第18話
瞼の向こうから明るい陽の光を感じて、葛葉はゆっくりと目を覚ました。
(……あれ……?)
寝ぼけ眼をこすると、まず視界に入って来たのは、見慣れない照明だった。
白い天井のデザインはよく知ったものだ。けれど、そこに取り付けられた近代的なデザインの照明には見覚えがない。
ゆっくり身体を起こそうとしたが、全身に感じる気だるさに、うまく身体が動かない。
いつもよりふかふかに感じる枕の上で頭だけを動かして、部屋の中を見渡した。
葛葉の自宅と似たような構造。そして、同じ壁紙だ。
けれど、ダークブラウンを基調とした家具はシックながらも古めかしさを感じさせないお洒落なインテリアだ。殺風景にならないように壁や棚に飾ってある絵画や置き物は、部屋によく馴染んでいる。
明るい太陽が差し込む大窓のカーテンも、葛葉の部屋のものとは全く異なる。
ということは、ここは――
(私の部屋じゃ、ない!?)
どういうこと!? と叫びかけた葛葉の元に、ゆっくりと近づいてくる影があった。
「葛葉ちゃん、おはよう。よく眠れた?」
キッチンの方からやってきたのは、蔵王だった。
直前までの記憶の中にある蔵王とは異なる、少し着崩した別のワイシャツとラフなズボンを着用している。
「ざ、ざ、蔵王? ってことは、もしかしてここって……」
「僕の部屋だよ。葛葉ちゃん、昨日あのまま倒れ込んで、そのまま眠っちゃったから、連れて来たんだよ」
「え、え……えええええ!?」
慌てて自分の格好を見る。確かに昨日と同じ服のままだ。
「ああ、変なことはしてないから、安心して。僕はリビングのソファで寝たから」
葛葉の内心を読んでか、蔵王は楽しそうに笑った。
「とりあえず、もう昼過ぎだから。何か昼食替わりになるものでも作るよ。食欲はある?」
「えっ! 昼過ぎ!? 私、そんな時間まで寝てたの!?」
「うん。会社にはとりあえず、葛葉ちゃんは今日は休むって連絡しておいたよ。ちょうど森井さんに、ウェブ記事のひな型のことで報告したいこともあったからね」
「ちょ、ちょっと待って。私は今、それどころじゃないのよ。休んでる場合なんかじゃ……」
慌てて起き上がろうとした。けれど、
「駄目だよ」
有無を言わせぬ声に、葛葉は思わず動きを止めた。
蔵王に普段のような笑みはなく、金縛りにあったように声も出せなかった。
「葛葉ちゃん。最近まともに寝てなかったでしょう? 帰り道に急に気を失って倒れるなんて、余程のことだよ。あの時僕が抱き留めてなかったら、頭を打っていたかもしれないんだよ?」
「そ、それは……でも……増刊号の納期が」
「それって、葛葉ちゃん一人がこなさないといけないものなのかな? ちゃんと、同じ部門の仲間には共有してるの?」
「いや、でも、ちょうど香織も小西君も忙しくて」
「でもそれって、葛葉ちゃん一人が寝る時間さえ削って全ての業務を負う、ていう理由にはならないよね?」
返す言葉が無くて、葛葉はうっと黙り込んだ。
「葛葉ちゃんはいつも、そうやって一人で背負い込もうとする。確かに葛葉ちゃんは体力もあるんだろうし、頭も人一倍回る。きっと一人でも、やろうと思えばやり遂げられるんだと思うよ。でもだからって、そのために自分の身体に鞭を打つばかりじゃ、いつかはそのツケが回ってくるんだよ」
そこまで言ってから、蔵王はベッドの横に膝を付いて、葛葉の顔を覗きこんできた。
「頑張り屋な葛葉ちゃんのこと、僕は尊敬しているよ。けど、そのせいで葛葉ちゃんが体調を崩すのは見過ごせない。葛葉ちゃんだって、結果的に仕事ができなくなるのも辛いんじゃないかな」
蔵王は、決して葛葉を咎めているわけではない。彼の目を見ていれば、葛葉を心配し気遣ってくれているのだということが伝わってくる。
蔵王の言葉は正しい。そう痛感して、葛葉は目を伏せた。
「……確かに、その通りね」
