第5話 憎まれ口の下宿人

悠は真田家の離れを使うことになった。

「ちょっと古いけど、掃除はしてあるから」

 そんな風に万智子は説明した。話が急だったのと、祖父が亡くなってからは誰も離れを使っていなかったので、いかにも急ごしらえという感じがする。運び込んだ布団もお客様用だ。こんなことなら打ち直しに出したのに。

「いえ、充分です」

 ぶらぶらと窓から身を乗り出したりしていた悠は短く云った。礼儀正しいのは認めるにしても、愛想は皆無。ぶっきらぼう。

「足りないものがあったら何でも云ってくださいね」

 それにも悠はただ短く礼を云った。

「あと、お風呂だけど、我が家は内風呂があるの。順番になるけれど使ってください。大抵は夕方に沸かしますから。もしそれ以外で入りたい時があったら佐代さんに云って下さい」

「最後でいいです」

 悠は遠慮を見せた。とはいえ、お客様だし。

「もう、片付けはいいのかしら。なにかお手伝いすることがある?」

 一応万智子は訊いてみた。

「もう済みました」

しばらくここに住むというのに、悠の荷物はわずかだった。書物と衣類。それに行李がひとつ。悠自身どこか育ちはよさそうなのに、質素である。月々の学費や生活費すべては桐島家から出るのだが、今の彼の態度はそういったものを拒否しようとしているかのように妙にきっぱりとして必要最低限だけだった。


 結局そのまま離れにいてもすることはなさそうなので、万智子は退散した。居間でお茶を入れていると、佐代がやってきた。

「あちらは落ち着かれました?」

 万智子は佐代の分も湯飲みにつぎ、前に置いた。

「ええ。というより、なんだかあっさりしていて、出る幕がなかったわ」

「しっかりしていらっしゃいますよ。さっきも、洗濯物を訊きにいきましたらね、自分でやるからっておっしゃるんですよ」

 万智子は驚いた。

「本当?」

 佐代は頷き、「まだ慣れないんでしょうけどね。おかわいそうですよ。男の子でもまだ十六歳ですもの」とやさしい顔をした。

 どうも印象が違うようだけど。万智子は首をかしげた。だが、ふと、悠の生い立ちについて思いを巡らせた。

 母ひとり子ひとりの生活で、母を亡くしたら一人ぼっちだ。

万智子とて肉親の死を体験している。さびしくとも、父がいた。幸か不幸か再婚しないので、世間で聞くような継母との葛藤は知らない。女仕事も佐代さんがいたし、父と仲良くずっと一緒に暮らしてきたということは幸せなことなのだ。

 悠も、家族がまったくいなくなったわけではない。お父上はまだ健在だ。だが、だからといってすぐに桐島の家に世話になるというのは、万智子だったら戸惑うと思う。桐島家から見て自分の存在、親子ほど年の違う兄弟、など考える。悠が桐島の家には行かないと主張したわけはなんとなくわかる気がした。

 生意気でも、たったひとりの家族を亡くしたばかりなのだ。自分は大人げなかったかもしれない。もう少しやさしくしてあげることができたはずなのに。

 万智子は点火も早いが消火も早い性質で、先ほどまで悠を腹立たしく思ったことを猛烈に反省した。そして、すぐに思い立って瀬戸物屋を呼んだ。そこで悠のために、新しい湯飲みと茶碗とを選んだ。お客様用ではないものを用意する。それはすなわち我が家の一員となることを暗に示したつもりだった。


