第16話 発表会

万智子にとって無我夢中の三週間が過ぎた。

 一学期の成績表は全甲で、母の墓前に捧げられた。今年は悠の成績表と並んでいたが、彼は絵が好きなくせに、頭脳は理系で、国語の成績は乙である。ちょっと優越感。

 夏休みに入っても万智子は一週間毎日学校へ通った。大きな模造紙に項目を書くために、被服室の大きな裁ち板の上を使ったりした。

「いよいよねえ」

 こっそりと持ち込んだラムネをバケツに冷やしておいたのを飲みながら、早苗が云った。

「知ってる? 明日って、男子学生も来るそうよ!」

 万智子はびっくりした。

「女子大との合同じゃなかったの?」

「それが、聴講するんだそうなの。お父さまに聞かせてやりたいと思っていたけど、断然はりきっちゃうわね」

 緊急追加課題として、明日着ていくリボンの色から着物の柄まで打ち合わせした。やるからには派手にいきましょうとお祭り好きな早苗は云った。

 翌朝、合同研究発表会当日。

 流石に身体は疲れていたが、それよりは充実感が勝り、万智子は気分がよかった。あとは明日発表をするだけである。それが終わったらどんな気持ちになれるのだろうか。不安であり、楽しみであった。やれるだけのことはやった。評価はどうあれ、女学生時代の軌跡となる。それが今回最大の目的であった。

 会場は専門課程の方の大講堂である。

 女子専門課程の三校の国語研究会がそれぞれ発表をする。今回は会場が万智子の学校だったので、下級生が特別発表の場を与えられたのだった。

 万智子らの発表は一番最後の予定である。講堂は専門課程の研究室員や他校生で、はやいっぱいになっていた。そして早苗の情報通り、白いワイシャツの学生が片隅を占拠していた。

「あれ、工業大学よ」

 どこから仕入れてくるのか早苗はささやいた。

「ね、読みが当たったわね」

 専門課程の先輩方は、そろって紫の袴に水色の紋付を着ていた。色こそ違え、他校の女学生も、紺や黒のきりりとした色合いである。

「でも、目立ちすぎやしない?」

 万智子と早苗は赤の矢羽の単に海老茶の袴を合わせ、朱鷺色のリボンを結んだ。

「それがねらいじゃないの。お隣のお姉さんが云っていたのよ。上の学校に進んだら、単は渋く決めるんだって」

 こほんと先生に咳払いをされ、二人は口を押さえた。

 源氏に和泉に万葉集の研究が先輩達の手で発表された。特に源氏物語を研究課題としたのは万智子の学校の先輩で、聞く人を唸らせるほど見事なものだったから、司会の先生がこんなふうに紹介をした。

「最後に、彼女達の後輩が、宮廷では紫式部の先輩であった清少納言の研究発表をいたします」

 立ち上がって、拍手の中、礼をしながら、早苗が顔をしかめてよこした。

「なにも戦うわけじゃないわよ」

 万智子は片目をつぶって見せた。

 ふたりの研究発表は枕草子から離れ、清少納言そのひとの考え方についてまとめていた。源氏に比べると専門文献は多くなかったが、また解釈も少なかったので自分たちの自由な意見が云えると思ったからである。

 先輩達より短いもち時間の中、精一杯の発表を終えたとき、会場には拍手がおきた。彼女達を推薦してくれた先生が頷いてくれた。

 早苗と万智子は並んで立ちながら後ろ手に握手をした。

 これで終了のはずだった。そのとき、すっと会場から手をあげるものがいた。

「おや、質問でしょうか」

 万智子らの発表は特別なので質疑応答はないはずであった。ぎょっとしてそちらを見ると、万智子は思わず口走った。

「悠君!」

 いつのまに紛れ込んだのか、悠が制服姿で聴講生の集団の一番後ろの席に座っていた。

 早苗が万智子の視線を追い、目をくるりを回した。

「悠君って例の? あらまあ!」

 悠は許可を得て、立ち上がった。こうしてみると、悠は大学生の中にたちまじっても見劣りしない。背が高いせいか、端正な顔立ちのせいか。女学生達の好奇の視線が一斉に注がれている。

「聴講させていただきまして、ありがとうございました。発表の中で、平安の宮廷にあった清少納言含む女房たちが職業婦人であったというご意見ですが、それは現代と比べての発想でしょうか」

 核心をついた質問だった。会場は面白そうに万智子らに視線を移した。しかし、早苗は肘で万智子をつついた。

「あなたが答えてよ?」

 万智子は息を吸い込んだ。上にいる悠をまっすぐ見つめ、聴こえるようにおなかから声をだす。どうか震えませんように。

「そうです。今わたしたちが勉強している内容と、平安の宮廷での彼女達の教養とは同じものだと思います。ですが、現代と異なる点はその歌や書道や裁縫がその時代にあっては職業として発揮する場があったということです」

 悠はさらに云った。

「それでは今現代では発揮できないと思っていらっしゃいますか」

「いいえ、そうは思っていません。現実には彼女達ほど脚光は浴びないかもしれませんが、でも、発揮したいと思って日々勉強しています」

 悠がわずかに笑ったような気がした。

「突然の質問に答えていただきましてありがとうございます」

 万智子はほっとしてうつむいたが、膝が震えていた。となりで早苗がそっと袖を引っ張った。

「あたしもそうありたいと思ってるわ」

 万智子は膝に力を入れて背筋を伸ばした。帰ったらとっちめてやらなくちゃ。だが、悠の問いかけに答えた自分にとても満足してもいた。震えているのは緊張のせいじゃないわ。震えるほど気持ちよかったのだ。大勢の前で自分の意見を云うということ。清少納言が宮廷で歌を披露する気持ちはきっとこんな気分だったに違いない。


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