第20話 波乱の夕食会

やっと一週間が過ぎ、夕食会当日。

振袖はおろしたての張りをもって輝いている。金襴緞子とまではいかずとも刺繍をふんだんに施した絹はしっとりと重い。髪はきっちり結い上げて、母の形見のかんざしを指した。

この日ばかりは働くぞと万智子ははりきっていたのだが、健の母にあっさりと役目を言い渡された。

「万智子さん。おじい様のお相手をお願い」

 悠の実の父親である桐島壮介氏だ。万智子はこれまで挨拶以外で口をきいたことはなかった。

 招待客は五時ごろから集まるという話だったが、壮介氏は早々に葉山の別邸からいらしていた。万智子は菓子と茶をもって客間に出向いた。

「おじい様、真田万智子です。お茶を入れました。よろしかったらどうぞ」

 しかし、壮介氏はちらっと万智子を見返ると、再び窓の方に眼を移した。

「菓子はいらん」

 出鼻をくじかれ、万智子は困ったがそのまま黙って隣に座った。

「悠はどうしている」

 少し甲高い嗄れ声が突然万智子に向けられた。

「はい、元気で学校に通っています」

「あれは、絵をかいているのか」

 万智子は言葉に詰まった。確か悠は桐島家では絵がかけないといっていた。ということは望ましくない行為なのかもしれない。

「心配しなくてもよい。かきたいなら描くべきだ。母親の才能を受け継いでいるならなおのこと」

 思わず万智子は云った。

「そう思っていらっしゃるなら、悠君に伝えてくださいませんか」

 壮介氏が身体ごと振り返ったので、万智子は失礼に当たったかとへどもどした。

「いえ、その、もしわたしだったらそう云ってもらいたいかもしれないと思ったので・・・」

 しかし、壮介氏は別に怒ったりはしなかった。ただ、改めて万智子に視線を合わせた。

「君は、なぜここにいるのだね?」

 唐突な問いかけだった。

 万智子はとっさにどう答えるべきか迷った。まさか、桐島家でまだ正式に認めてもらっていないということだろうか。

「健さんと婚約のお話がありまして、参りました」

壮介氏の白い眉毛が跳ね上がった。悠のくせはこれだわ。妙なことを発見して、万智子は面白がった。

「健と? ほう、なぜ?」

 さも意外だといわんばかりの口調に、万智子は困った。

 と、そのとき、表のほうで何か言い争うような声がきこえた。訪れてきた親戚達とは違うような感じがした。壮介氏は眉をひそめた。

「何事だ?」

「みてきましょうか」

 万智子は腰を浮かしかけたが、騒ぎのほうが先にドアを押し開け、転がり込んできた。

 派手な着物を着た若い女性が立っていた。すこし崩した着物の着方からして商売筋である。ふらりと一歩部屋に踏み入れ、眼だけで辺りを見渡した。そして、万智子のところで、視線を止めた。

「健さんはどこ?」

 涙声だ。見れば顔の化粧も汚れて、目のふちが赤くなっている。

 口を開こうとした万智子に壮介氏が眼で制した。

「ここにはいないが、なんの用だね」

 壮介氏が答えた。

「あんたは誰?」

 女は張り付いたように万智子から視線を放さない。今度は万智子は答えた。

「真田万智子といいます。あなたはどなたですか」

「アタシ?」

 甲高い声が笑った。あぶくがはじけ飛ぶような嬌声。

 そのとき、息を切らして健が駆け込んできた。健は万智子と壮介氏の顔を見るとぎょっとしたが、つかつかと歩み寄るなり女の腕を取った。

「さ、くるんだ。ここは君の来るところじゃない」

 女は袖を振り払った。

「じゃ、どこならいいのよ」

 万智子は無意識に開きっぱなしのドアを閉めようと立ち上がり、壮介氏に止められた。

「健、そのひとはどなただね」

 健は万智子の視線を避けるように、顔を壮介氏に向けた。

「おじい様、お騒がせして申し訳ありません。すぐ済む話ですので、失礼します」

 見たこともないゆがんだ笑顔だった。健の手は若い女を掴んだままだ。女はふてくされて、横を向いているが、健にもたれかかるようにして立っている。

「健兄さま、そのかたはどなた?」

 訊こうと思うより先に声が出ていた。えらく遠いところから聴こえてくる声だ。本当に自分の声かしら。

 健の足が止まった。そのまま万智子に背中を向けたままで、健は云った。

「あとでちゃんと話すから」

 万智子は目の前が真っ暗闇に沈んでいくような気がした。

 しかし、そのまま沈み込む一歩手前で、聞きなれた剣のある声が遮ったのである。

「今、はっきりさせてください」

 悠であった。

 

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