第15話 復讐に必要なもの

 俺たちは、並んで街外れを目指した。

 薬草の採集と言う事で、俺は帯刀はしていない。リアに戦闘するクエストは受けないという一種の意思表示だった。薬草採取とは言え、丸腰で挑むなど、冒険者としてどうかと思われそうな行為ではあるが、俺の考えは揺らがない。


 それにリアには内緒にしているが、いざとなれば胸ポケットにはミスリル性のナイフを携帯している。魔力を込めれば剣としても使えるので、全くの丸腰と言うわけではない。


 薬草の採集は、街を少し出たところで行う。

 街道脇に広がる森、その麓の草原に薬草は多く生えている。


 しかし、多く生えると言っても、一面が薬草畑などという事は無い。

 雑草に混じってポツリポツリと薬草がある状態。

 素人はもとより、熟達したものであっても、数を集めるのは骨が折れる。


 今回の採集依頼における、必要本数は120本。

 この数は相当に馬鹿げている。ベテランが半日汗水たらして、ようやく集められる数。

 しかも、買取価格が1本あたり銅貨12枚、商店に持ち込めば15枚くらいにはなるだろう。


 これが5本とか10本くらいの依頼であれば、理解できる。

 ギルドの昇格を狙う為には一定数以上の依頼をこなしていかなければいけないし、

 昇格せずとも現在のランクを維持するために依頼をこなすこともあるだろう。

 そういう者たちにしてみれば、物のついでにできそうな依頼は魅力がある。


 だが、120本と言う狂気の本数はダメだ。

 誰も受けずに、午後まで残っていたのは、当たり前でしかない。

 本当にこの依頼を出したやつは、どこの頭のおかしいイカレ野郎なのか……。


「……そんな感じだ。

 これで、薬草の場所と探し方と、採取の仕方は分かったか?」


「はいっ、大丈夫です!」


 泥のついた手で汗をぬぐうリアは誇らしそうだ。

 相変わらずリアは呑み込みが早い、ちょっと教えたら要領を得た。

 だが、頬に着いた土を見るに、終わる頃には泥まみれになっていそうだ。

 帰ったら、そんなリアを洗ってやらないといけないな。


「では、ここからは手分けして二人で探そう。

 俺はこっちを探すから、リアはそっちの方を探していけ。」


「分かりました!」


「あんまり、遠くには行くなよ。」


「ふふ、アルテさまったら、心配しすぎです。」


「うるさい、特にあっちのライアスの森には―――」


 リアが突然走り出した。

 その先にはホーンラビット、小さな耳の長い魔物。


「あっ、待て!おい!!」


 リアは止まる様子はなく、そのまま抜剣。

 風のような軽さと速さで、ミスリルの剣を魔物に突き立てた。


 俺は一瞬ひやりとした……だが、

 その姿は美しく洗練された、ハンターのそれだった。

 人が生きる為に必要な、はるか昔から続く日常の営みの姿。


「アルテさま! 晩御飯を確保しました!」


 リアの表情も緩やかだった。

 その顔に復讐心は見えない。


「あーっ!アルテさま、わたしには狩りなんてできないと思ってましたか!?