「とりあえず、今からでも増刊号のことを他のメンバーに共有して、可能なら手伝ってもらったら? メールを打つのが辛いなら僕も手伝うし、会社に届けるものがあるなら僕が請け負うよ。今日は一日、在宅仕事する予定だったから、割と自由に時間が使えるからね」
「大丈夫。久しぶりにぐっすり寝たから、だいぶ気分も良くなって来たし」
寝起きで気怠かった身体も、横になったまま蔵王と話しているうちに、だんだん力が戻ってきた気がする。
ゆっくりと身体を起こして、ベッド脇に置かれた鞄を手に取った。
そんな葛葉をじっと見ていた蔵王がため息交じりに言葉を漏らした。
「連絡が終わったら、部屋に帰って今日はゆっくり休むといいよ。でもせっかくだから、昼ごはんくらいは食べていってよ。甘えるべき時は、ちゃんと甘えていいんだからね」
「蔵王……ありがとう」
ごく自然に、ぽつりと言葉がこぼれ落ちた。
言ってしまうと、一気に肩の力が抜けた。
ぽふりと身を持たせかけた枕はとても柔らかくて、葛葉は手にした鞄をそっとベッド脇に置いた。
蔵王は一つ頷いて、葛葉の頭をゆっくりと優しくなでてくれた。
「今からお昼を用意するから、ちょっと待っててね」
蔵王は嬉しそうに笑って、キッチンの方へと向かっていった。
蔵王が用意してくれたのは、サツマイモが入った味噌汁、ほうれん草のお浸し、出汁巻き卵、焼き鮭、そしてほかほかの白ご飯という、シンプルながらも今の葛葉にとってはちょうどいい和食メニューだった。
「いただきます」
ソファの前のローテーブルに正座して着席し、手を合わせてから箸をとる。
味噌汁を啜ると、程よい塩加減にサツマイモの甘みが加わったその味が、疲れた体にじわりと沁みわたっていく。
(この味……何だか懐かしい)
サツマイモを入れた味噌汁は、葛葉の好物の一つだった。
京都で暮らしていた頃、よく食卓に並んでいたものだ。
当時は蔵王の母が家政婦として雇われていて、夕食の準備なども取り仕切っていた。
でも、その家政婦さんはどちらかというとおっとりぼんやりとしたタイプで、何かとドジをやらかす人だった。
だがシングルマザーで行き場がないため、雅世が温情をかけて雇っていたのだ。
なのでむしろ、息子である蔵王の方が、まだ若かったにも関わらず細やかに動いていた気がする。
(もしかすると、夕飯の準備も、蔵王が手伝ってたのかも)
もし本当にそうならば、今もまたてきぱきと準備してくれた蔵王の手際の良さにも、妙に納得がいく。
(今や新進気鋭の人気ウェブデザイナーだけど、実は料理上手で家庭的って……完璧過ぎるじゃない)
これぞまさしく香織の言う、優良物件という奴なのだろう。
そういえば、蔵王は小さい頃からモテていた気がする。
同世代の中では背が高い方で、顔立ちも整っていた。だから、葛葉が一緒に並んで歩いていると、周りのクラスメイトたちから羨ましがられたものだった。
蔵王が同級生の女子たちからどのような目で見られていたのかは、学年が異なる葛葉の知るところではなかったし、見かけたこともなかった。でも、きっとバレンタインなどは大量のチョコを貰って帰ってきていたに違いない。
幼心にそんなことを想像しては、何となく切ない想いをしていたことを思い出した。
そう思うと、自分にとって蔵王は、まぎれもなく「初恋の人」だったのだろう。
(そんな相手とこうしてまた再会して、一緒に居るって、本当に何だか恋愛ドラマか何かみたいな状況よね)
そこまで思い至ってから、葛葉はハッと我に返った。
(って、私ってば何を考えてるのよ!)
まるで、蔵王を今も恋愛対象として見つつあるみたいじゃないか。
ぴたりと箸は止まり、不覚にもそう思ってしまった自分に赤面した。
考えを打ち消すように内心で首を横に振り、気を取り直して食事に集中する。
どれも適度な塩加減で、弱った体でも最後まで美味しく食べきることができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます