第3話
アズライトが暮らす小屋から最寄りの街まで、一般人が徒歩で行き来しようと思うと片道だけで半日。朝早くに出発したとしても、街で用を足せば帰る頃には真夜中になっているだろう。
だがアズライトの場合は、魔術で身体強化した上で道も何も関係なく真っ直ぐに目的地まで進むため、片道一時間も掛からない。山も川も森も、物心ついた時から庭同然に遊び歩いていた彼にとっては何の問題もないのだ。
例えそこに、魔獣が現れたとしても。
「よっ、と」
前方を塞ぐように現れた巨大な魔獣を、強化済みの脚力で飛び越えた。出来れば見逃して欲しいのだが、魔獣は、一般の動物が体内に魔力を吸収し過ぎたために起こる変異であり、狂暴かつ知能が著しく低下してしまう。目の前に現れた異物は例外なく敵。襲わずにはいられないのが習性だ。
『グルルルルルッ』
「やっぱり無視してはくれないか」
素体は牛だと思う。
頭に生えている2本の角が、鋭利な先端を獲物に向けてぎらりと光った。
体高はアズライトののおよそ3倍。全身を覆う錆色からは抱えきれないのだろう魔力が黒い煙となってゆらゆらと立ち昇っている。
「……あっちの密林の方ならいざ知らず、こっち側で遭遇する事はほとんどないのに……これも精霊が減った弊害、か」
精霊が満ちるほどに世界は平穏を享受する。
世界を形成するために魔力が不可欠ならば、世界の魔力を調整しているのは精霊だ。
『勇者召喚』によって多くの精霊が失われ、魔力の調整がされなくなることが飢饉や災害の引き金になる、――それがアズライトや、彼の祖父母が提唱した問題点であり、魔獣の増加データを集めれば、その推測を証明する事に繋がるかもしれない。
とはいえ、考えるのは後だ。
右の前足でしきりに地面を蹴っていた魔獣が、機は熟したとでも言いたげに突進してくる。
アズライトはポーションの入った布鞄を空間収納に入れ、代わりに深紅の球体が先端に輝く杖を取り出した。
「
『ギギギギギッ!!』
杖を垂直に構えて短い呪文を唱えた直後、アズライトを守った赤みを帯びた透明な壁。
魔獣は力づくでそれを突破しようと更に地面を蹴るが、彼は――魔術師は微動だにしなかった。
「……ごめん、な」
ぽつりと零した呟きは目の前の魔獣にすら届かない。しかし、一度伏せた瞳が再び開かれると、真っ直ぐに敵を見返したアズライトの表情に迷いは欠片もなかった。
杖を媒体に、魔力を炎に変えて放つ。
祖父の形見とも言える、魔石が組み込まれた魔道具。個人の事情で城を辞し、貴族籍を剥奪されたとはいえ、相応の力を持った人だったのだ。保有している装備品も一級品が多く、この杖も「威力を増加させる」という高性能な
「
『ブモォオオオオオオ!!』
禍々しい錆色の巨躯が前足を跳ね上げて絶叫した。
魔獣の表皮は固い。
だからアズライトは極限まで小さくした火弾を音速で放ち、威力を一点に集中させて魔獣の体内にそれを埋めた。
どんなに表皮が固くても、中は肉だ。
冒険者が持ち帰れば飲食店が喜んで買い取る牛肉。魔獣だと臆することなかれ、魔力を宿した肉は通常よりも旨味が増すと評判なのだ。
「
『ヴオオ……ォォォッ……』
火弾が、文字通り体内で弾ければ魔獣は中から焼かれていく。炎が心臓を焼き尽くせば戦闘は終了だ。最も、このやり方だと素材としての価値はほとんどなくなってしまうのでおススメしない。何せこの魔獣一頭分の肉が売れれば、余裕で一月は遊んで暮らせるのだから。
「……俺には関係ない話だけど」
魔獣が絶命したのを確認してから腰に佩いている解体用のナイフを手に取り、火弾がめり込んだ部分に刃を立てた。従来であれば食欲を誘うのだろう牛肉の焼ける臭いが、いろいろと未処理のせいで血生臭い。
「時間もないし、手早くさせてもらうが……乱暴にはしないからな」
しっかりとナイフの柄を握りしめて、そこに魔力を叩き付けるように流す。途端、ブチブチブチブチッッ……と形容し難い音が鳴り、ぷしゅーっと空気が抜けるように魔獣の巨躯が萎んでいく。
アズライトの独創魔術「
魔獣は、悪魔が使役する生まれながらに魔力を有した獣――魔物とは違い、元は普通の動物だ。
魔物、魔獣を一緒くたにし、これらを討伐する事を生業にしている冒険者達からしてみれば良い収入源なのだろうが、つい魔獣になってしまった動物の身になって考えてしまうのがアズライトの性分だ。
魔獣と戦った後、彼はいつも「
大気中の魔力が高まれば、また中てられる動物が現れるかもしれないが、今は力を回復したい精霊達こそが魔力を必要としているような気がしたからだ。
「……ん?」
ふと何かに引っ掛かったが、それが何なのかは判らない。
「ま、今はいいか」
アズライトは自分を納得させるように呟くと、日常でよく見かける牛の姿に戻った横たわる命に黙祷した。