 わたしはこう見えても、昔から野ウサギくらいは狩っていたんですよ。」


「……ああ、そうだな。大したものだ、良い動きだった。」


 讃辞に気を良くして、リアはニコッと笑ってみせる。

 そのまま、ウサギを足元に置いて、薬草を探し始めた。


「アルテさまは、心配しすぎです。

 こんな小さな魔物なんかじゃ……」


「ん?」


「……いえ、何でもないです!さあ、さがしましょー!」


 リアの言いかけたことが気になったが、

 どんどんと薬草を探して離れていくリアの背中を見て、俺も薬草を探すことにした。


 薬草探しは順調だった。

 大きめの革袋の半分を満たし、数も50束を超えたくらいだろうか。

 まだ、探していない草原が目の前には広がっている。

 リアの方も順調そうで、時々手を振って合図を送ってくる。

 この分なら、暗くなる前には120束を集めて帰ることが出来そうだ。

 正直なところ、今日中は無理だと思っていたので、ありがたい誤算。


 別の誤算が生まれた。


 リアの姿が見えなくなったのだ。

 これまでは離れていても、草むらからリアの上半身が見えていた。

 だが、今は全く見えない。

 熱心に探しているのかと思って様子を見ていたが、一向に見えない。

 大声で呼びかけてみても、草原を撫でる風と共に消えていく。


 街道と森の間にある草原。

 その中で、俺一人だけがぽつんと立っている。

 見通しの良い草原、見通しの良い街道。

 見通しの悪い暗い森。消去法で考えると、リアが森に消えたことになる。


 ライアスの森。

 カティスの街道の横に広がる大きな森。

 木々が深く生い茂り、日中でも森の中は暗い。

 奥まで行けば、幻獣と呼ばれるような規格外の魔物や、エルフの隠れ里があるともいわれている。

 その真実は未踏の森の別名があるとおりに、未知に包まれている。

 俺も中層くらいまでは立ち入った事があるが、その辺りからは一気に魔物が多くなり、それ以上進むことができなかった。


 また、そういった性質から、この森には罪人が逃げ込むことが多い。

 確かに追手から逃れるという意味では効果的かもしれないが、

 その多くは、この森で1日と待たずに命を落とす。

 入り口付近は安全だが、多くの人が採取に訪れるし、追手からも逃れられない。

 奥へと進めば逃げられるかもしれないが、凶悪な魔物が待ち受けている。


 そういえば、昼間の依頼表には、盗賊の討伐依頼があった。

 それは、たしか……ライアスの森。


 もしかして、リアは……!?

 嫌な汗が噴き出した。森に漂う闇が濃さを増す。

 もうすぐ日暮れ、夜は魔物の動きが活発になる。


 俺は、全力で走り出した。


 相変わらず不気味な森だ。

 木々はうねうねと曲がりくねり、頭上で絡まり、空を覆う。

 夕日ではここまで届くことが出来ないようだ。

 周囲はどこまでも暗い。


 ぬかるんだ足元、地面が苔むしていて滑りやすい。

 リアは大丈夫だろうか。一刻も早く見つけて、この森を出たい。


 音を立てずに森の中を駆け抜けていく、リアの気配を辿るため。

 全神経を集中して、リアを探す。

 聴覚を、嗅覚を、視覚を。


 風の音、木々の音、水の音、虫の音、獣の音。

 風の匂い、木の匂い、土の匂い、カビの匂い、獣の匂い。

 闇、闇、闇、闇……。


 どこにもリアがいない。

 どこにもリアの手掛かりがない。

 焦燥感だけが、どんどんと募る。


「くそっ、くそっ!!」


 リアはやはり、殺しの経験を積みたかったのだろうか。

 “こんな小さな魔物なんかじゃ……”とリアは言った、あの続きは何だったのか。

 こんな小さな魔物なんかじゃ、負けたりしない―――?

 だが、もし違うならば……。


 “こんな小さな魔物なんかじゃ、殺したことにならない”


 昼間にリアが見せたのは、狩りだった。

 あの所作には、復讐を思わせるような殺す為の殺しは見えなかった。

 だから、安心してしまったのだ。リアの復讐心がどれほど根深いのかを知っていながら、俺は……。リアに人殺しをさせるわけにはいかない。たとえ相手が罪人だとて。


 それに問題は殺しの問題だけではない。

 ライアスの森を隠れ蓑として活用できるほどの力を持った盗賊が相手だとしたら、

 今のリアではとてもではないが、太刀打ちできない。

 ―――返り討ち、殺されてしまうかもしれないし、ひどい目にあわされてしまうかもしれない。


 いや、それならまだいい。盗賊ならリアが殺されない可能性はある。

 それがもし、凶悪な魔物であったならば―――。


 考えるな―――、考えてはいけない。

 リアを探すことだけに注力すべきだ。

 今は余計な詮索は全て邪魔でしかない。

 俺は走りながら、自分の頬を力いっぱい引っぱたいた。


 全力で駆け抜けて、どれくらいの時間が経ったのか―――。


「グオオオオオオオーーーーーッ!!」


 魔物の巨大な鳴き声が耳をつんざく。

 同時に、強烈な腐臭が襲い来る。

 地面が揺れ、木々がざわめいた。


 そして、わずかに感じられる人の気配。

 複数の人の匂いに混じって、俺の知っている匂いがする。

 いつも、困らせてばかりの、安心させてくれる、ほっとする香り……。


 ―――リアの香り!


 迷うことなく一直線に、リアのもとへ!

 1秒でも早く、0.1秒でも早く!


 ―――生きていてくれ!


 血の匂いが濃くなっていく、誰かが血を流している。

 誰が、誰が―――ッ!?


