第17話 ガインガッツ炭鉱

 絡まる毛布と共に、ソファから転げ落ちた。混濁する意識を引きずって、身体を持ち上げる。重い瞼をこじ開けると、テーブルの上に並んだご馳走が見える。その中心には一枚の書置きが見える。


『ごめんなさい。』


 夢じゃなかった―――。リアは料理に毒を盛ったのか……。しかし、毒などどこで? 直前までの出来事を思い起こしてみるも……いや、魔法店での出来事。俺はリアに金を渡して外で待っていた。魔法店ならば、毒薬などの取り扱いもあるが……そういう事で良いのだろうか。


 いや、そうじゃない、今考えるべきはそこではない。俺はよろよろとテーブルを支えに起き上がる。そして、視線をテーブルから、出入り口の方へ移す。


 リアは、どこへ行ったのか?

 昨日の事を想えば、ガインゴッツ炭鉱か。外はまだ暗い。テーブルの上の料理の状態からいっても、昏睡してからさほど時間が経っていない事が分かる。そうすると、今夜がレイザーがガインゴッツ炭鉱を訪れる日と言う事になるのか。


 つまり、まだ間に合う!


 俺は、気だるい身体に叱咤を飛ばして、走り出す。ガインゴッツ炭鉱に行った事は無いが、おおよその位置は分かる。おそらく俺が昏睡状態になっていたのは2時間程度、リアはまだガインゴッツに到着してはいないだろう。今から追いかけるとギリギリか。短気を起こさずに慎重であれば良いが……。


 ガインゴッツ炭鉱へは、家の前の道を進み、中心街を超えた街はずれの森へと抜ける。かなりの距離があって、煩わしいが、この距離こそがリアの時間稼ぎになるのかと思えばありがたくもある。リアはトレーニングを積んだとはいえ、まだまだ俺の速力にはかなうはずもない。リアなら2時間かかったとしても、俺が本気で走れば1時間とかからない。


 街灯の無い暗い道を突き進むと中心街の明かりが見え始める。

 等間隔に設置された街頭が道を照らすと、たくさんの建物もつられて見えてくる。昼にはリアと歩いた道が、夜になると全く違った雰囲気を放つ。明るく陽気だったはずの商店街は、明るさの中に闇を含み、脇道はどこまでも暗く不気味であった。闇に引きずられそうになる気持ちを拭い去るように、足に力を込めた。


「おい、ナンパ野郎じゃねーか。」


 すれ違いざまに声を掛けられる。

 だが、構っていられるような状況じゃない、事は一刻を争う。そのまま駆け抜ける。


 ぐいっ!


「んだ、てめー、なにシカトこいて行こうとしてんだ!」


 腕を引っ張られた。

 くそ、煩わしい! 睨むようにして相手に視線を向けると、レアノルドだった。禿げ上がった筋骨隆々の見知った顔。レアノルドは俺の顔を見るなり、ひやかしの表情をかえた。


「……おめえ、何があった!?」


「リアが、ガインゴッツ炭鉱に。時間がない……早くしないと、リアが……リアが。」


「それじゃ、わかんねーよ。ガインゴッツ炭鉱にリアがどうしたって?」


 くそっ、ろれつが回らない。こんな事に時間をとられている間にも……。


「離してくれ!!」


「おっ、おいっ!?」


 力任せにレアノルドを振り切ると、俺は走り出した。

 後ろでレアノルドが、大声で何事かを叫んでいるが、気に留めることも無い。自由になった身体は全力でリアのもとへかける。街の喧騒を切り裂くようにして俺は急ぐ。


 街の明かりが遠ざかり、森が見えてきた。この森の中にガインゴッツ炭鉱がある。森の中は月明かりも届かず、本当の闇。小さな小道が奥へと続くのみ、おそらくガインゴッツ炭鉱はこの先。


『私有地につき立ち入り禁止 アルタイル商会』


 立札を蹴り倒して、ライトの魔法で道を照らす。

 木の根が小さな小道をうねって入り組み、足場が悪くなるが、速度は落とさない。


 陰鬱な場所だ。

 夜に訪れたからそう感じるのだろうか。魔鉄の影響かもしれない。明らかに普通の森とは違う雰囲気。静かで凛としているのだが、空気がかすかに淀んでいる。鼻をつくような臭いも混じる。一人だったら、絶対に立ち入ろうとも思わないだろう。


「これは……。」


 地面に転がる死体を見つけた。

 喉をさっくりと切られている。無駄がなく、ためらいの無い一撃。奥に死体がもう一つ。いや、二つか。手前の二つは一撃で殺されており、奥のは戦った跡が見えた。


 おそらく奇襲をかけて、最初の一人は喉を欠き切って殺し、相手が動揺している内にもう一人の胸を突き刺した。最後に一人は抜刀し、応戦した。そんな所だろう。


 誰がやったのか……とは考えるだけ愚か。

 リア以外に、今ここでこんなことをしでかす奴はいない。手口も俺が教えたものに酷似している。俺なら無防備なまま3人を屠れるが、3人目と戦闘になったところで、実力的にもリアで間違いない。状況の全てが、リアが犯人だと告げている。


 まだ温かい。

 殺されてからさほど時間が経っていないことが分かる。これならば、リアがレイザーと遭遇する前に止める事ができるかもしれない。リアは確かに強い。強くなった。だが、それでも、レイザーを相手にするには全く実力が足りていない。


 俺は再び走り出す。

 リアは既に幕を上げてしまった。だが、まだ希望はある。時間が経っていないという事は、リアの生存の可能性を告げているからだ。本当はリアに復讐をしてほしくなどない。だが、今はただ生きていてくれさえすればそれでいい。これだけの事をしでかした後であっても、そう心から願えるほどに俺はリアが好きだった。


 どれくらい走ったろうか。

 疲れは無い。あるのはただただ募っていく焦りばかり。


 ふいに視界が開ける。

 簡素な建物が二つ、それに幾らか立派な建物が一つ。その奥にぽっかりと口を開けた洞窟があった。ここがガインゴッツ炭鉱のようだ。


 同時にいくつかの死体が目に飛び込んでくる。

 心臓が跳ねる。まさかこの中にリアがいたりなどしないだろうか……。祈るような気持で、周囲を見渡していく。どれも成人男性の物のようだ。少女の、リアの物ではない。


 ホッとする。

 くそ……こんな事の繰り返しでは、身が持たない。俺の心がどうにかなってしまいそうだ。はやくリアを捕まえなくては、安心できない。


 それにしても醜悪なにおいが漂っている。

 漂うというよりも、この土地に染み付いてしまっている。血と腐敗と鉄と魔力の匂いがごっちゃになった様な。戦場でもこれほどに醜悪なにおいはしていない。いったい、ここはどんな場所なのだろうか。魔鉄というのはこれほどまでに凄まじい匂いを放つのだろうか。


 俺は近くの小屋へ向かう。

 どこから探して良いのか分からなかったので、手当たり次第でいくしかない。とにかく急いで、全てを探せば巡り合えるはずだ。剣に手を当てて、強引に扉をけ破る。いつでも戦えるように臨戦態勢。


 バンッ!


「…………。」


 猛烈な腐臭が肌を突き抜けて、黒い羽虫が押し寄せる。

 思わずあとずさりして、羽虫を払いのける。そうして、クリアになった視界で中へと踏み入った。


「……あ、う、嘘だろ……。」


 中は地獄だった。

 俺は、地獄の扉でも開けてしまったのだろうか。たくさんの人で埋め尽くされている。人も亜人も、いやもはや原形さえとどめていない者もいる。生きているのか死んでいるのか。動いているのは死体にたかる蠅か、当人なのか、それすらも判別できない。


 この景色を表現する方法を俺は持たない。

 見た事がない。こんなおぞましい世界を俺は知らない。俺はスラム街の闇を知っている、戦場をいくつも渡り歩いてきた。闇ギルドの仕事だって幾つも請け負ってきた。その俺が見たことも無い世界がそこにあった。


 息ができない。

 呼吸をしなくても、悪臭が身体に染み付いてくる。羽虫が不快に飛び回る。見ていられない。ここは世界の闇だ。地獄の底だ。生きながらにして、死の世界に足を踏み入れてしまった……。


 耐えられなくなって、扉を閉ざした。

 こびりついた残り香ですら吐き気を誘う。慣れたと思っていた死の景色だが、甘かった。俺がこれまで舐めてきた辛酸など、甘美な砂糖水のようにさえ思えた。人の所業ではない、常軌を逸している。


 ここにリアはいない。いるはずがない。いて良いはずがない……。


 いや、ダメだ……。


 俺は向き合わなければいけない。リアと、リアを取り巻く現実に。ここで逃げてしまったら、二度とリアに会う事はできない。リアの笑顔を見る事ができない。リアに触れられない。リアに触れてもらえない。リアを愛してやれない……。


 ガタッ……。


 視界の端で何かが動き、音を立てた。

 生き残りがいたらしい。だが傷を負っており、這いずるようにして動いていた。反射的にそいつのもとに駆け寄る。


「あ、やめっ、やめろ、殺さないでくれ……頼む。」


 男は駆け寄る俺を見て、怯えた声を上げる。


「何があった!」


「あ……味方……なのか? ガキがいきなり襲ってきやがった。しかもかなり強いガキだ。」


 味方だと勘違いしてくれるならありがたい。そのまま俺は話を通すことにした。


「なんだと、そのガキはどこへ行った?」


「あっちだ、レイザーさんはどこだと言うから、教えてやったんだ……。おかげで命だけは助かったが、この様だ。あのガキ、絶対に許さねえ……。レイザーさんなら、あんなガキ程度、軽く始末してくれるさ。」


 あっちだと言って指を刺したのはガインゴッツ炭鉱。

 軽く始末……その言葉を聞いて、心がざわつく。


「そうか、分かった……。」


「あ、ああ……ガキはほっとけば死ぬさ。俺の手当てを頼むよ……って、おまえっ、なにして――――――」


 ドサリ……


 さっくりと喉を引き裂いた。これ以上こいつの話を聞く必要は無い。

 リアめ、目撃者を生かしておくなんて馬鹿な事を……。情報を引き出したら、相手を殺す。相手に甘い顔をすれば、自分が追い込まれるんだぞ……とは言えないか。こいつがいなければ、俺は他の小屋も見て回る羽目になったんだから。


 ぽっかりと大きく闇を広げるガインゴッツ炭鉱。

 俺はその深淵の入り口に飛び込んだ。


 炭鉱に入ると空気のよどみが濃くなる。

 だが、広場で味わったような腐臭は少しなりを潜めている。あの醜悪な臭いのもとは、やはり小屋から漂っていたのだろう。思い出しただけでも吐き気がする。何にしても、ここは人が住む環境ではない。


 こんな場所でリアは5年間生きてきたのか……。

 それは想像を絶する人生になるだろう。俺なんかではとてもではないが、耐えられそうにない。とはいえ、両親に囲まれて楽しく過ごしていた時期もあると言っていた。だから、リアが、あの地獄の中にいたのは一ヶ月くらいか。……だとしても長すぎるな。


 リアが時々見せる凄味、その根底にあるものを見た気がした。

 当たり前だ、あんな世界を見てきた人間に俺が叶うはずがない。俺は今、リアの心の闇に触れているのかもしれない。リアが歪んでしまった原因の全てはここにある。


 死を渇望し、復讐の炎を燃やしたリア。

 この場所でリアの闇が生まれた。この場所を脱してもなお、炎は消えずに、死地に舞い戻ってしまう。リアを救うには、決着をつけるしかないのかもしれない。この場所に残る禍根を消し去るしか。


 炭鉱は天井からカンテラが吊り下げられており、点々と炭鉱内を照らす。

 ゴツゴツとした壁の岩肌が、カンテラの明かりで陰影をつけて立体的に立ちはだかる。伽藍とした炭鉱に俺一人。リアを助けに地獄の底へ……まさにそんな感じを彷彿とさせる。


 リアは今、どうしているだろうか。

 とりとめのない想像が頭をよぎる。こびりつくような死の予感を必死に否定して走る。無駄な思考はやめよう、足を鈍らせる。俺が今できる事は、一刻も早くリアの所へ駆けつけること。考える事は後からでも十分だ。


 キーンッ!


 突然剣のぶつかり合う音が響く。

 全神経を集中させて耳を傾ける。


 キンッ!


 また響く。幻聴ではない。

 この奥だ、近い。


 リアだ、リアが生きている。

 リアに会える。


 足音を消して、光の速さで走る。

 はやく、とにかくはやく。戦っているならリアが生きている。だが、戦っているなら敵がいる。戦っているなら勝敗がある。そして、その勝敗の敗者は……。


 数合のぶつかりあいの後、剣戟の音が止んだ。

 ……勝敗が決した!?


 心臓が爆発しそうな程に激しく脈打つ。

 なのに、俺の身体はまだそこに到着しない。どうして俺の足はこんなに遅いのだ。どうして俺のいないところで物事が決まっていくんだ。どうして、どうして―――。


 最後の角を抜けると、リアがいた。


 傍らにレイザーがいた。それに取り巻きらしい人物が数人。その奥には、闇が広がる崖が見える。レイザーは剣をこれ見よがしに掲げており、リアはレイザーの足元で膝をついている。レイザーはお決まりの嫌な笑みを顔に張り付かせて、リアを見下す。リアの手に剣は無い……


 誰が見たって分かる、これは最後の瞬間。


 俺は駆けた。

 これまでで一番早く、生涯で一番早く、リアのもとへ。


 レイザーが驚きの表情でこちらを見たのも一瞬。

 再び、口角を上げて、最大級の悪魔の笑みを浮かべる。


 リアは気づいていない、俯いたままだ。

 長い髪で表情は隠れているが、泣いているのが分かる。自分の無力に打ちひしがれて泣いている。


 こんなところで、たった一人で死なせてたまるか。

 あんな風に俯いて絶望させて、涙まで流させたまま、このまま終わりなんてあんまりじゃないか。俺はリアを幸せにしてやるって決めたのだ。一刻も早く、こんなところから連れ出してやらなければ。


 ゆっくりと振り下ろされる剣。

 それはまるで演劇の一幕のように、儀式のように、人に見せる為の大げさなふるまい。分かっている、レイザーは俺の目の前でリアを殺すつもりだ。ギリギリのところで……なんて最悪なやつなんだ。


 届け―――。


 剣がリアの頭上に影を作る。


 届けえええ―――――!


 まっすぐにリアへと振り下ろされていく。


 届けえええええええ―――――――――――!


「リア――――――――――――――――ッ!!」


「アルテさ……ま……?」


 ザシュッ―――。

 剣が振り下ろされ、鮮血が舞う。


 俺とリアの身体は一つとなって勢いそのままに、崖へと転がり落ちた。

 底の見えない暗い闇の中、訳も分からず、落下していく。身体に凄まじい衝撃が走り続けるが、もはや痛いのかどうかも分からない。ただ、とにかく……とにかくリアだけを守るように抱きしめて、落ちていった。

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