第15話 万智子の課題
万智子は研究発表が終わるまで健と連絡を取らないと決めた。ひと月、納得いくまで自分の力を出してみて、満足してから会いに行こうと決めたのだ。
放課後、女学校の図書室で早苗と居残りして課題をまとめた。
万智子は早苗に卒業後のことを尋ねた。
「あたしは専門課程に進むつもり。でないと即嫁入りなの」
早苗の実家は銀行家である。しかも兄がいるので、彼女は後継ぎ問題とは無縁である。そのかわり、縁者との見合い話が引きもきらないのだという。
「あたしは万智子の目標一直線なところ、うらやましいと思っていたんだけど」
「そうだったんだけど」
万智子は打ち明けた。
「健兄さまに認められたくてがんばってきたけど、それって自分のことばっかりだったの」
「それが潔いと思ってたけど? ああ、お店のこと?」
万智子は頷いた。
「それもね、片付いちゃうのよ。悠君がね、養子に入ってくれるかもしれないの。でもちゃんと目的があるのよ。絵の勉強をするため。なんだか先を越されちゃったわ」
「それにしちゃ、さばさばしてるじゃない?」
友達はよくわかっている。
「そうよ。負けていられないわ。花嫁修行以外で成果を見せなくっちゃ。それに白状すると、お裁縫より古文のほうが好きだしね」
勉強も、もう少ししかできないと思うと、急にやりがいが出てきたのだ。
早苗が内緒話をするように顔を近づけてきた。眼を合わせるとにやりとしてみせる。
「あたしも実はそう。だからこの発表で親に認めさせて、絶対に専門課程に行ってみせるわ」
ここ数日、万智子は大車輪である。授業が終わっても図書室が閉まるまで課題に取り組んでいる。お店のほうへも悠に頼みながらも、必ず様子を見に寄っていく。月に二回のお茶にお花とお琴の稽古ごとも一日も休んでいない。前々から完璧主義者なところがあるとは思っていたが、今は全力投球だった。悠にはそれがどうにも気になっていたのだが、それをまた尋ねることを拒否するような張りつめた横顔を万智子はしていた。
悠は学校帰りに文興堂に顔をだすようになった。万智子のように看板娘とは行かないが、文献の整理など徐々に教えてもらっている。だが、ほんの2,3日店にいただけで、万智子の不在に対し、
「万智子ちゃんは今日はいないのかい?」とか「じゃ、またにするかな」という客がいることを知った。看板娘は確実に売上貢献しているのである。
その日も悠は店に寄った。
「ちょっと、電話を貸してもらってもいいですか?」
坂木は愛想よくどうぞと云って席をはずしてくれた。
かけた先は横浜である。
「桐島でございます」というお手伝いの声に、悠は短く名乗った。
「悠ですが、健さんはいらっしゃいますか」
受話器の向こうで話し声が聴こえる。ややあって、
「悠さん? お久しぶり。お元気?」
声が健の母親に替わった。
「ええ、おかげさまで」
「お電話なんてはじめてじゃない? なにかあったの?」
内心、早く健を出してくれと思ったが、悠は辛抱強く相手になった。
「いいえ、だいじょうぶです。それで健さんは」
すると向こう側は困ったような声を出した。
「あら、今日は東京に行っているはずよ。まだ着いていないかしら? ねえ、今日って仕事よね?」
誰かに話し掛けているらしいが、悠は素早く会話を切り上げた。
「わかりました。失礼します」
受話器を置いたまま、悠は考え込んだ。その後、坂木に、
「ちょっと、すみません。出かけさせてください。明日またお手伝いします」と断るなり、店を飛び出した。
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