 木々の間を抜けると、小さな広間があった。

 月明かりが差し込み、月下で震えるリアが見えた。


 安心して視界が広がる。

 すると、凄まじい惨状に気づいた。


 盗賊が7人、そのうち5人は血を流して絶命している。

 頭をかみ砕かれて、身体を潰されて、上半身がない者もいる、下半身がない者も。

 立っている盗賊は2人、1人はかなりの手傷を負っている、もう一人は軽傷。

 そして、盗賊たちの向いている方にソレはいた。


 ……グレンデル。

 5メートルほどの巨大な魔物、森に潜む凶悪な魔物だった。


 人型に近いが顔は獣のように醜く、それに比例するように残忍な性格を持つ。

 全身を灰色の毛で覆われ、鋭い牙や爪がギラギラと光る。力も非常に強く、人間など素手で軽々と叩き潰してしまう。握られたこん棒で殴れば、堅牢な城門であっても粉砕されるだろう。


 ここまでなら、鈍重なトロールと同じだが

 グレンデルは動きが早く、知性もある。

 そのせいで討伐の難易度が跳ね上がる。

 普通はこんな中層の手前にいるような魔物ではない。

 人の匂いを辿って、ここまで降りてきたのか……。


 かつて、俺が森を探索した時に出会った魔物だが、

 今目の前にいるそれは、以前戦った個体よりも大きい。

 当時ですらかなりの苦戦を強いられた相手。


 グレンデルは、醜い顔に醜悪な笑みを浮かべていた。

 既に勝負はついている、後は獲物をなぶり殺して楽しむだけ、そんな感じだ。

 知性があるという魔物は恐ろしい。


「ひっ―――ああああああぁーっ!!!」


 盗賊の腕が飛んだ。

 グレンデルの振り回したこん棒がかすっただけで、人間の身体は容易く壊れる。

 棒立ちの状態から、こん棒を振り回すまでが相当に早かった。

 やはり、この個体はかなり強い。


「くそ、こんな小娘に構うんじゃなかった!!」


 軽傷の盗賊がリアを引きずり倒して、踵を返した。

 押し出されたリアはグレンデルの前に倒れこむ。

 グレンデルがおぞましい笑いでこん棒を振り上げる。


「リアアアアアアアアアアアアア―――――ッ!」


 俺の叫びにグレンデルが一瞬の躊躇を見せる。

 すんでのところで、リアに追いつき倒れこむように抱えて、地面になだれ込んだ。


 刹那、轟音とともに地面が揺れる。

 リアのいた場所には巨大な穴が開いていた。


「はあ……はあ……、リア、生きてるか、無事か!」


「あ、ああっ、アルテさま、アルテさま―――!」


 リアが俺を見て、呆然自失から息を吹き返す。

 抱き着いてくるリアの体温が、俺にリアの生存を実感させた。


 追撃はすぐに来なかった。

 振り返ると、逃げ出した盗賊をいたぶるグレンデルが見えた。

 足を握りつぶし、腕を噛みちぎり、逃げられなくなったところをニタニタと笑って足蹴にしている。

 もう一人の腕を無くした盗賊は、へたりこんでその光景を見ていた。


 グレンデルの最悪な知性が垣間見える。

 おそらく、逃げようとした瞬間、追いかけてきて殺しに来るのだろう。

 どう考えても逃げられない。

 俺だけなら何とかなるが、リアは必ず追い付かれる。

 俺はリアを守らなければいけない。


 ……戦うしかない。


 震えるリアの腕を優しくほどいて立ち上がる。

 すると、思った通り、グレンデルがこちらを向いた。

 血にまみれ、涎をたらし、気持ちの悪い笑いを携える。

 そして、もう飽きたと言わんばかりに、盗賊を踏み潰した。


「リア、少し下がっていろ。」


 リアは震えたまま返事をしない。

 とりあえず、そのまま大人しくしてくれればいい。


 俺はグレンデルに向けて、歩き出す。

 胸からナイフを取り出し、そこに魔力を込める。こんな事なら、きちんとした剣を持ってきていれば良かったと後悔がよぎるが、致し方ない。


 魔力を込めるとナイフが光り輝き、先端から黄金の刀身が伸びた。

 その切っ先を向けて、グレンデルを睨みつける。


「Sランク冒険者を舐めるなよ。」


 俺はグレンデルに向かって走り出す。

 グレンデルはけたたましい咆哮をあげて、俺に向かって走り出す。


 距離は瞬く間に縮まり、勢いのままに剣を突き出す。

