第16話 幕開け

 太陽の光が世界を照らす。

 陳腐な表現だと思っていたが、目の当たりにすると良くできた表現だと気づく。


 暗い森でありながらも、昼と夜の違いはある。

 昨日の壮絶な夜を想えば、薄暗い森の淡い光でさえ、神々しいと思えた。

 暗いのか、明るいのか、そんなものは自分の立ち位置次第なのかもしれない。


 俺にとって、この明るさは希望だった。


「さあ、帰ろう。」

「はい、アルテさま。」


 俺とリアは、半渇きの服を着て小屋を出た。

 崖につるした衣類は、やはり一晩では乾く事はなく、

 仕方がないので、移動しながら乾かすことにした。


 街に着いたのは、4時間後。

 すっかり衣類は乾ききっていた。

 順調な道中だったが、思ったより時間がかかった事には驚いた。

 昨日、どれだけ必死に森の中を走り抜けたのかが良くわかる。


 途中の草原で、放り投げたままの薬草袋を拾っていくと、

 リアの物と合わせて137束、すっかり依頼の数を超過していた。

 なので、疲れてはいたが、ギルドに報告をしてから家に戻る事にした。

 ギルドは帰り道でもあることなので、さしたる苦労ではない。


 朝方のギルドは、前回訪れた時よりも随分と賑わっていた。

 時間としては早朝のピークを少し外してはいるが、まだ依頼の数も多い。

 疲れた体に混雑は堪える、特に受付での列に並ぶのはきつかった。

 横にいるリアも相当に消耗しているようで、飛びそうな意識をかろうじて留めている。


 前回の受付はルーナだけだったが、今回は3ヶ所ある受付がフル稼働。

 見知ったルーナもいるが、他にも二人の受付嬢がいる。

 一瞬だけルーナと目があって、気まずそうな表情になるのが見えた。

 俺たちの対応をしたのはルーナではなく別の受付嬢だった。

 正直、ルーナとは話したくなかったので、ありがたい。


 対応した受付嬢は、淡々とした感じで事務処理をこなす。

 口調が綺麗で冷たく響くからそう感じたのかもしれないが。

 おかげで、無駄に長引くことも淡々と薬草を渡して、報酬を受け取る事ができた。


 だが、一つ想定外の事が起きた。

 それは、固定給が3日後にしか受け取れないという事。

 手続きの関係で、すぐには渡せないとの事で、最短でも3日後と言う。

 今日、明日でどうにかなるほど金がないわけではないけれど

 3日後にまたギルドへ訪れるのが嫌だった。


 とは言え、システム上どうしようもないと言われてしまえば、それまで。

 俺たちは仕方なくギルドを後にした。


 ……それにしても身体が重い。

 街に入った事で、安心したのか疲れが一気にのしかかってくる。


 家に戻ると、玄関が閉まる音を待たずに倒れこむ。

 俺の横には、寄り添ってくれる温もりが感じられる。

 その温もりを抱きしめながら、俺はスーッと静かに眠りに落ちた。




 夕方になって目を覚ました。

 相変わらず、リアは俺より早く起きて俺が起きるのを待っていた。

 お互い横になったまま、笑って見つめあう。

 リアは俺の口元に垂れる唾液をすっと指でからめとって舐めた。

 その仕草にドキッとして、ぼーっとする意識は一瞬で消えた。


「おはよう、リア。」

「おはようございます、アルテさま。」


 体を起こしてみると、玄関だった。

 木の床に横たわって寝ていたせいか、身体が痛い。

 野営で慣らしたはずの身体でありながら、痛みを感じてしまうとは。

 そもそも、外で寝るときは土の上が多い。

 それは幾らか板の上よりも柔らかいのだが、その差異によるものだろうか。

 まあ、そういう事にしておこう。決してなまったわけではない……はず。


「腹減ったな。」

「ふふ、そう言うと思ってました。何か用意しますね。」


 リアはすっと起き上がって、調理場の方へ消えていった。

 腹も減っているが、風呂に入っていないので、汗が気持ち悪い。

 昨日の水浴びなんかは、所詮応急処置みたいなものでしかない。

 今日はしっかりと身体の汚れを落とさなくては。


 ゆっくりと起き上がってリアに続く。

 広間に行くと、オレンジ色の光が真横から差し込んでくる。

 朝日とは明らかに違う淡さと強さで、全てを包み込んでくる。

 太陽が大地に沈んでいく姿は不思議だ。美しくて、物悲しい。今日はまだ続くのに、今日という一日から別れを告げられている気持ちになる。


 夕日の中で、リアが夕食を作る。

 世界が色を変えて今日を終わらせようとする中で、リアだけが確かに残り続けている。忙しなく動き回り、音を立て、良い香りをさせる。昨日、助け出したリアが確かにそこにいる。リアが生きている実感が得られるのが嬉しかった。


