処方5.少し我慢してください、チクッとしますね。

第52話 わたしを見付けてください。


 ユーキくんとの初めての海……その旅行から帰ってきた夜――


「ただいまー」


 と言ったわたしに、


「お帰り」


 と直ぐ横で返してくれるユーキくん。


 ――はわわわわっ!


 いつものように、彼の顔を見る事が出来ません。


「雛子、今日は泊まるか?」


 無事、家に帰ってきたので、気が緩んだようですね。

 ユーキくんに手を引かれ、ヒナコちゃんは眠そうにウツラウツラしています。


 ヒナコちゃんはその言葉に、コクリと頷きました。

 彼は当然のように苦笑します。


 そして、ヒナコちゃんを抱きかかえると、洗面所へ向かいました。

 歯を磨いて、寝かせるのでしょう――寝かせ……何処で?


「ユ、ユーキくん⁉」


 思わず、わたしは声を上げてしまいました。


「何?」


 とユーキくん。足を止め、振り向いて、首を傾げます。


「あ、あの――ヒナコちゃんは女の子ですよ……」


 違います――わたしが言いたいのは、そこではありません。

 ユーキくんはキョトンとした後、苦笑すると、


「知ってるよ。俺のお姫様だからね……」


 そう言って、ヒナコちゃんのひたいに自分のひたいをくっつけます。


 自然な動作ですが――それを止めて欲しい――と思うわたしは、悪い子なのでしょうか?


「雛子、どうする? 莉乃が雛子と一緒に寝たいみたいだけど……」


 ――違います!


 ですが、ユーキくんはそう受け取ってしまったようです。

 ヒナコちゃんではなく――わたしと一緒に寝て欲しい!


 そんな事を考えてしまうのは、確かに可笑しな話ですね。

 可笑しな話ですが――どういう訳か、胸が苦しくなります。


「うー、兄さんがいい……」


 とヒナコちゃん。

 お願いですから、ユーキくんに……そんなに強く、抱き着かないでください。


「だってさ……悪いけど、今日は俺の部屋に寝かせるよ――」「ダメです!」


 はうっ! わたしは何を言っているのでしょうか⁉

 急に大きな声を上げたりして――ユーキくんがおどろいています。


「い、いえ……その――ゴメンなさい!」


 わたしは、どうしたらいいのか分からなくなり――駆け出すと、自分の部屋に逃げ込みました。


 良く分かりませんが、ユーキくんが女性に興味があると知った途端とたん――彼の周りにわたし以外の女性が居る事が、どうしようもなく嫌で嫌で仕方が無くなってしまいました。


 ――わたしは嫌な女ですね。


 しばらくして、部屋をノックする音が聞こえました。

 鍵など掛かっていません。


 いつもはユーキくんしか居ませんし、サクヤさんがわたしの部屋に来る事はほとんどありません。


 ――だから、入って来てください。


 そうしてくれれば、今のこの嫌な気持ちは、全部無くなると思うのです。

 だって……いつも、彼の言葉がわたしを助けてくれました。


 ――わたしを見付けてください。


「莉乃、大丈夫? 明日はゆっくり寝てていいから――」


 でも……わたしの願いは届きませんでした。


「おやすみ……」


 その言葉と同時に、足音が遠ざかります。

 行かないでください!――と言えば良かったのでしょうか?


 昨日までのわたしなら、簡単に言えた事なのに――今はすごく、難しくなってしまいました。


 それにしても、何故なぜ、ユーキくんはこうもあっさりと居なくなって……。


 ――そういえば、電気を消したままでした。


 ダメですね……わたし――ダメダメです。

 この部屋にもすっかり慣れて、今では本当の自分の部屋のように感じます。


 ――全部、ユーキくんのお陰ですね。


 いつもなら、この時間はユーキくんと一緒に――食器の後片付けをしたり、リビングでテレビを見たり、明日の予定を相談したりするのですが……。


 きっと、わたしも疲れている――そう思っているのでしょう。

 だから、彼はわたしの分も頑張ります。そういう人です。


 ――その気遣いが、今は寂しいです。


 本当なら、もっと楽しい気分のはずでした。

 はずだったのですが――ユーキくんにこれ以上、迷惑を掛けたくありません。


 ――本当の事を言いましょう。


 わたしのために演技をしてくれて、ありがとうございます。

 でも、もう気付いてしまいました。


 ユーキくんも普通の男の子だったんですね。

 わたしはもう大丈夫ですから――と。


 ――あれ……可笑しいですね。


 目から涙があふれて来ました。止まりません。


 以前は多くの男の人が怖かったはずなのに、今はそんな誰かよりも、たった一人の男の子が怖いなんて――『変』ですね。


 その男の子と一緒に居られなくなる事が、こんなにも恐ろしい事だったなんて!

 そんな時です。電話が掛かって来ました。


 ――マユちゃん?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る