第3話 悠

 万智子がスプーンを握ったまま、ため息をついていると、

「腹減らしみたいに見える」

 一瞬健の声に聴こえた。

 慌ててスプーンを戻し、両手を膝の上に置く。しかし、その発言の主は健ではなかった。大体健はそんなことをいわない。

 目をあげると、見知らぬ少年が万智子を見下ろしていた。

万智子は思わずどきりとした。外国の挿絵のような茶色い髪の男の子。

「あなたが真田万智子サン?」

健の声と思ったのは幻聴だ。似ているようで、全然違う。万智子は今一度目を凝らした。きつい目に不機嫌そうな口元。さっきの第一印象も幻だ。一言でいって、生意気そう。年の頃なら同じくらいだろうか。白麻の単に袴姿なので、多分学生だと思う。

 少年は肩にかけていた荷物を置くと、万智子の前に座った。

「え? ちょっと待って。あなた、どなた?」

 そこには健が戻ってくるのだ。

 彼は眉をあげた。

「桐島悠です」

「まあ、桐島? じゃ、健兄さまのご親戚かなにか」

 桐島悠は一瞬怪訝な顔をしたが、肩をすくめて見せた。

 そこへ、注文した料理がやってきた。当然、皿は悠の前の置かれる。健は洋風カツレツを頼んでいた。悠がフォークとナイフを掴んだので、万智子は慌てた。

「それ、健兄さまの分よ」

「ああ、健さんが食べていいって」

万智子はええっと思わず大きな声を出した。それで他の客の注目を浴び、身をすくませた。しかし、悠は平気な顔で、もう一口目を食べている。万智子は小声で云った。

「健兄さまはどこへいったの?」

「横浜に戻ったよ。急用だって」

 悠は器用にフォークを使って次から次へ口に運んでいる。すごい食欲。

「本当? でも、それでどうしてあなたがここにいるの」

「呼ばれたから」

「呼ばれたってだれに?」

「健さん。ねえ、それ冷めるよ。食べないの?」

 悠はオムライスを指差した。万智子はむっとしてスプーンを取った。

「食べますとも!」

 せっかくのオムライス。こんなときでなかったらもっと味わえたのに。食べ物の恨みは後を引くのだ。

そしてそれが桐島悠との出会いを最悪なものと決定付けたのである。

 会計は健が済ませてあった。悠は店を出るなりあっさり手を振った。万智子は呆然と見送った。あんまりあっけない。そのせいで、まるで置いてけぼりをくったような気分である。万智子はどうにもむしゃくしゃした。そのままさんざん上野で無駄遣いをしてから、万智子は家に帰った。

「おかえりなさい」

 出てきたお手伝いの佐代にお団子の包みを渡す。

「まあ、ちょうどお客様が見えているんですよ。おだししましょうか」

 万智子は人差し指を唇にあてた。

「それはあたしたちが内緒で食べる用。だからいいの」

 佐代も心得ていて、そそくさと前掛けの下に包みをしまい込んだ。

「お客様にご挨拶してくるわ」

 今日はお客の多い日だと思いつつ、客間のドアを叩いた。

「おう、万智子か」

 父の声に、万智子はドアを開ける。

「いらっしゃいませ」という言葉が喉で凍りついた。

 父の前に背筋を正して座っているのは、あの小生意気な桐島悠だった。


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