 次第に良い匂いが広がり、ほどなくして料理が完成した。それをリアと一緒にテーブルに並べる。スープとパンとチーズ、それに野菜。いつもながらの早業で美味しそうなものを作るリアには感心してしまう。一緒に並んで座って『いただきます』の挨拶をした。


 優しい味に包まれる。パンや野菜は素材の味が強いのは当然として、スープから感じられるのは香辛料の強い味ではなく、コーンの柔らかな甘み。この素朴な甘さがリアの愛情のようにも感じられる。


 相変わらず、リアは美味しいかとは聞かない。

 じっと俺の顔を眺めて表情を覗う。いつもリアは俺が料理を食べるまで、自分の料理には手を付けようとしない。だから、美味しいよと微笑んでやると、リアも嬉しそうに食事を口に運ぶ。


 その様子を今度は俺が眺める。

 リアは熱いスープに口をつけ、ふーふーと熱を冷ましてから口に含むと、真剣な表情でうなずいた。どうやら納得のいく味のようだ。今度はパンを手に取って小さく千切るとスープにつけてたべた。少しパサつきのあるパンをスープに浸すと、しっとりとパンに絡んで美味しいのだろう、リアが目を細めて頬を緩める。そんなリアを見ていると、俺も嬉しくなる。


『ごちそうさま』で食事が終わる。リアが食器を洗って、俺が拭く。最初のころは手伝いを固辞されたが、頼み込んでようやく勝ち取ったポジションだ。自分が出来る事はさせて欲しいというのがリアの考えらしいが、俺はリアと一緒にできることは一緒にやりたいと頼んだら、言葉では渋りながらも嬉しそうな表情を見せた。


 皿を洗い終えたら、風呂に入る。

 昨晩は冷たい水のシャワーだったので、湯が身体に染みる。出会った頃こそ疎ましく思ったものの、今となってはリアを洗うのは俺の楽しみの一つ。細い身体に、細い髪、それを優しく洗ってやると、リアの身体が力の向きに合わせて揺れる。細い髪はよく絡まっていて、それを解かして綺麗に洗いあげてやると、見違えるようにサラサラと輝きを放つ銀色の髪。リアは洗い甲斐がある。当人も洗ってもらうのは好きなようで、気持ちよさそうに目を閉じて頬を緩ませている。それを眺めるのは俺の特権だ。


 風呂から出ると、寝室のソファに座ってのんびりとくつろぐ。リアを膝の上に乗せ、後ろから手をまわして抱きしめるように座ると落ち着く。リアは身体を預けて、頭を俺の肩に乗っけてくる。丹念に洗ったリアの髪は良い香りがする。手触りも申し分ない。リアの香り、リアの体温、リアの手触り、そのどれもが俺に安らぎを与えてくれる。


 こんな日々をずっと過ごしていきたい。

 そう想うのは、昨日の様な出来事があったからだろうか。どんな未来でもリアの側にいたいと言った言葉は嘘ではない。だが、できるのならば幸せな未来の中で一緒にいたい。その気持ちも変わる事は無い。


 リアはどう思っているのだろうか。

 俺と一緒にいる時間をとても大切にしてくれているのは知っている。その一方で、復讐への手筈も着々と進めている。かつてのリアは復讐をしたいとハッキリ言った。だが、今はどうだろうか。その想いに少しの葛藤が見えるように思う。昨日、リアはどうしたいのかという意思表示はしなかった。……もしかしたら復讐を諦めてくれるんじゃないか。そんな気持ちが頭をよぎる。


「リア……街を出て、イルトリスに行かないか?」


 復讐をしたいのかとは、とても尋ねられなかった。この街はリアの復讐心を掻き立てる。リアの両親を殺したアルタイル商会があり、リアを奴隷に叩き落した奴隷商がいる。この街にいるという事は、復讐をするという事であり、復讐心を忘れないという事でもある。


