第55話 お帰りなさいませ、お嬢様


 今日はカフェ『アルカンジュ』で、久し振りの仕事となる。

 少し筋肉がついた所為せいか、シャツがピッチリとして動きにくい。


 ――カランコロン。


 ドアベルの音に――いらっしゃいませ――と俺は頭を下げる。


「そこは――『お帰りなさいませ、お嬢様』――でお願いするっスよ! センパイ」


 と時雨――コイツはぐ調子に乗るな。


 本来なら――却下だ! ここはそういう店ではない――と注意するところだが、今は他に客もいない。


 ――まぁ、いいだろう。


「お帰りなさいませ、小雨お嬢様」


「はわわわわっ!」(これは思っていたよりも強烈っスね……クセになるっス)


 莉乃みたいな反応を見せる。


「それ、ボクもお願いしていい?」


 とは真夏だ。二人は俺が北海道に行っている間、バイトに入ってくれていた。

 今日はそのお礼を兼ねて、おごる約束だ。


 店の売り上げにも貢献こうけん出来るし、この店の味を二人にも――もっと知って欲しい――というのもある。


「お帰りなさいませ、真由お嬢様」


「ああ」(こ、これはいいな……また、お願いしたいな)


「じゃあ、次は私ね」


 と白雪さん――いや、貴女……店長でしょうがっ!


「ダメかしら?」


「ダメではないですから、その上目遣いを止めてください」


 莉乃以外の女性にドキドキしてしまうのは、罪悪感があるが……相手が白雪さんでは仕方が無いだろう。


「あらあら」


 うふふ――と可愛らしく笑う彼女に、


「お帰りなさいませ、白雪お嬢様」


 俺はお辞儀じぎをした。


「まぁ♥ ちょっと照れているみたい……後で個人指導が必要ね」


「いや、この店では必要ない挨拶ですよ」


「あらあら」


 白雪さんは再び微笑んだ。

 この人の場合、冗談なのか本気なのか、いまいち分からない。


「では、お嬢様方――こちらです」


 俺は二人を席へと案内する。そして、椅子いすを引き座らせた。


「苦しゅうないっス」「ありがとう、ユーキ」「あらあら」


「――って、何で白雪さんまで!」


 ちゃっかり、二人に混ざろうとする白雪さん。

 ダメかしら?――と困り顔を向けられた俺。


 ――正直、対応に困る。


「あっしはいいっスよ! 店長、可愛いっス!」


「ボクも問題ないよ」


 ――まぁ、二人がいいと言うのならいいか。


「じゃあ、しばらく二人の相手をお願いしますね。お客様の対応は俺がしますので、ゆっくりしていてください」


「ありがとう――だから、勇希くんの事、好きよ♥」


 ――はいはい。


「俺も……店長の事、大好きです」


「あらあら」「浮気っス」「浮気だね」


 ――何でだよ。


 二人が客の少ない時間に来てくれたので問題ないが――いや、こういう気遣いが出来るのは時雨か。態々わざわざ、時間を合わせて来てくれたのだろう。


 時雨の頭をポンポンする。


「きゅ、急に何スか? だが、もっとお願いするっス」


「じゃあ、ボクもそれで」「私も」


 二人とも、どうしたのだろうか?――いや、三人か……妙に仲良くなっている。


 ――共通の敵でも見付けたのかな?


 などと冗談で理由を考えてみた。

 まぁ、普通に夏休みのバイトで意気投合したのだろう。


 女性同士はそういうところがあるよな。


生憎あいにく、当店ではそのようなサービスを行っておりません」


 俺は店のメニュー表を渡すと、


「メニューにつきましては、こちらからお願いします――では、決まりましたら、お呼びください……お嬢様方」


 と言って席を離れると、俺は本来、白雪さんがよく居る定位置に移動した。

 ここからは、店内の様子がよく見渡せる。


 ――あまり、そばで聞き耳を立てるのも失礼だよな。


 しばらくして、メニューが決まったようなので向かう。

 呼ばれる前に動くのが基本だ。


「お嬢様、メニューは決まりましたでしょうか?」


「はいっス! あっしはオムライスのドリンクセットと『センパイのあ~ん付き』をお願いするっス」


「????」


「ボクはね、今日のパスタとコーヒーのセットで『顎クイとドキドキする台詞』をお願い」


「????」


 ――落ち着こう、俺。


 えっと……時雨だけならフザケテいると取れるが、真夏まで?


 俺は白雪さんに視線を向けると、手にはマーカーを持っていて、何やらメニューに細工をしていた。


「ふぅー、これでよし……」


「何がですか?」


 一仕事終えたような態度の白雪さんに質問すると、


「私はこの『お姉ちゃん大好きと言いながら肩を揉む』と『キュンキュンする台詞』をお願いね」


 ――何、この人……何故なぜ、メニューを勝手に追加してるんだ?


「ダメかしら?」


 まぁ、急にバイトを休んだ俺が悪い。

 俺は溜息をくと――


「今日だけですよ」


 とつぶやく。後にこの事が莉乃と雛子の耳に入って、面倒な事になるのだが――それはまた別の話である。

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