第4話
冒険者ギルドの納品依頼で想定外の大金を手に入れてご機嫌だったアズライトだが、夢にまでみた真っ白いふわふわパンを購入してすぐに目が覚めた。
10本まとめて納品したら報酬を増やすとも言われたが、ポーションを作るには素材が必要だ。
ギルドで評判になるほど高品質なポーションを納品して来られたのは、定期的に良質な素材が家の近所で採取出来ていたからだ。
では、今後も変わらずに良質な素材が採取できるか?
答えは否だ。
まだ目に見える変化はない。しかし今後は精霊が減ってしまった影響があらゆる事象を悪い方向へ転がしていく事になる。
勢い任せの散財などして良いはずがなかった。
「反省しよう、……確かに、ちょっと、興奮し過ぎた……」
異世界からの客人を美味しいものでもてなしたいと考えて購入した柔らかな白パンは、5個で、650モル。
いつも200モルしか払わないパン屋で、650モル。
勢いとは恐ろしいものである。
その後は自制し、本当に必要なものだけを厳選して購入した。
また、街まで下りて来たからには情報収集も重要だ。
『勇者召喚』が行われた事を、精霊が見える自分は既に把握しているが、此処は帝都から、馬車でも10日以上掛かるくらい遠く離れている。さすがに噂が聞こえて来るには早過ぎるだろう。
それでもちょっとした雑談が重要な情報を握っている可能性はある。
依頼を吟味するフリをしながら。
食材を選ぶフリをしながら。
出来るだけ気配を殺し、周囲に溶け込みながら様々な人の話に耳を傾けた。
「今年も無事に種まきが終わったんだってさ。土も随分と良い具合らしいからな。今から収穫時期が楽しみだ」
「領主様のご長男が、学園の剣術大会で優勝なさったそうだぞ。レガーテで小さい頃から鍛えられているんだから当然ってか? なんにせよこの領地は安泰だな!」
「帝都の春祭りにゼビとクロトワの王族が出席したんだってよ。今年も戦争はなさそうかねぇ」
庶民の生活に密接した話題から、隣国との関係まで、人の口に上る話題は本当に様々だ。
今日はこのくらいが限界だなと、アズライトが帰路についたのは陽が西の水平線に随分と近くなった頃。領主の城近くに設置されている時計を見ると5時を知らせている。
「魔獣に遭遇しない事を祈ろう」
来た時と同じ門兵に挨拶をし、山小屋への道を急いだ。
そうして迎えた、午後7時。
仕事が入れば来れなくなるかもと言っていた織部正一郎は、時間を少し過ぎたくらいに扉を開けて異世界に降り立った。
と言っても自宅に時計がないアズライトは空が暗くなってからずっとそわそわしていて、気を紛らわすために始めた魔道具の作成で失敗ばかりしていたのだが。
「……お邪魔します」
「は、はいっ、どうぞ!」
固い表情の正一郎と、ガチガチに緊張しているアズライト。
お茶だけは辛うじて用意出来たが、席に着いた二人はしばらく無言になってしまった。
「……」
「……っ」
何かを話そうにも内容がまとまらない。
心臓はこんなに煩いのに、部屋は偶にお茶を啜る音がするだけだ。
アズライトは混乱した。
「ぁ、あの、お、私、は、アズライトと言って……っ、ぁ、ああっ、そうじゃなくて……っ」
既に一度終えている自己紹介を始めてしまい、失敗したと察した途端に顔色が悪くなる。このままでは呼吸も出来なくなるのではないかと怖くなった、その時。
「……すまん」
唐突に、正一郎の頭が下がった。
「もう少し話しやすい雰囲気を作れたらいいんだが、こういうのは苦手で……」
「ぃ、いえっ、それを言うならお呼びしたのはお……じゃなくて、私の方なのに、緊張してしまって……すみません……」
「いや……」
互いに謝り合って、また、無言。
会話能力の無さに絶望しかない。
だが考えてみれば生まれて初めての客人がどうこう以前に、祖父母以外で喋る相手など門の衛兵やギルドの受付嬢、あとは買出しの際に代金を支払う店員くらいで、予め考えていた台詞を言うだけで済むような相手ばかりだった。
これから厄介な事を頼む相手なのだから誠実に対応しなければと考えれば考えるほど、自身の薄っぺらい人間関係を思い知る。
「ショウさん、……本当に申し訳ありませんでした。精霊王が助力してくれたと思って調子に乗りました……異世界の知識人であるあなたに助力を乞わなければならないのに、人と接した経験がなさ過ぎて……お呼びするなら、対人スキルをもっと磨いてからにすべきでした……」
「――」
「ショウさんの貴重なお時間をこれ以上割いていただくわけにはいきません。なので……その、……修行して来ますから、きちんとお話出来るようになったら、また……また、もう一度、お呼びしてもいいでしょうか……っ」