 対してイルトリスは、リアにとって幸せの象徴であり、帰るべき場所である。おそらくイルトリスに戻れば、温かな日々を過ごすことが出来るだろう。かつての知り合いもいるだろうし、リアの親戚筋の者もいる可能性がある。そうした中で生きるという事は、復讐を忘れて幸せに生きるという事だ。


 リアの動きが止まる。

 こちらからは表情は見えない。リアは聡明だ、俺の言いたいことを理解した上で、考えてくれているだろう。俺が復讐を望んでいない事、復讐に挑んだ時の末路、復讐を諦める葛藤、おそらく色んなものが頭の中に浮かんでいるのでなかろうか。


 すぐに答えが出ない事を嬉しく思ったが、次第にリアがつくる沈黙が怖くなった。

 悩むという事は、依然としてリアの中で復讐が大きいという事であり、イルトリスに行かないという選択肢が十分にあると言う事になる。もし、リアがカティスに残ると言った時、どんな言葉をかけてやったらいいのか。安易な気持ちで質問した自分を責めたい気持ちになる。自然と身体はこわばり、リアを抱きしめる力が強くなってしまう。祈るような気持でリアの返事を待った。


「イルトリス……良いかもしれませんね。」


「本当か!? ……本当に良いのか!?」


「あはは、アルテさま、喜びすぎです。」


「いや……はは、そりゃ嬉しいさ。嬉しくないわけがない。」


 リアが顔を上げて微笑んだ。ホッとした。とても怖かった。リアはきっと復讐をとるのではないかと考えていた。だが、悩んだ末にリアは生きる事を選んでくれた。それが嬉しい。


 イルトリスに発つのは3日後と言う事になった。ギルドでSランクの固定給を受け取るのを待ってからの出立と言う事だ。3日という猶予は、旅の準備をする上でも丁度いい。リアに旅用の装備を調達してやらなければいけない。準備をしっかりと整えて、金を受け取ったらすぐに出立だな。


 俺はイルトリスに想いを馳せ、幸せな気持ちでリアと一緒に眠りについた。


 翌日は、リアの希望によりカティスの街を巡ることになった。

 リアは5年もの間をカティスで過ごしていながら、街をしっかり見た事は無いという。奴隷の間はずっと街はずれの小屋にいたというのだから、無理もない。考えてみればすぐにわかる事ではあるが、奴隷が好き勝手に街を歩き回れるはずがなく、加えてリアは亜人、不用意に出歩こうものなら、五体満足に帰る事すら危ういと言える。


 カティスでも、最後くらいは楽しい思い出を作ってやりたい。

 そう思って、行きたいところを聞いてみたが、そもそもリアはカティスの街を良く知らなかった。だから、行きたい場所を聞かれても答えられるはずがない。そんな自分の無神経を反省しながらも、今日は精一杯エスコートしてやることにした。


 やってきたのはカティス唯一の観光名所、カティスの壁画だ。少し小高いところにあって、巨大な岩壁に神龍カルドヴィラが彫り込まれている。全長50メートルはある巨大な壁画。この壁画はカティスの守り神らしい。近くには凶悪な魔物が住むライアスの森があり、稀に大型の魔物が街道に現れる為、それを牽制するために小高い丘に神龍カルドヴィラを彫り込んだと言われている。効果のほどは実際には良く分からないが、街道からでも良く見える壁画は荘厳であり、彫られて以来、魔物が街道に出没する数は減っていると聞く。


 この壁画の存在は、リアも知っていたようで、いつも遠くから眺めていたという。しかし、実際に近くで見るのは初めてで、その大きさに圧倒されていた。巨大な壁画を見上げて、ひとしきり感心した後に、近すぎると良く見えませんねと笑った。たしかに、大きすぎて近くまでくると逆に良く見えない。俺たちは遠目から見ているから竜だとわかるが、いきなり至近距離で見たら、これが何を表しているのか分からないかもしれない。


 壁画を背にしてみれば、カティスの街が眼下に広がる。俺たちの家も見える。カティスの中心街も見えるし、遠くには街道やライアスの森も見える。街道の上を蟻のように小さく見える人や馬車が行き交っていた。冒険者らしき姿の人間がライアスの森に出入りしているのも見える。街の中心近くにあって、これだけカティスを見渡せる場所は、中々に素晴らしい観光地と言えるのではないだろうか。