手を翳し、火弾と同じくらい高温の焼却魔法を放てば、十秒と保たずに命は灰に変わる。
これがアズライトなりの魔獣討伐。
バカだと笑われても、誰にも理解されなくても、彼はこうしたいから、し続ける。
ちなみに魔術で勝てないと判断した場合は烈風を発生させて吹き飛ばし、身体強化を倍加して逃げる。街に着いてから冒険者ギルドに赴き、倒せなかった魔獣の情報を伝えておけば、あとはギルドの判断で討伐依頼が張り出されるのだ。
思うところはあっても、自分の命までは捨てられない。
生きてなんぼ。
長年の研究に光明が見えた今だからこそ、いっそう強く、そう思えた。
「……よし、少し急ごう」
再び街を目指して歩き出した。
それから約30分。アズライトは目的の街に到着した。彼が暮らす小屋から最も近くて大きな、通称『冒険者の都』スイレン。
どうして冒険者の都と呼ばれるのかと言えば、此処が悪魔が侵攻してきた際の最前線に成り得る場所であり、魔物の出没頻度が高いと言う事は、一攫千金、はたまた名誉を得る絶好の機会が転がっているということに他ならないからだ。
魔王封印の魔法陣が刻まれた石碑を国内に擁し、近隣諸国を支配下に置くことで『勇者召喚』の中心を自国と定めたリンデルト帝国――その最北端に位置し、クレクロン辺境伯が領主を務めるレガーテ平原、それが、ここ。
そしてレガーテ平原の東側に広がる手付かずの密林こそが魔界と繋がっているのではないかと考えられている。
強大な魔物が多数生息しているために調査が難航しており、ここが魔界と繋がっているという確信は得られていないものの、魔王を救い出そうとする悪魔の侵攻が此処から始まったという事実が複数回あってこそ帝国はスイレンという城郭都市を築き上げたのだ。
スイレンは世界でも稀に見る南北に細長い土地で、東西を海に挟まれている。最大幅12キロメートル。地図上で見れば、まるで大陸の北と南を繋ぐ道として敢えて残されたのではと考えたくなるほどに細い土地だ。
だが、その細さがこそ防衛都市には有益で、スイレンの北、レガーテ平原に対する防御は五重に築いた高さ10メートル以上、距離12キロメートルに及ぶ城壁が建設された。衛兵も常に20人以上が見張りに立っており、物々しいなんてものではないのだが、度々ここを通っているアズライトは慣れたものだ。
収納空間からポーションが入った布鞄を取り出し、念のために中身を確認する。一つも損傷していない事に安堵して、先ほどの杖もしっかりと持つ。
そしてもう一つ、冒険者ギルドから発行されている冒険者証。
身分証にもなるそれに表記されているランクはCだ。
北門の入り口で衛兵に挨拶し、冒険者証を提示する。
魔物が闊歩する密林にも立ち入れる此方側と、街とを行き来するために必要なランクはD以上。
衛兵はアズライトの顔とカードを見比べ、頷く。
「今日もポーションを納品しに来たのか?」
「はい」
「そうか……まぁ、しつこいようだが、そろそろ街に移住して来たらどうだ? おまえさんのポーションは評判が良いと聞いているし、Cランクなら冒険者としての実力も申し分ないんだ。生活は何とかなるだろう」
「評判が良いのは嬉しいですが、街で商売をするのは……」
「あの老夫婦が
この衛兵は20年以上もここを警備している50代前半の男で、アズライトを赤ん坊の頃から見ている人物だ。そのせいで、アズライトが21歳になった今でも子ども扱いが抜けないらしい。
祖父母が亡くなったのも知っているから尚更なのだろう。
しかしアズライトからしてみれば移住など絶対に考えられない。研究内容が特殊なのもそうだし、その内容を守るためには山の方がよっぽど安全なのだ。
冒険者のCランクと言えばそれなりに腕の立つ証でもあるのだし。
「せめて移動が複数人で出来るように考えろよ。それこそこっち側には、密林攻略を目指す高ランクパーティが野営していたりするんだから、補給の為に戻って来る連中に同行するとかさ」
「気が向いたら、そうします。危ない事をするつもりはないので」
「スイレンの外を移動しているだけで充分危険なんだぞ! いっそパーティでも組んでみろ!」
「人見知りが何とかなれば……」
心配してくれているのは判るため、アズライトは苦笑を浮かべて誤魔化す。
呆れられるくらいならいいが、何かを疑われるような言動は避けたい。
「まぁ性格の合う合わないはどうしてもあるからな。さぁ、通っていいぞ」
「ありがとうございます」
秘密が多いので他人とはあまり関わりたくない。
しかし心配してもらえるのは、ありがたい。相反する気持ちがぐるぐるして結局は苦笑するしかないのだが、こうして会話出来る相手がいるという事実が嬉しいのは間違いなかった。
