第47話

 京都駅から地下鉄に乗り、烏丸御池駅で降りる。

 烏丸御池は京都の中でもオフィス街のど真ん中だ。近くには京都市役所や漫画ミュージアムなどがある。西に歩けば二条城、北へ向かえば京都御苑という、観光拠点へのアクセススポットでもある。とはいえ、住宅地と混在していることもあって、通勤時間帯でなければ通行人もそう多くはない。

 京都御苑の方向に向かって歩いていると、遠目に京町屋の老舗が目に入った。

一歩近づくごとに、心臓が脈打つ。

 たどり着いた店の看板を見上げる。古い欅材の一枚板看板には『虎月堂茶舗』と銘打たれていた。

 創業当時からあるそれをじっと見つめて、葛葉はゆっくりと引き戸に手をかけた。

 からりと引き戸を開けると、香ばしくふくよかな香りが鼻腔をくすぐる。


(ほうじ茶ね)


 日本茶では葛葉の好みは煎茶だ。甘みの中にほのかに混ざる渋みが、味わいの奥行きを感じさせてくれる。それでも、少し寒い季節になると、どこかぬくもりを感じるほうじ茶が恋しくなる。

 ちょうど焙煎をしているところなのだろう。深みのある茶葉の香りが、店内にたちこめていて、懐かしさを感じた。


「ちょっと、一人で回ってもいいかしら」


 なんとなくこの空気に浸りたくて、葛葉は隣に立つ蔵王を見上げた。

 すると、蔵王はこくりと一つ頷いた。


「もちろん。僕はちょっと奥に行ってくるから」


 去っていく蔵王を見送り、日本茶販売のコーナーを歩く。

 手前では馴染みと思しき客が、お気に入りの茶葉を買って行く。その奥では店員がお客さんと気さくに言葉を交わし、気候や体の調子に合わせた茶葉を勧めている。

 小さい頃から店を覗きに来るたびに見ていた、昔から変わらない光景だ。

 少し足を延ばし、併設の少し新しい茶菓コーナーへ足を踏み入れる。すると、「いらっしゃいませ」と声をかけられて、葛葉は思わずびくりと足を止めた。


「何かお探しですか?」

「え、ええっと」


 尋ねてくれたのは中年の女性だ。けれども、葛葉には見覚えはない。

 十年近く家からは遠ざかっていたのだ。知らない人が雇われていたとしても当然だ。

 顔見知りに人に声をかけられたらどうしようと慌てた半面、どこか残念さがよぎった。

 とはいえ、立ち尽くしているのも不審に思われるかもしれない。


「虎月堂さんって、お茶のお店のイメージが強いですけど、色んなお菓子も売ってらっしゃるんですね」


 取り繕うように笑うと、店員はぱっと顔を輝かせた。


「そうなんですよ。お菓子を作るようになったのは今から三十年前ぐらいですかね。うちの社長がお子さんにもお茶を楽しんでもらえるようにって、うちでお出ししてる抹茶を練り込んだお菓子を作り始めたそうです」

「三十年前……」


 それはちょうど葛葉がお腹の中にいた頃だ。


「なんでも、当時お孫さんが生まれる言うことで、お孫さんに食べさせるんや言うて、社長さんがえらい張り切ったはったらしいですよ。なので、うちの名物商品の『古都ノ葉(ことのは)』は小さいお子さんでも食べれるように、苦みを控えめで抹茶のまろやかさは残したほんのり甘いどら焼きに仕上げてあるんです」


 にこやかに説明をしてくれる女性の顔を、まともに見ることは出来なかった。

 じっと手にした虎月堂銘菓『古都ノ葉』を見つめる。

 胸の奥からこみあげるものが沸いてきて、葛葉は何かを堪えるように息を飲み込んだ。


「これ、一つ、いただけますか」


 いつものように笑うことは出来なくて、その言葉だけを紡ぎ出した。

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