのが下手そうだな」


 正一郎が言う。


「うちの妹とは正反対だ」

「……21ですからね」

「少し子どもに戻った方が健全な気がするぞ、おまえは」


 意味が判らない。

 なのに、零れ落ちる涙が温かい。


「今日はもう休め。時間が分からんが、かなり長い時間、話し込んでいた気がするし、俺にも仕事がある。また明日の夜に……来ても大丈夫か?」


 気遣う声に、無言で首を上下させた。


「じゃあ、またな」

「はい……っ」


 少しして、パタンと扉が閉じる音。

 アズライトの呼吸は、泣き声に変わっていった。





 それから、どれくらいそうしていたのか。

 正一郎が言う通り、自分もそろそろ休むべきだと気付いて立ち上がったアズライトは、泣き過ぎたせいで震える体をなんとか動かし、自分の寝室に戻ろうとした。

 しかし、その瞬間。


「アディ!」


 突然の呼び声と共に大きく開かれたのは遺品庫に置かれた異世界の扉。

 呼んだのは当然のことながら正一郎だ。

 もう一日経ったのかと思考が飛びそうになったアズライトに、正一郎は焦った表情で手の平サイズの置き時計を突き付けて来た。


「アディ、あっちの世界はまだ7時半だった」

「え?」

「もう深夜だと思って風呂入って最後にメールチェックしようとスマホ見たら7時半だったんだ」

「??」


 理解不可能な単語が幾つも出てきてしまい、反応に困るアズライトに、しかし正一郎は気付かない。


「俺がこっちに来たのは7時だったんだぞ? あれから30分も経っていないってどういうことだ!?」

「え、ぇえ?」


 30分はさすがに嘘だろうと思う。

 この家には時計がないし、正一郎の腕にある電波時計もスマホもこの世界に来た時点で止まっていたから正確な事は言えないが、あれだけ話し込んでいれば確実に1時間以上は経過しているはずだ。

 正一郎は言う。


「仕事柄、連絡がつかないっていうのは厳しいんでそれも考える必要があるなぁとは思っていたんだが、時間の経過が違うのは問題だ。日付が変わってないのは確認してきた。こっちとあっちの時間の流れを確認するために、電池式のアラームを持参した! 悪いが一晩泊めてくれ」


 突然のお泊り宣言。

 勢いに押されるがまま、アズライトは「は、えっと、はい」と応じてしまうのだった。

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