五重の城壁なだけあって、人が並んで通れる通路がそれぞれに設けられていても陽が遮られて陰になってしまう道を通り抜け、多くの衛兵達が緊急時に備えて訓練を積む習練場の横を過ぎると、眼前に広がるのは数多の冒険者と住民が行き交う大通りだ。
実際に住んでいる人口は1,000人弱の中規模なものだが、冒険者と呼ばれる戦士達が人口以上に滞在しているため、大通りには人が溢れている。
実力を試したい、実戦を積んで強くなりたい、一攫千金を狙いたい……、理由は様々だが、そういう血の気の多い男達は、圧が強い。
魔獣や魔物を見つければ問答無用で戦闘し、勝てば容赦なくその素材を切り売りする。
当然だ、それが冒険者だ。
「だからこそパーティなんて組めないんだ……」
アズライトも判ってはいるのだ。
冒険者にだって生活があるし、自分自身がそれでぎりぎりの生活だ。売れるものは売ってこそだと思う。
だからこれは、アズライト個人の気持ちの問題。
彼は冒険者であって、そうはなれないのだから。
「さて……」
しばらく大通りを歩いていると、目の前に威風堂々とした装飾が施された4階建ての建物が現れた。
この大きな城郭都市の中でも一際大きく、賑わう場所、それが冒険者ギルドだ。
アズライトは慣れた足取りで一階の受付に近付き、カウンターで書類整理をしていた女性に声を掛ける。
「すみません、ポーションの納品をお願いします」
「承知致しました、ギルドカードはお持ちですか?」
「これです」
「確認致します、少々お待ちください」
アズライトからギルドカードを受け取った受付嬢は、それを、水晶型の魔道具を乗せた箱の中に入れて魔力を流していく。
水晶に表示される文字の羅列。
「冒険者ランクCのアズライト様でお間違いありませんか?」
「そうです」
「今回もポーションの納品をありがとうございます。こちら常設依頼となるため、買取金額は一本800モルの定額となりますがよろしいでしょうか?」
「はい」
「では納品されるポーションを提出してください」
言われた通り、持って来た『傷を癒す』『熱を下げる』『痛みを和らげる』ポーション各5本、合計で15本をカウンターテーブルに並べていった。
すると、受付嬢は目を丸くしながら『傷を癒す』一本を手に取る。
「……あの、アズライト様。ギルドに所属している私が言う事ではないのですが、これだけの品質のものがお作りになれるのでしたら、商業ギルドに登録してご自身で販売されてはいかがですか? お店を持たなくても、冒険者に声を掛ければ受注生産という形も取れるでしょうし」
受付嬢の言う事は尤もだ。
800モルで納品されるポーションは、ギルド二階の売店で販売されるのだが、その際の販売価格は『傷を癒す』ポーションで1500モル。解熱や鎮痛用のポーションも1200モルになる。
だが……。
「前回の納品時にも受付の人にそう言われたんですが、ギルドに納品するようにと、祖母からきつく言われているので」
「おばあさまにですか?」
「はい。強面の冒険者に「安くしろ」って凄まれたら断れないに決まっているんだから、最初からギルドで売ってもらえって」
「まぁ」
ふふっと受付嬢が笑う。
アズライトも困ったように笑う。
これは事実で、営業や交渉が自分に出来るとは到底思えない。祖父母のお墨付きだ。
「前回の納品というと……」
記録を確認したらしい受付嬢は、納得の表情でアズライトに向き直る。
「こちらの確認不足で失礼致しました。アズライト様の納品に関しては申し送りがあり、今回より『傷を癒す』ポーションについては1000モルで買い取らせて頂きます」
「えっ」
「また、次回以降は10本単位で一割の増額とさせて頂きますので、ぜひそうして頂ければと思います」
10本で一割ということは、1本1000モルが、10本納品すると11000モルになるということだ。
「大丈夫なんですか、それ」
「ギルド長の承認がされているので問題ありません。これからもよろしくお願い致します」
にこっとされて、はあと応じた。
驚き過ぎて頭が巧く働かない。
ともあれ今日の売り上げは『傷を癒す』ポーション5本が5000モルに。
『熱を下げる』『痛みを和らげる』の合計10本が8000モル、全部で13000モルになった。
銀貨1枚と、大銅貨3枚を受け取り、大銅貨1枚を銅貨10枚に、銅貨1枚を鉄貨10枚に両替してもらってからギルドを出た。
「……真っ白いふわふわパンを買っても許されるような気がする」
普段は5個で200モルの固い黒パンしか買えないのだが、今日は贅沢に1個130モルのふわふわパンを……!
予想外の大金を手にして心が躍る。
これはすごいおもてなしが出来そうだと思うと、わくわくして来た。
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