第2話
二人の男女はひどく困惑しているようだった。
無理もない。
扉を開けた先が異世界に繋がっているなんて普通は考えもつかないだろうし、祖父母からは『勇者召喚』で招かれた人達も混乱していたと聞いたことがあった。
アズライトは自分自身の不安や緊張を笑顔の下に押し隠し、深々とお辞儀した。
「ぁ、の、急にこのような事になって、驚かれるのも当然で、ですがこの召喚術は俺、いえ、私が実行したもので、決してお二人を此方に引き留めるものではありませんので、その点だけはご安心頂ければと思います……!」
「……え、っと……」
早口に語ったアズライトに、男はいまだ困惑の色が滲む声を発した。
「君の、召喚術?」
「はいっ」
「……魔術師、だっけ?」
「そうですっ」
「…………異世界?」
「はい!」
力強く頷いたアズライトに対し、顔を手で覆った男と、途端に目が輝いた少女。
「異世界転移だよ
「マジかぁ……」
「マジだよ絶対マジだって! だってこのヒト自分でやったって言ったもん! 魔術師だって! 見てよあの部屋の様子とかっ、めっちゃ人気のない山奥とかで怪しい薬作ったりしてそう!!」
「え、ぇっ」
「
「でもだって異世界転移!」
「でももだってもねぇ」
「!」
ゴンッ、とアズライトの目の前で男の拳が少女の頭に落ちた。痛いと怒り出す少女と、少し黙っていろと顔を顰めた男。
アズライトは二人が兄妹なのだろうかと考える。
自分がいるのに遠慮のない口論を続ける二人に呆気に取られてしまったが、そのおかげなのか、体に圧し掛かっていた重しが取れたように息をするのが楽になった。
深呼吸を一つ。
扉の向こうにいる二人に向かって手の平を見せ、その腕を伸ばす。
「!」
そんな彼の行動に気付いた二人は驚いた表情でアズライトの手を凝視していたが、扉の此方と彼方――境界線までは伸びても、そこを越えられない事に気付いて瞠目した。
「……ご覧の通り、私がそちらに行く事は出来ません。お二人が私を警戒されるのは当然なので、このままの状態でも構いません。ですから……ですから、どうかお話だけでも聞かせては頂けないでしょうか」
「……話……?」
「はい。私は、事情があって、あなたの世界の知識を必要としています。そして、私の召喚に応じて下さったあなたならば、私が必要とする知識をお持ちのはずです」
「知識……あー……まぁ、特殊といえば特殊な知識はあるけど……」
「はっ、まさかこれが魔法と科学の融合!!」
「黙れ」
ゴンッと二度目の拳が少女の頭に落ちて、少女はやっぱり怒り出す。
真面目な話をしたいのだが、どうもそんな雰囲気ではないなと思っていると、男の方が難しい顔で声を掛けて来た。
「これ、ずっとこの状態? 扉越しっていうか」
「ぇ、あ……いえ。この召喚術は特殊な条件で行われていて、私がそちらに行く事は出来ませんが、あなたがこちらに来ることは出来るはずです」
「……そっち行って、戻れなくなるって事はないんだな?」
「そんなのとりあえず試せば良くない?」
「は……、おい!?」
慎重派の男と、行動派の少女。
だが、男の心配をよそに境界線を越えて来ようとした少女は先ほどのアズライトの手と同様に見えない壁に阻まれて此方に来ることは出来なかった。
「なんで!?」
「恐らくですが、通れるのは……えっと、お兄さんだけ、です」
兄妹で合っているのだろうかと不安になりながら告げる。続柄については否定されなかったので兄妹で間違いなさそうだが、少女はひどく不満げだ。
「えーっ、正兄ちゃんずるくない!? 私も異世界行きたいっ、異世界スローライフ楽しみたい」
「ざけんな」
冷たく応じた男は、しかしその態度に反した慎重な動作で境界線まで手を伸ばし、ゆっくりとそこを越えて来た。
そう。
アズライトが説明した通り、男だけは見えない壁に阻まれなかったのだ。
「……これ、本当にそっち行って戻れなくなることはないんだな?」
「ありません!」
自信を持って答えたアズライトに、男も覚悟を決めたような顔つきになる。妹を遠ざけ、ゆっくりと歩を進め、……そうして境界線を越えて此方側に立った。
「……っ」
扉は消えない。
男は一つ深呼吸をすると、試すように一歩後ろに下がり、そしてまた一歩前に進む。
ぎゃあぎゃあ騒いでいる妹に眉を顰めながら、やはり慎重な手つきで開いている扉を、閉めた。
「……!」
驚いたのはアズライトだ。
きっと向こうでは妹も慌てているのではないだろうか。そんな二人の心境を知ってか知らずか、男は閉じた扉のノブから手を放したり、伸ばしたりを繰り返し、再び開く。
騒いでいる少女。
やはりちゃんと行き来できる身体。
そこまでやって、男もようやく安心したのだろう。扉を閉めることで妹を排除し、アズライトを真っ直ぐに見て来た。
黒髪に黒い瞳。
こちらの世界ではほとんど見られない、……噂に聞く勇者の色。
「自分も礼を失してしまい、すまなかった。少し……いや、かなり驚いたんで、正直、いまもまだよく判っていない」
「そ、それはそうだと思います!」
アズライトは慌てて応じた。
「むしろこの状況で、こうして来て頂けただけで充分です……!」
「そう言ってもらえると助かるが、……俺は
「オリベショ……イチ……?」
「ああそうか、そうだな……ショウ、と」
「ショウ、さん」
「ショウでいい。君はアズライト……だよな?」
驚いていた最中でも名乗ったのを覚えてくれていた事が嬉しかった。だからアズライトも呼び易いように呼んでほしいと思う。
「アディで構いません。祖父母がそう呼んでいました」
「そうか、では遠慮なくアディと呼ばせてもらう、……で、すまないんだが、俺はこれから仕事がある。いろいろと話を聞きたいのは此方も同じだが、夜に改めて訪ねてもいいだろうか」
「は……はいっ、もちろんです!」
「定時で上がれれば7時くらいに……あ、時間は判るか?」
「判ります。大賢者アオイトーカがこの国に齎した知識の中には、一年が365日で一日は24時間というのがあるのです!」
食い気味に反応してみせたアズライトに、正一郎は驚いたようだったが、すぐに表情を改めた。
「ちなみに今は何時だ?」
「時計がないので判りませんが……太陽の位置が南東より東寄りなので、8時前くらいだと」
「……差異は一時間もなさそうだな」
言いながら正一郎が確認したのは腕時計だ。
電波時計なので此方の世界に来てからは動いていなかったが、生じた差などほんの数分程度だろう。
「なら、夜7時に。もしかすると残業になる可能性もあるが、……連絡を取る手段がすぐには思いつかない。来なかった時は、今日は無理だったのだと思って欲しい」
「判りました。……ちなみに、何のお仕事をされているのかはお聞きしても良いですか……?」
「研究員だ」
アズライトの呼び掛けに応じてくれたと言う事は、彼が欲する知識を持つのがこの人物だと言う事になる。
だからこそ職業を知りたかった彼に、正一郎は即答した。
「科学捜査研究所といって、警察……伝わるだろうか。犯罪者を捕まえるために事件の証拠物件を調査・研究する場所で、研究員をやっているんだ。専門は法医……生物って言った方が判りやすいのか? まぁ、忙しい時には何でもやらされるから一通りの知識は有ると思う」
***
アズライトにとって未知の職業に就いていると告げた正一郎は、言っていた通り仕事のために此方から彼方へ帰って行った。
扉が閉じられても、異世界を繋ぐ扉はそのまま存在し続けた。
周辺の魔力は驚くほど安定しており、きっと術者――今回の場合はアズライトが目的を果たすまで維持されるのだと思う。
となれば、喫緊の課題はただ一つ。
生まれてから21年、初めてのお客様をどうおもてなしするかである。
「部屋は片付けた方がいいんだろうな、あ、昨日の食事がそのままだ……!」
手つかずで放置されていた食事だけではない。
怒りに任せて叩き落した研究資料は正一郎への説明で絶対に必要だし、椅子だってあった方がいいだろう。
ポーションを作るために積んで来た草花やキノコもどうしようかと悩んだが、おもてなしにはお茶とお茶請けが必須だ。むしろポーションを急いで生成し、街でお金に変えなければならない。
「いろいろまずいぞ、俺……!」
それに気付いてからのアズライトは懸命に動いた。
扉のある祖父母の遺品庫は、元々それなりに綺麗に整理整頓しているつもりなので、そのままにしておくのが無難。召喚術の影響で床に散らばった本や小物を片付けるだけで良いだろう。
では、どこに何を片付けるのか。
思いついたのは、案内する必要がなさそうな自分の寝室に片付かないものを収納しておくことだ。
少々情けない話ではあるが、見た目だけは取り繕える。
あとで必ず綺麗に片付けますとあちらの祖父母に心の中で言い訳をし、大掃除ならぬ物の大移動が始まった。
ごみや残飯は魔法で処理した他、一部は肥料にするために土に埋める。
チラと確認した畑に目立った変化はない。
いつもなら外に出るとすぐに声を掛けて来ていた小さな精霊達が、今日は一人もいなかっただけだ。
昼からは必要な資料をまとめてテーブルに置き、遺品庫から祖父母と一緒にいた頃に使っていた椅子を引っ張り出して磨き上げた。
床を掃き、窓を拭き、一先ず見た目が取り繕えた事を確認した後は、部屋の隅に移動した調合窯で『傷を癒す』『熱を下げる』『痛みを和らげる』ポーションを五つずつ生成した。自分の印を刻んだポーション専用の瓶に詰め終えると、やはりポーション専用の、瓶を固定できる布製の鞄に入れて肩から掛ける。
本音を言えば収納空間に入れてしまいたいのだが、他人には理解され難いものを研究した結果として手に入れた魔術なので、あまり知られたくない。
「……よし、準備出来た」
宝の持ち腐れってこういう事を言うんだろうな……と、後ろ向きになりそうだった思考を自分の言葉で押し止める。
こういう格好をして外に出ると、好奇心旺盛な精霊達が何処に行くのかと質問攻めにしてくるのが常だったため、静かな出発がひどく寂しく感じられた。
どの子も奪われた力を回復させるために休眠状態に入っているのだろう。
「もう……もう二度と、君達を苦しめるような真似はさせない」
精霊王がくれた機会を自分は活かす。
決意を新たにして、彼は街に向かって歩き出した。
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