 リアは壁画よりも、カティスの街並みにご執心なようだった。

 奴隷として5年間を過ごした街でありながら、リアはカティスの街の全体像を知らない。リアが知っているのは、街はずれの森にある小屋と、そこに佇むガインゴッツ炭鉱くらいだ。ここからリアの言う小屋と炭鉱は森の陰に隠れて見えないが、どんな思いでカティスの街並みを見納めているのだろうか。リアは風に遊ばれる髪を気にもせず、街並みをじっと見つめている。


「カティスの街って、小さかったんですね。」


「そうだな、そんなに大きくはない。」


「ふふ、これならイルトリスの方が大きいかもしれません。」


「そうか、それは楽しみだ!」


 お腹が空いたと言うリアを連れて、街の中心街へと戻る。中心街まで歩いて30分少々。すぐに人通りの多い見知った商店街に入った。ちょうどお昼時なので、飲食店がそこかしこから良い香りを漂わせて、賑わいを見せる。リアに好きな店に入るように促した。


 選んだのは、木々に囲まれた独特の雰囲気がある店だった。生い茂る緑に埋め尽くされており、大きく作られた窓からは光が勢い良く差し込んで、生命の躍動感を感じさせる気持ちの良い店だった。西方の料理を供する店らしいが、イルトリスの料理も食べられるのだろうか。


 店内に入るとすぐに、見知った顔を見つけた。ルーナだ。

 思い出すのも腹立たしいギルドでの出来事。亜人だから冒険者登録ができないと言い放った張本人。いくらギルドの方針に従って応対しただけとしても気分の良いものではない。できれば、もうカティスにいる間は会いたくない人間だった。ルーナも俺たちを見て固まっている。会いたくないのはお互い様のようだ。ならば迷う事は無い。俺はリアの手を取って踵を返す。


「リア、店を変えよう。」


「……あっ、待つっす! ……っと、待ってくださいっす。」


「何か?」


 呼び止められて、軽蔑の視線を返す。俺は一刻も早くルーナから離れたい。


「この間の事……、謝りたいっす。」


「は……? ふざけるな!!」


「ごめんなさい! ごめんなさいっす!!」


「お前が――――、お前みたいなやつが――――!?」


 ふいに袖を引かれた。見ればリアが俺の袖をつかんで首を振った。リアは頭がおかしくなってしまったのだろうか、あれだけの事をされてどうして止めるのか。意味が分からない。


「ルーナさんでしたよね。」


「あ、はい、そーっす、ルーナっす!」


「お昼、御馳走してください。」


「え? あ……はいっす、全然オッケーっす!」


 …………どうしてこうなったのか!?

 案内されたのは6人掛けの広めの席。片方の椅子に俺とリアが一緒に座り、対面にルーナが座る。ルーナは好きなものをどうぞとメニューブックを差し出し、それをリアが受け取りそそくさと注文を済ませた。俺も倣って同じものを頼む。

 確かに、当事者はリアであり、俺は一緒にいただけと言えなくもない。だから、許す許さないもリアが決める事で、その条件もリアが決める事だとは思う。


 だが、どうにも納得がいかない。そもそも、俺とリアは一心同体だ。ならば、リアの屈辱は俺の屈辱であり、許すか許さないかも、俺とリアで決めるべきでは……などと思ってみても、当のリアがこの調子では、何かを言い出す気にはなれなかった。


「本当に、申し訳なかったっす!」


 ルーナはテーブルの上に手をつくと、深々と頭を下げて、改めてそう言った。

 リアは黙ったまま返事をしない。聞こえていないはずはないが、一向に返事をする気配がない。嫌な沈黙が流れる。


 許すつもりで、この席を設けたわけではないのだろうか。

 リアの意志を尊重してやりたいが、この状況ではリアがどうしたいのか分からない。ルーナはテーブルに頭をつけたまま、顔を上げようとはしない。どっちつかずの俺は居心地が悪い。


「ルーナさん。それは、何の謝罪ですか?」


「えっ……?」


「誰に何を謝罪しているのですか?」


「それは……、リアさんに、普通に登録させてあげられなかったことを……。」


「わたしが怒っているのは別の事です。」


「「え?」」


 俺とルーナの声が重なる。

 思い当たる節が無かった。ルーナが謝罪すべきなのは、リアの不当な扱い。俺もルーナもそう考えていたはずで、リアもそうだと思っていた。だが、リアは違うという。ルーナは顔を上げて目を丸くしていた。俺にも目線を送ってくるが、俺とて疑問に思うのはルーナと同じ。


