第4章 幼なじみとパンドラの箱

第16話

『とろり蕩ける甘いチョコレートに、貴女の気持ちを表す情熱の赤いリボンを添えて』

『有名ショコラティエが手掛ける、ちょっとビターな高級ショコラは、頑張る自分へのご褒美に』


 そんなうたい文句を眺めながら、葛葉はカメラマンとの打ち合わせの電話を切った。

 雑誌作りは、だいたい二ヵ月前から企画を出し、編集部内の会議によって決定していく。

 なので、十一月中旬に入った今は、年末発売の二月号の記事作成に奔走している。年末進行も相まって、普段と違うスケジュールに何かと慌ただしさが漂う。

 二月といえばやはりイメージしやすいのはバレンタインデーだろう。やはり、本格志向の高級チョコレートの特集などは需要が高い。

 葛葉の所属する旅行部門は、基本的にはその名の通り旅行に関連したもの――旅館の紹介や飲食関連の紹介記事に取り組むことが多いが、その他にも、高級レストランが絡んだ食品、おもたせ、お取り寄せグルメ関連なども扱っている。

 おもたせを愛する葛葉にとっては、多種多様なチョコレート専門店や新作ショコラを特集するこの企画は、毎年楽しみでもある。

 一方で、大晦日直前というタイミングでの発売となるので、新年ならではの神社仏閣の祭事系の記事、開運や占い関連の記事も欠かせない。

 盛りだくさんな内容となる分、気合も入るものだ。


「うーん……バレンタイン記事って、男目線ではなかなか難しいんすよねえ……」

「そう? むしろ、男性目線も大事だと思うけど」

「そうなんすけど。俺、普段あまりチョコレートとか食べないんで」


 つまらなさそうな表情で、両手を頭の後ろに回して椅子にもたれかかる憲太を見て、葛葉は首をかしげた。


「まあ、そういう男性も多いのかもしれないけど。でも最近は男女問わず健康志向だから、甘ったるいものよりビターだったり甘さ控えめのものも人気よ? チョコレートの効果とかも色々検証されてるし」

「俺としてはそれよりも、もっとこう……おつまみ的なものが嬉しいんすけどねえ。森井先輩もそうっすよね?」

「ちょっと。何で私があんたと同じのんべえ仲間みたいな言い方されてるのよ」


 急に話を振られた香織が、葛葉の隣のデスクから憲太を睨んだ。


「私は今、神社の御守り特集の調整に入ってて集中したいんだから。どうでもいい話に巻き込まないで頂戴。」

「ああ、縁結び系の御守り特集みたいなやつでしたっけ」

「新年の初詣需要と、バレンタイン需要、どちらにもうってつけだものね」

「そうそう。それなりに見た目も可愛くて、かつ、これまでにあまり特集されてないような神社を探して、ね。ページ数は少ないけど、対象地域が東京周辺に偏るわけにもいかないから、結構調整が大変なのよ」


 ふんっと鼻を鳴らす香織に、憲太がふっと笑いながら肩をすくめた。


「なるほど。森井先輩自身もついでに、縁結びのご利益あるといいっすねえ」

「あんたは無駄口ばっかり叩いてないで、手を動かしなさいよ。まだアポ取り終わってないんでしょ?」

「あ、そうだった! 頑張るっす」


 憲太も慌てて自分のデスクに視線を落とす。その様子を見て、葛葉は小さく苦笑いした。

 皆がそれぞれに担当している企画の進行に忙しくしている。

 とはいえ、平常通り段取りよく物事が進めば、基本的には「締め切りに間に合わない!」といったことはない。

 憲太のようにまだ不慣れな新人ならともかく、長年この仕事に携わってきている葛葉や香織となると、ある程度は取材先やカメラマン、ライターなどのツテや候補も増え、臨機応変に対応できるようになってくるからだ。

 そう、平常通りに事が進めば――


「虎月さん。ちょっと話があるんだけど、ミーティングルームまで来てもらっていいかしら?」


 突然声をかけてきたのは、編集長の利佳子だった。


「あ、はい。大丈夫です」


 この部門の中では、葛葉がリーダーを任されている。

 ちょうど、手が離せないような作業をしていたわけでもない。葛葉は会議用のノートパソコンとメモ帳など一式を持って立ち上がった。

 歩き出した利佳子の後を追う。いつもは冷静沈着な利佳子が、どこか慌てているように見える。


(一体どうしたんだろう)


 何となく胸騒ぎを覚えながらも、利佳子に促されるままに会議用のスペースへと入り、利佳子と向かい合って座った。

 それと同時に、利佳子がはあ……と大きなため息をついた。


「急にごめんなさいね。ただでさえ忙しいのに」

「何か穴でも空きましたか?」

「大当たりよ。実は、十二月初旬発売の『大人の暮らし手帖 増刊号』のことなんだけど……」


 利佳子は言いながら、持ち歩いていたキャリングケースから複数枚の資料を取り出した。


「一月中旬からスタートする新ドラマの特集を、巻頭から組んでたでしょ」

「えっと、確か歴史ものの……ですよね」

「そう。で、もう取材も終わって、原稿が上がってきたんだけど……」


 そこで、再び利佳子はため息をついた。


「総取っ替えしなきゃならなくなったのよ」

「え!? どういうことですか?」

「実は主演の女優さんが恋愛スキャンダルで急に芸能界引退するとかで降板することになって。ドラマの方も全部一からキャスティング練り直しの撮り直しになるんですって」

「えええええええ!?」

「ドラマ自体の放送時期も結構遅れるみたいでね。芸能部門はとりあえず、次の増刊号に向けて一から取材のし直しに追われている状態なの。だから、増刊号は急遽別の内容の特集をしようという話になったってわけ。で、白羽の矢が立ったのが――」

「旅行関連記事、ということですか?」

「そういうこと。高級志向のラグジュアリーホテル特集はいつも受けがいいし、雪景色を楽しめる露天風呂付個室のある温泉旅館とかもいいわね。もしくは、冬のグルメお取り寄せ特集とか……」

「えっと、だいたい何ページ分くらい穴が開いたんですか?」

「十六ページよ」


 葛葉は、心の中で小さくため息をついた。


「なかなかの量ですね」

「そうなのよ。だから申し訳ないなとは思っているのよ。でも、旅行部門って貴女を筆頭に、引き出しが多いじゃない? 以前も穴が空いた時に対応してくれてたから、今回もお願い出来ないかなって。可能な限りのサポートはこっちもやっていくから」


 言いながら、編集長は両手を合わせて「この通り!」と頭を僅かに下げた。


(編集長だって、辛い立場よね……)


 順調に進めていた企画が、まさかの没になってしまったのだ。

 編集長だけでなく、その企画に関わっていた多くの人達が、つらい想いをしているはずだ。

 とはいえ、ひと月分の作業を二週間ほどで詰めて行う必要がある。

 手帳を開き、自分のスケジュールを確認する。


(今回は小西くんと分担してのバレンタイン特集だし、もうある程度取材先の目星はついてる。ライターさんとカメラマンの調整はもう進めてるし)


 取材相手の都合もあり、正直、決して余裕があるというわけではない。頑張ればギリギリというくらいのものだ。

 でも確かに利佳子の言う通り、自分にはある程度の引き出しがあるという自信はある。何とか時間を作って取り組めば、間に合うのではないだろうか。


(香織も取材調整の目星はつけて当たってたし。こっちがある程度、増刊号用の企画を立ち上げて地盤固めしておけば、増刊号の方にもスムーズに取り掛かれるはず)


「わかりました。こちらの方で、何とか企画を立ててみます」

「ありがとう! 本当に助かるわ」

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