第52話

「何しに来たんや」


 声を直接聞くのは何年ぶりだろうか。

 張りのある声は、年をとっても衰えるどころか、ますます威厳いげんたたえているように思える。

 思わず身が縮こまり、目を逸らしそうになった。


(だめ。ここで怯むわけにはいかない)


 葛葉はぐっと顔を上げて、久しぶりに見る雅世の姿を捉えた。


「おばあさまと話をしにきたのよ」


 声が震えそうになるのを必死に堪えながら、自らの気持ちを奮い立たせる。


「……自分から出て行っといて、何を今更。うちとはもう、話しもしたくなかったんとちゃうんか」


 まるで吐き捨てるような、呆れた声。

 じとりとした目を向けて来る雅世を、葛葉もまた負けじとじっと見据えた。


「そうよ。私は出て行った。でもそれは、虎月堂のことを捨てたかったからじゃない。いつまでも、おばあさまの言いなりではいたくなかったから。自分の足で歩きたかったから」

「それが、あんたの我儘や言うとるんや」

「確かに、親の決めた相手と結婚して、人生のほとんどと虎月堂のために捧げてきたおばあさまにとっては、我儘にしか思えなかったでしょうね」


 葛葉は右手をゆっくりと自分の胸にあてた。


「私は虎月堂が大切だけど、同じくらい自分のことも大切に思ってる。それは、私のことを大切に思ってくれている人たちがいたから。だからこそ、そう思えるようになった。おばあさまのように、自分や身内を犠牲にするばかりのやり方には賛同できない」

「賛同できひんかったからこそ、出て行ったんやろ? それが今更もどってきたところで、また口喧嘩になるだけや思わへんのか?」

「そうね。いつも電話をするたびに、お互い喧嘩腰だった。おばあさまのことなんか、理解できない! って、ずっと思ってたから」


 ふう、と大きなため息をつく。


「それは、私も悪かったと思ってる。おばあさまの上辺ばかり見て、本質的なことを全然よくわかってなかった。理解できないならできないなりに、もっと話に耳を傾けてみるべきだった。それはおばあさまも、同じことが言えるんじゃない? 私達は、もっと話をして、お互いを知るべきだった」


 雅世は何かを反論しかけて、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 自身にもまた、思い当る部分があったのだろう。

 毎日仕事に忙殺されて、孫娘とちゃんと向き合って会話したことなど無かったはずなのだから。

 そんな雅世の内心を読み取って、葛葉は言葉を続けた。


「今回、自分でも何がしたくて京都まで来ちゃったんだろうって、ずっと考えてた。でも、久しぶりに虎月堂を見て回ったり、虎月に関わってくれた人に会う中で、ようやく自分の本当の気持ちがわかったの。私は虎月堂を大切に思ってる。潰したくない」


 虎月堂の商品を熱く語ってくれた店員。

 変わらぬあたたかさで、迎え入れてくれた藍乃。

 そんな人々との出会いによって、自分がどれだけの人に大切にされてきたのかを思い知った。その恩を、感謝の気持ちと共に返したい。

 そして何より、誰よりも大切な人――蔵王が大切にしてきてくれた場所を、自分も守りたいと思った。


「私は私なりのやり方で、虎月堂を守りたい……だから」


 葛葉は雅世の目を真っ直ぐに見据え、そして言った。


「私に、後を継がせてください」


 雅世の目が大きく見開かれた。

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