「私が怒っているのは、アルテさまを馬鹿にした事です!」


「え、リア……それは、なぁ。」


 そんな事はどうでも良い事だと思った。それに、ギルド側の態度が失礼だったとは言え、最初に手を出そうとしたのは俺の方だから、ギルド側の俺への失礼な態度は仕方が無いと思っている。


 そもそも、その話を持ち出すのであれば、ルーナは完全に部外者だ。

 あの日、悪態をついたのはルーナではなく、ギルドマスターなのだから、ルーナに謝罪させるのは話が違うと言う事になってしまう。ルーナもどうして良いのか分からないようで、困惑の表情を見せている。


「アルテさま、筋違いだって思っていませんか?」


「え、あ……ああ、そうだな。」


「そうなんですよ。そもそもが筋違いなんですよね。」


「……リア?」


「わたし、ルーナさんには怒っていませんよ。」


「「はい!?」」


 またしてもルーナと共に奇声を発してしまう。


「だって、わたしの登録を拒んだのは、ルーナさんの意志じゃないじゃないですか。」


「それは、そーっすけど……。」


「ふふ、ルーナさんは優しいんです。」


リアは朗らかに笑った。


「……つまるところ、リアはどうしたいのだ?」


「んーっと、わたしとアルテさまは怒っている。だけど、ルーナさんに責任はない。

 でも、ルーナさんには罪悪感がある――――」


 一度言葉を区切って、リアはピシッと指を立てる。


「だったら、ご飯をご馳走してもらって、これで終わりにしませんか!?」


「それで許してもらえるのなら、もちろんっす!」


 ルーナは喜んで承諾した。俺は複雑な気持ちになる。

 そんな気持ちで佇む俺の裾をリアが引く。


「アルテさま……ダメですか?」


 上目遣いのリア。不安そうな瞳、俺はこの瞳には弱い……。

 リアの理屈はもっともだ。まさに正論。

 その正論をリアが言うのだから、異論をさしはさむ余地は無いはずである。

 リアの気持ちを尊重するのならば、俺の感情によって阻むべきではない……はず。


「……はあ、わかったよ。リア。」


「アルテさま!」


 怒りだとか、憎しみだとかは、この笑顔の前では些末な問題。

 改めてそう思った。だが、最後に一つだけ確かめたいことがある。


「ルーナさん、一つだけ聞かせてください。」


「はいっす、何でも聞いてくださいっス!」


「ルーナさん個人は、亜人の事をどう思っているんですか?」


「あーしっすか!?」


 リアも興味を示して、ルーナに視線を向ける。ルーナは考え込むように、腕を組んで首をかしげた。


「実は昔、あーっしは亜人の人にはお世話になった事があったっす。」


「「そうなんですか!」」


「……とか言えたら良かったっすけど。」


「「おい―――っ!!」」


「なはは……すまねーっす。あーっし、あんまり、シリアスなのは得意じゃねーっすから。」


 拍子抜けする前置きをいれるとルーナは、少し真面目な顔になった。


「正直なところで言えば、良くも悪くも、何とも思ってねーっす。」


 それはつまるところ、ルーナの中には差別が無いという事でいいのだろうか。


「――――ただ、今のギルドマスターが、あんまりにもあれなもんっすから。」


「……あの人ですか。」


「あの人は、許せません! アルテさまを馬鹿にしました。」


 鼻息を荒くするリアが可愛くて、撫でてやる。

 すると、こっちに肩を寄せてきて、嬉しそうな表情を見せた。


「お二人は、とっても仲がいいんっすねー。ちょっと意外だったっす、テッサさんはどっちかっていうと、クールな人だと思ってたっス。」


「アルテさまは、すっごく優しいですよ。ちょっと、意地悪なところもありますけど、優しくて心配性で……強くて、カッコいいんです。」


「や、やめないか、リア……」


 顔を赤らめて俯くリアに、焦る俺。恥ずかしくなるならいなら、言わないでくれ……、こっちまで恥ずかしくなってくる。その様子をルーナがニヤニヤと見ていた。


「あれあれー、そーいう関係っすかー! いいっすねー、大好物っす!!」


「いや、あの、その、なんですか。……そういえば、ギルドがあんな風になったのはいつごろからなのですか?」


「なはは、話題逸らしたっすね。まあ、いいっす、その反応で満足っす。

 ギルドが亜人に厳しくなったのは、今のギルドマスターになってからっすかね。」


「確かに、あの人は酷かったですね……」


俺はルーナの言葉に相槌をうつ。

あいつは、リアを亜人だからという理由で馬鹿にした……絶対に許せない相手だ。


「はいっす。レイザー・ウィルハルト……5年くらい前に就任したっすけど、あの人は、性格最悪っす! 態度悪いのは亜人だけじゃないんす、ギルドの人にもマジ嫌われてるっす。」