だんだんと声が震え始めたアズライトに、しかし今度は正一郎の方が慌てた。
「待ってくれ、……確かに、正直に言えば、帰宅した時に扉が消えていてくれたらとは思った」
「そ、そうですよね……っ」
「そうだが、違う。そうじゃなく……あー……あぁくそっ。つまりな、俺は口が悪いんだよ!」
突然の大きな声にアズライトが目を瞬かせると、正一郎はガシガシと頭を掻きながら卓に突っ伏した。
「これは言い訳だ、判ってるんだが……男ばっかりの五人兄弟の長男なんてのはお上品じゃやってられないのさ。更に甘やかされた末っ子があの妹だ、俺と12も年齢が離れてるって言ったら親や弟共のねこっ可愛がりが想像つくか?」
「す、すみません、親兄弟がいないので何とも……」
「俺が怒鳴らねぇと自分が一番だと勘違いしやがんだよ、あの馬鹿は……って」
正一郎は眉根を寄せて部屋全体を見渡す。
「親兄弟、いないのか?」
「いません……祖父母と一緒に暮らしていましたが、二人とも亡くなって、10年くらい前からは独り暮らしです……」
「……そっか」
アズライトの答えを聞いた正一郎は、低く応じた。
そして再び頭を掻く。
「まぁ、そういう理由で……気を抜くと口も態度も悪くなるから、おまえみたいな繊細そうな子どもを泣かせそうで怖かったと言うか、さ」
「……気遣ってくれてたんですか……?」
「そりゃあ気ぃぐらい遣うさ……必死だったんだろ?」
「はい……」
必死だった。
切実だった。
何とかして異世界の知識を得る機会を手にしたかった。
それを、目の前の異世界人は確かに手繰り寄せてくれている。
「ありがとうございます、ショウさん……でも、大丈夫ですよ。お……私はもう成人していますから子どもではありませんし、ショウさんが優しい人だって判りましたから」
「優しいわけではないんだが……っていうか、成人ってどうせ15歳とかだろ? 俺達の世界じゃ成人は
「それでも成人済みですよ、21ですから」
「――は?」
「え……最初に言いましたよね、21だって」
「……言ったか?」
「た、たぶん……」
本気で疑問に思っているのが伝わってきて、アズライトにも自信がなくなってくるが、伝えたように思う。
たぶん。
とは言え扉を開けたら異世界でしたなんて展開の当事者になれば聞いていなくても無理はないかもしれない。
「っていうか、そんなに子どもに見えますか……?」
「見える。里香より年下だと思った」
「……ちなみにリカさんの年齢は?」
「17だ」
「……俺は21ですっ」
ムッとして応じると、正一郎が笑った。
「すまん。それと、やっぱり普段は自分のこと「俺」って言ってるんだな? わざわざ言い直す必要はないぞ」
「ぁ……でも、失礼じゃ……?」
「取り繕われる方が居心地が悪い。俺ももう素で話させてもらうし、そっちもそのつもりでいろ」
「……判りました。では改めて、……よろしくお願いします。21歳の魔術師で、アズライトと言います。アディと呼んでください」
「ああ、それは覚えてる。おまえもショウでいいぞ、アディ」
「はい……!」
応える表情が自然に綻んだ。
胸の奥が温かくなった。畑の野菜が美味しく実った時、大きな魚が釣れた時に感じた嬉しさとは全然違う、懐かしいあの頃の、祖父母に頭を撫でられた時のような、喜び。
それを噛み締めていたアズライトに、正一郎は「そういえば」と思い出したように言う。
「今夜ここに来るって言ってからあっちに戻った後さ、すぐに扉の事は秘密にするよう妹に言い聞かせるつもりだったんだが、あいつ、何も覚えていないんだよ」
「え……」
「それどころか扉も見えなくなったみたいでな。仕組みはさっぱりだが、あいつの口からこの世界のことや、扉のことが外部に漏れる心配はなくなったんで安心してくれ」
「は、はい。それは……安心しました」
安心したという表現が正しいのかは自分でもよく判らないが、正一郎がそう言ってくると言う事は、彼の妹が此方の事を忘れてしまったのは、きっと都合が良い事なのだろう。
ただし疑問は残る。
「でも、度々此方に来て頂いてたら、妹さんや、それこそご家族にも不審がられませんか?」
「俺も独り暮らしだから問題ない。アイツが今朝いたのは、昨夜うちの近くでやっていたライブに参加して終電に間に合わなかっただけだから」
言われている事の半分も理解出来なかったが、妹が泊まっていたのが偶々だったという認識で良さそうである。
「とまぁそういうわけで、帰りが遅くなっても問題ないんで、俺を呼び出した詳細ってのを聞かせてもらおうか?」
「はい……!」
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