第45話

 オフィス内を走り回っていると、会議室から出てきた蔵王の姿が見えた。


「蔵王!」


 慌てて駆け寄ると、蔵王はのんきに手を振ってきた。


「葛葉ちゃん? 随分息が乱れてるけど、どうしたの?」

「私のことはいいのよ。それより、虎月堂が大変なのよ! 龍木が、乗っ取ろうとしてるって!」


 堰切るように告げると、蔵王はすっと目を細めた。


「どうして君がそれを知ってるの?」

「さっき、陽人さんから連絡があって。お茶席で龍木の社長とその息子が、そんな話をしてたって」


 すると、蔵王はわずかに目を伏せた。


「そう……ありがとう」


 わずかに逡巡し、蔵王はオフィスの片隅にあるべンチに葛葉を誘うと腰かけた。


「実は、龍木については僕も気になって調べてたんだ」


 蔵王は「ちょっと見て」と、手に持ったノートパソコンを操作してこちらに方に向けてきた。

 画面に映し出されているのは、菓匠・龍木のホームページだ。そこには、つらつらと年表が書かれている。


「これは?」

「龍木の社歴だよ」

「随分と色んな企業と合併してるのね」

「そう。ここ数年で急速に成長してる。ちなみに、葛葉ちゃん。ここに書かれてる吸収された方の会社の名前は知ってる?」

「さすがにそれはわからないわ」


 首を横に振ると、蔵王は一つ頷いた。


「そうだろうね。龍木はもともと京都の会社じゃない。各地のあまり名が知られていない小さな同業他社を取り込んで、次第に大きくなって、最近京都に進出してきた。でも、吸収された企業は、どれも小さいながらも歴史が長く、伝統的な技術を継承してきていた店ばかりだ」


 会社によっては経営縮小に伴い、事業の継続のため合併を受け入れることもある。

 けれども、名を残すなど、合併にあたり相手側を尊重した配慮があってもよさそうなものだ。

 それにもかかわらず、龍木のホームページにそのような形跡は一つもない。


「そういう店って、結構自分の会社や店に対するこだわりが強かったりしない? それなのに、会社名の欠片も残さない形の合併なんて、よく引き受けたわね」


 訝しむように言うと、蔵王が静かに頷いた。


「それが龍木のやり口なんだよ。契約するにあたって、最初はイーブンな条件を提示してくる。でも、合併後、必要な技術や職人だけを引き抜いて、株式会社の場合はその会社の株を買い占めて、最終的には完全に吸収してしまう」

「え!? なによそれ。だったら、そこで働いてた人たちはどうなるの?」

「他社の商品も自社商品として扱うことになるから、場合によっては人件費削減のためにクビになることもあるだろうね」

「そんな……」


 それはつまり、自社の利益のために、合併相手が大切に守ってきたものや思いを、全て切り捨てていくということだ。

 利益を追求するのであれば、四の五の言っていられないのかもしれない。会社が潤えば、結果的にそこに勤める従業員は潤うのだ。

 だから、売り上げが出せない店舗や人、売れない商品は切り捨てられていく。

 葛葉が務める出版社でも同じことだ。売り上げが伸びない雑誌は打ち切られてしまう。

 いくらそこに作り手の思いが詰まっていても、利益が出ないものにお金は出せない。それと同じことだ。

 経営としては正しいと考える人も多いだろう。無駄に出費をして経営破綻でもしてしまったら、全員が路頭に迷ってしまうのだから。

 葛葉も一社員でしかない以上、上の決定に従うしかない。そのために、心苦しい思いは何度かしてきた。

 けれど、それにしたって、この龍木のやり方は、あまりにも姑息だ。


(そんな、人を物のようにしか見てない会社に、虎月堂が合併されてしまうの?)


 きゅっと胸の奥が痛くなった。


(私ならそんなことさせないのに)


 ふとそんな思考が頭の中をよぎって、慌てて頭を横に振った。


(って、何を馬鹿なこと考えてるのよ)


 我ながら突拍子もないことを考えてしまったものだと思う。

 けれども、何故かそれを一笑に伏すことは出来ず、そのままぼんやりとホームページを見つめていた。

 すると、ぱたりとノートパソコンが閉じられた。


「さて。それじゃあ、僕は少しの間、京都に帰るね」


 蔵王はノートパソコンを鞄にしまうと立ち上がった。


「もしかして、おばあさまに会いに?」

「うん。どういう経緯で龍木と交渉するに至ったのか。現段階でどこまで話が進んでいるのか。メールや電話じゃなくて、直接雅世様と話をしたいからね」


 不安げに見上げる葛葉の視線に気付いたのか、蔵王が元気づけるように微笑んだ。


「心配しないで。悪いようにはしないから。虎月堂のことを気にかけてくれてありがとう」


 その瞬間、葛葉の中の警鐘が鳴った。

 じゃあ、と言って去っていこうとする蔵王の袖を、反射的につかむ。

 驚いたように振り向く蔵王を、葛葉は真っ直ぐに見つめた。


「ちょっと待って。私も行く」

「葛葉ちゃんも?」


 どうしてと言いたげな静かな目に、一瞬、返す言葉が見つからなかった。


「……わからない。でも、どうしても今回は帰らないと駄目なような気がするの」


 いつか、京都に行く。先日蔵王とそんな話をしていた矢先の、突然の出来事だ。まさか、こんなに早く帰ることになるとは思っていなかった。

 京都に戻って何をするのか。どうしたいのか。そんなことは、まだよくわからない。

 でも、居ても立っても居られなかった。


「そっか。じゃあ、行こうか」


 蔵王はそれ以上何も聞かずに、ぽんぽんと葛葉の頭を撫でてくれた。

 その手がとてもあたたかくて、何だか泣き出しそうになった。

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