「レイザー……。」


リアが、ギルドマスターの名前を繰り返す。

俺とリアの怒りの対象。リアはとても忌々しそうな顔でその名前を呟いていた。しかし……あんな様子でよくギルドマスターになれたものだ。


「よく、それでギルドマスターになれましたね。」


「性格はあれっすけど、能力と実績だけは凄いんすよ。……まことに遺憾ながら!」


「確かに……床に倒された時、何をされたか分かりませんでした。」


「アルテさまが、本気だったら絶対にまけてません!」


「ははは、ありがと、リア。」


「本当に仲が良いっすね、カティスでは珍しい光景っス。微笑ましいっす。」


「……こほん、えっと、実力の方は何となくわかりますが、実績と言うのは?」


「んー、そっちが何か怪しいんっすよねー。」


「怪しい……?」


「何ていうんすかねー、不正っていうんすか。

 あの人、ギルドに昔からいたわけじゃなくて、突然入ってきてギルドマスターになっちゃッてったんすよ。」


「そんな事があるものなんですか!? というか、出来るものなんですか?」


「普通無理っス、あり得ないっす! けど、アルタイル商会の口利きがあったみたいで、ギルド上層部から派遣されてきたっす。ごり押しってヤツっすかね……なんか怪しくないっすか?」


 アルタイル商会の名前が出たところで、隣のリアがピクリと反応する。テーブルの下で震えるリアの手をそっと握りしめた。


「それは……怪しすぎます、ね。」


「……5年前。……アルタイル商会。……レイザー。」


 リアが不吉なキーワードを口にする。かつてリアがこの地に訪れたのはおおよそ5年前。奴隷商を通じてアルタイル商会に買われ、そこでの強制労働によって両親が死亡している。この不気味な一致はただの偶然なのだろうか……。


「アルタイル商会はカティスでは結構大きな商会っす。ギルドは基本的に街の権力者には弱いっすけど、さすがに口利きだけでギルドマスターになれるのは普通じゃないっす。そもそも、当時はアルタイル商会の勢いは凄かったっすけど、知名度はまだまだだったっす。それに、なんでアルタイル商会がマスターに肩入れするのかも謎っす。今日もアルタイルのガインゴッツ炭鉱で会合があるとかで、マスターが訪問する準備してたっす。」


 何にせよ、明後日にはカティスを離れるというのに、こんな話は聞きたくない。そもそも、ルーナはギルド職員だ。ギルドの内情を暴露するのはまずいんじゃないのか。


「ルーナさん、ギルド職員なのに、そんなにベラベラ喋ったらまずいんじゃないですか?」


「なはは、そーっすけど、あの人の悪口でも言ってないとやってられないっす。」


 窘めてみるも、当のルーナはどこ吹く風。この人の性格は相当緩い。


「……ルーナさん、レイザーは、もと奴隷商人とかだったり……しますか?」


 この場に乗じて、リアも質問を返す。

 リアの目が怪しい光を帯びている。ルーナもかすかに呼応するかのように見えた。

 これ以上はまずい、俺たちは明後日、何もかもを忘れて街を出るんだ。


「リア、やめないか。明後日には街を出るんだから。」


「……すみません、そうですね、アルテ様。」


 ありがたい事に、この会話を聞いてルーナが食いついてきた。


「えー、アルテ様たち、街を出て行ってしまうんすか!?」


「その予定です、明後日にギルドでお金を頂いたら、そのまま出て行こうと思っています。そもそも、一ヶ所に滞在するスタイルではないですからね。そろそろ移動の時期だなと思っていたところです。」


「うーん、残念っす……」


 そこでレイザーに関する話は終わり、昼食を食べてルーナと別れた。せっかく、カティスを離れる決心をしたところで、リアの気持ちが揺らぐのではないかと終始不安だったが、リアの様子にさほど変化が無かったことで安心できた。それにルーナとのわだかまりがそれなりに解消できたことも良かった。


 午後からは、リアの希望で魔法店に行くことにした。以前ギルドに行くときに立ち寄った店だ。帰り道にあるので、遠回りにもならない。旅に出る前に学習用の書籍を一つ買っておくのも良いだろうと思って了承した。旅の合間は何かと時間を持て余すことが多い。そんな時には読書をするに限る。もっとも、リアは見るだけで、お金を使うつもりは無いのだろうけれど。


 リアに旅中に読めるものを一冊選ぶように促して、自分も何か一冊選ぶことにする。

 やはり、リアは出費に関して少し渋い顔をしたが、すぐに金が入る事や、書物を読んで生活に活かせば投資以上のリターンがある事などをそれっぽく説明すると頷いた。


 俺は前回来た時に、気になった本があったのでそれを選んだ。

 一方、リアは随分と熱心に魔法書を選んでいる。実用書や歴史書などを熱心に吟味して、うんうんと首をひねっていた。その仕草が面白く、可愛い。あまりにまじまじと眺めていたからか、選びにくいと追い出されてしまった。


 俺はリアに金を渡して、店の外で待つことにした。外に出ると、喧騒と生ぬるい風に包まれた。魔法店の静かでひんやりとした空気とは真逆。長く伸びた屋根の下でのんびりと待つことにする。


 何気なく包みから購入した本を取り出してみる。「魔戦争と7つの視点」と書かれた漆黒の本。重厚な革で作られた丁寧な装丁。黒色の革が綺麗な金糸で縫い付けられており良く映える。


 かつての世界大戦の折に、各国の魔道部隊がぶつかった際の歴史書。それを様々な国ごとの視点から振り返っていくという内容。少し昔までは多様な視点から大戦を振り返る事は、売国奴と罵られて、本などとても出版できたものではなかったが、最近になってようやく出回り始めたようだ。各国の諸事情はそれなりに知っているつもりではあるが、こうして改めて纏められていると興味をそそられる。


 表紙をめくると、手触りの良い上質な紙が手に触れる。するりと滑る絹の様な気持ちよさ。目次にさらりと目を通し始める。


「アルテ様! 今読んだら、意味ないじゃないですか。」


「あ、ああ、リアか。そうだな、どうにも気になってな。」


「アルテ様は本当に本が好きですね。」


 リアは仕方ないなーと言った風に笑った。危なかった、あのままリアに声をかけられなかったら。ガッツリと読みふけってしまう所だった。俺は本を閉じて包みに戻すと、リアの手を取った。


 夕食はリアの希望により家で摂る事になった。何だかんだと言ってもルーナと昼食を摂った事が疲れたのか、夕食は家でゆっくりと食べたいとの事だった。家で作ると、リアが大変なんじゃないかとも思ったが、リアに言わせるとそうでもないらしい。


 レストランに寄らないかわりに商店街で、様々な食材を買って家に帰った。リアは疲れたと言ったが、たくさんの荷物を持たされた俺も相応に疲れた。それでも、これらの材料がこれからリアの手にかかって、美味しい料理になるのかと思うと疲労もどこへやら。調子に乗るのでリアには言いたくないが、リアの料理は美味しい。


 トントンと小気味よい食材を刻む音が止むと、次第に良い匂いが鼻をくすぐる。料理の完成が近いサイン。ソファから立ち上がって、料理を運ぶ手伝いに厨房へと足を運ぶ。二人で料理を並べると、あっという間にテーブルの上はご馳走の山になった。


「「いただきます!」」


 いつものように二人で手を合わせてから、料理に手を付ける。俺はもう待ちきれないとばかりに、料理を口に放り込む。リアはいつものように俺の様子を見ている。美味しそうに食べる俺を見て、リアも嬉しそうに笑うのがいつもの日課。それを見て癪に思いながらも俺も嬉しい気持ちになるのだ。


 だが、料理を口に運ぶ俺を見るリアの表情がいつもと違う。些細な違和感を感じる。


 ……おかしい!?


「アルテ様……」


 ふいに身体の自由が奪われてゆく。意識が重い、薄れる……。


「ごめんなさい……」


 崩れる俺を見つめる泣きそうなリアが見えた―――――。

 何もできず、真っ黒な闇に落ちていく。この料理……何か入って…………。

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