 真田家では毎日父と娘が差し向かいでご飯を食べるのだが、翌朝から悠が父と並んで食卓についた。

「さあ、どうぞ」という佐代の給仕に、悠は淡々と接している。

「悠君、遠慮せずにいっぱい食べなさい。うちは万智子も大食らいだから気にすることはない」

 父の冗談も悠は笑うでもなくあっさり受け流す。

 食事中はほぼ一方的に父が喋り、多くは万智子が、悠が時折答えた。

 父が悠の膳の湯飲みに気がついた。

「いい柄だな」

 ほんのり青みを帯びた地にさらりとした若葉のような模様が走っている。父のものより小ぶりで万智子のより大きい。

「新しいの。悠君用に」

 万智子は悠の反応を期待して見守ったが、悠はあっさりと「ありがとうございます」と目を伏せただけだった。

 かわいくないの。

 でもまだ、そんなことは気にしないことにする。

そのあと、父は悠に店を案内しようといって、連れ立って出掛けた。この間、いい掛け軸が入ったといっていたから、きっと長い講釈を聞かされるに違いない。


万智子は佐代と協力して、足りなそうな悠の持ち物を用意することにした。

 そのとき、玄関から大きな声が万智子を呼んだ。

「お嬢さん、万智子お嬢さん」

 行けば、店の若衆が息せき切っている。

「どうしたの」

「お電話が入っています。桐島の若様で」

 万智子の家はこの時代にあり、早々と電話を持っていた。だが、それは店にある。もっぱら商用に使っているからだが、たまに誰かから急用でかかってくると、店から伝えに来るのだ。

 桐島の若様、すなわち健と聞き、万智子はすぐに電話をとりに家を出た。


 電話は番頭の坂木の後ろに伏せて置いてあった。

 坂木が気付いて、よっこらしょと席をはずす。

「もしもし? 健兄さん?」

 遠くにこもったような、確かに健の声が返ってきた。

「あ、万智子ちゃんかい? この間は本当にすまなかった。ちょっと急用ができてしまって」

「こちらこそごちそうさまでした。健兄さんこそおいしかったのに、残念だったわね」

 ほっとしたような笑い声が聞こえた。

「ところで、悠だけど」

 急に小声になる。

「急なことをお願いしたけど、事情は」

「ええ、父から」

 万智子も簡潔に答えた。

「そうか。万智子ちゃんにも迷惑かけると思うんだ」

「そんなこと。わたしでできることなら、と思ってますから」

「ありがとう。今度きちんとお礼をしないといけないな」

「本当に、そんなこといいんです」

 万智子がそう云ったとき、ちょうど二階から悠がひとり降りてきた。

 万智子は背を向けていたので、それには気付かなかった。

悠は後姿に声をかけようとして、留まった。万智子の声は誰が聞いても弾んでいた。受話器に押し当てている白い横顔はほんのり上気している。

悠は万智子に気付かれぬうちに、またもときた方へ戻っていった。


 その日の夕方、湯の用意ができたことを伝えるために、万智子は離れをのぞいた。

「悠君? 今、いい?」

「なんですか」

 いい、とは云わなかったので、仕方なく万智子はそのまま声をかけた。

「お風呂の用意ができたの。どうぞ」

「僕は最後でけっこうです」

「でも、一番風呂だから、お父様にはちょっとあついのよ。先に入ってくれる?」

 返事はなく、そのかわり、悠が出てきた。

「わかりました」

「あとね、これどうぞ」

 いそいそと万智子は悠にたたんだ着物を差し出した。

「なんですか?」

「浴衣。着替え、全然持ってきてないでしょう」

 悠は突っ立ったまま、手を動かさない。

「本当はお父様用に作ったものだったんだけど、よかったら」

父のために新しく浴衣を作ろうとしていたのは本当だったが、それを悠のために半日かけて縫い上げたことは黙っていた。

 ところが、悠の無表情が不愉快そうにゆがんだ。

悠は横を向くと、深いため息を吐いた。

「おせっかいもいい加減にしてくれよ」

「え?」

 悠は眉をそびやかし、冷ややかな口調で云った。

「これはなんのつもり? 健さんへの点数稼ぎですか? そこまで見え見えだとうんざりする」

「別にそんなつもりじゃ」

 万智子はやっとそう云った。もともと愛想はよくなかったが、ここまで敵意を剥き出しにされるとは想像だにしなかった。

「どうでもいいけど、うっとおしい。そんなにしてくれなくても、ここに住みます。だからさっさと嫁に行けばいいでしょう」

 そう云うと、悠は手ぬぐいを肩にかけ、万智子の脇をすり抜けた。

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