第10話 法事
結局、悠のはっきりした意志はわからぬまま、四十九日の法要を迎えた。あれから悠はほとんど部屋にこもってしまい、佐代ですらまともに言葉をかわさなかった。
当日、朝にはなんと姿をくらましてしまった。
「でも、学生服がみあたりませんね」
気付いた佐代の言葉に父と娘は顔を見合わせた。
「どうしましょう?」
「どうもしないさ。とりあえずごまかすためにも、我々は行かなきゃならんぞ」
悠の母の法要は桐島家の名で催されていた。ごく身内だけという小規模なしつらえだったが、それでも桐島家の取引先と思われる花輪や届け物が相当数届いていた。すでに読経が始まっていた。小さな寺の座敷は何人も入れない様子である。だが、そこに悠がいるかどうかはわからない。万智子は父の受付が済むのを待って、焼香の列に並んだ。
列が進むごとに、座敷にいるご隠居や健の父らの姿が見えた。さすがに大奥様はいらっしゃらない。そして心配した通り、悠の姿は見当たらなかった。
父と万智子に気付いた桐島家の面々は目礼を交わし、深く頭を下げた。そこへ、そっと肘を押さえられた。振り返ると健だった。
「今日はありがとう。それで悠君はどうしたかな」
「先に出たみたいなの。まだ、来ていないのね」
悠が来るかどうか、はっきりと意思確認はしていない。だが、ここで「こない」とは云えないと思った。
「健さん、どうなさったの。悠さんは・・・?」
そこで気が付いて、健の母がいそいそとやってきた。
「まあまあ、万智子ちゃん、お久しぶりね。きれいになって」
「お久しぶりです。すっかりご無沙汰してしまって」
女同士の挨拶を健は辛抱強く待っていたが、ふいに腰を折った。
「母さん、悠君なんだけど」
珍しく健がいらいらしていた。
「そうそう、来るの? おじい様がおっしゃるから悠君の名前でたててあるのにだいじょうぶかしら」
健の母も細い眉を寄せている。
ごく内内の会話だとわかっていたが、万智子はあえて口を出した。
「きっと来ます」
健は驚いたように万智子を見たが、にっこり一礼して、焼香の列へ戻った。
あんな口をきいて、少し後悔している。おかあさまの前ででしゃばりだったかも。でもなぜだが云わずにいられなかったのだ。
これって見栄っ張りなのかしら?
遺影に写る悠の母というひとは、悠によく似た面差しのきれいなひとだった。万智子はできるかぎりぐずぐずして、一番最後に焼香を終えた。
「まだお焼香がお済みでないかたはいらっしゃいますか」
寺の住職が静かに辺りを探す風にした。弔問客のほとんどはもうお清めの席に移動し始めている。
住職は再び座敷を振り返った。誰かが首を振るのが目に入った。
「それでは、」
「待ってください、もうひとり、いるんです」
思わず万智子は進み出た。
桐島家の人々が驚いたように顔を見合わせた。
「そうですか? おや、あの方ですか」
住職がふと顔をあげた先に、悠がやって来るのが見えた。
悠はまっすぐに歩いてくると、住職に一礼し、座敷に向かって丁寧に頭を下げた。
「遅れまして申し訳ありません、失礼します」
母の遺影に向かって手を合わせ、もう一度桐島家の面々に向き直り、はきはきと云ったのである。
「本日はお忙しい中、このように立派な法要を営んでいただきまして、誠にありがとう存じました。亡き母に代わりまして御礼申し上げます」
その一言で座敷の誰かが悠に手招きをした。悠は素直にその輪に入っていった。
万智子は少し感動していた。彼の挨拶は短かったけれども、誠意がこもっていたと思う。そして、大人たちに受け入れられたじゃないか。
「万智子、あとで悠君を迎えに行ってやりなさい」
いつのまにか傍にいた父はお清めの席に向かいながら云った。
万智子は健の母につかまっていた。
「ほんとにまあ、きれいになって! 縁談が降ってくるでしょう」
大人たちは酒が入って、益々上機嫌である。
「いえ、そんな。まだ学生ですし」
「あら、女学校? なつかしいわねえ。でもわたしも結婚したのは女学生の頃よ?」
健の母は嫌いではない。あっけらかんとしていてやさしい。そしてここが重要。万智子を気に入ってくれている。
「ねえ、万智子ちゃん、どうかしら、うちの健さん。ちょっと気が利かないけど」
「えっ、そんな」
頬を染めた万智子に健が苦笑して謝った。
「母さん、少し酔ってるだろう? 万智子ちゃん、びっくりしてるじゃないか」
本当なら心躍る展開のはずだった。健の母に自分の好印象を決定付ける絶好の機会である。だが、残念なことに今のこの場に集中できないのだ。どうしても気になってしまっている。
悠がお清めの席にいつまでたっても姿を見せない。
まったく今度は何をしているのよ。ほっておけというわりに気をもませるやつである。
健が親戚連中に取り込まれたのを潮に、万智子はそっと席を抜け出した。
先ほどの境内へ様子を見に行く。しかし、線香の煙は漂っているが、誰もいない。
きょろきょろとしていると、先ほどの住職が姿を現した。
「ああ、あの方なら、お墓のほうに行かれましたよ」
万智子は礼を云って、住職の指差したほうへ歩いていった。
墓地はこじんまりとしていた。段差が多いが、こまごまと区分けされており、緑に囲まれている。その奥の日当りのよい一角に悠の背中を見つけた。
「おつかれさま」
万智子はそっと声をかけた。
悠はちらっと振り返り、黙ってまだ生けたばかりの新しい菊を花生けからみんな抜いた。そして手にしていた大きな花束をほどいた。
「百合?」
「母が好きだった」
悠はざっくりと花生けに白い百合の束を差した。
「これでいいかな?」
悠はじっと花を見つめている。
花のことか、それとも法要に出席したことか。多分それはどちらでもいいのだろう。万智子は明るく受けあった。
「いいと思うわ」
悠が振り返る。
「そう?」
「そうよ」
その一瞬、万智子は思わずどきりとした。ほんのわずかであるが、悠が笑った。
照れくさそうな、泣き出しそうな、そんな笑顔を万智子は生まれた初めて見た。
そしてそのときには、全開の笑顔よりも、不器用な笑顔のほうがいつまでも心に残るものだということを万智子はまだ知らなかった。
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