 風が裂け、空間が裂けていく、鋭い風切り音がして、衝撃で土が巻き上がる。

 切っ先が空を切り、衝撃が突き抜けて、前方の木だけを粉砕した。避けられた――――


 身体をひねって避けたグレンデルが、掲げたこん棒を振り下ろすさまが見え、急加速する棍棒が頭上に迫る。


 そのまま俺は勢いを加速させ、斜めに飛んでグレンデルの脇に入りこむ。

 背後で爆発音がして、地面が抉れ、飛び散った土くれが背中に当たる。


 俺は脇に入り込むと同時に、剣を横なぎにグレンデルめがけて切りつけていた。

 これが狙いの一撃、本当に仕留める為の一撃。

 切っ先がグレンデルの脇腹を切り裂いた。


 浅い―――!


 グレンデルは逆方向に飛ぶことで致命傷を避けた。

 不安定な体勢で、よろめくように着地して、こちらを睨みつけようとして、表情を変える。既に俺は次の一撃を放っていた。


 切っ先がグレンデルの鼻先まで到達している。

 先端がグレンデルの肉に到達し、めり込んでいく。


 とった――――っ!?


 横なぎにグレンデルの棍棒が俺に迫った。

 とっさに棍棒を剣で受けるが、衝撃を殺しきれない!


「―――ぐっ!」


 グレンデルの表皮を抉りながら、俺は吹き飛ばされ、地面を転がって、土ぼこりを上げる。


「ぐはっ、げほっ……げほっ。」


 即座に回復魔法で治療。

 大丈夫、致命傷ではない、回復も間に合う。


 まだ、戦える!


 グレンデルは傷を負い、痛みをかみ殺すように凄まじい形相を見せていた。

 手負いの獣と言ったところか、これは少し不味い。

 さっきまでは幾らかの油断があっただろうが、ここからは本当の真剣勝負。

 出来れば、先ほどの一撃で確実に仕留めておきたかった。


 震えるリアが視界の端で見える。

 何かを小さく呟いている、口の形からして俺の名前を呼んでいるのだろう。

 心配せずとも、必ず勝ってみせる。


「うわあああああーーーーっ、バケモンだっ、助けてくれえーーー!」


 俺とグレンデルの攻防が止んだ一瞬で、意識を取り戻したのか

 手負いの盗賊が大声をあげて逃げ出した。


 俺は背後の盗賊になど目もくれない。

 グレンデルも追いかけなどしない。

 奴の全神経は、今や俺に向いている。


 だが、リアが走った。

 盗賊を追いかけて――――――!?


「リア、待っ―――!」


 隙だった。

 グレンデルが地を蹴り、放った渾身の一撃。

 距離が無ければ殺されていた、半歩先の地面が消えている。


 くそっ、リアを止めなければ!


 だが、グレンデルがそれを許さない。

 棍棒はそのまま地面を抉り、その土塊を俺に向けて投げつける。

 先ほどまでの小さな土くれとは比較にならない。

 当たれば圧殺される。


 横に飛んで躱すが、当然読まれている。

 飛んだ先には、既に棍棒が振り下ろされて迫っていた。

 完璧なタイミング、回避不能、とどめの一撃。


 俺は渾身の魔力を込めた剣で迎え撃つ。

 棍棒に目掛けて一直線に、剣を突き出していく。

 避けられないならば、受けるしかない!


 突き出した剣が棍棒と激突する。

 鈍く重たい音と共に、魔力を内包した剣が大音量で爆発する。

 大人の男ほどもある巨大なこん棒が、粉々に砕け散った。

 霧散する棍棒の欠片の隙間から、驚愕の顔を浮かべるグレンデルが見えた。

 俺の剣はまだ生きている。切っ先がそのままグレンデルへと真っすぐに伸びていく。


 グレンデルは紙一重で体勢を傾け―――

 剣の切っ先はグレンデルの顔面ではなく、左肩を捉えた。

 そして、グレンデルの身体が魔力の爆発によってはじけ飛ぶ。


 グレンデルの身体が地面にズシャリと叩きつけられ。

 空高く舞い上がった左腕が、少し遅れてグレンデルの後方に落ちた。


「……くそっ!」


 ナイフの刀身が魔力に耐えられず、瓦解していく。

 こんな事ならばきっちりとした魔法剣を持ち歩くべきだった。


 よろめきながらも起き上がるグレンデル。

 コイツには痛みに悶えるという感覚は無いのだろうか。

 激しい怒りの表情だけが伺える。


 はやくリアを追いかけなければいけないのに……。

 これだけの手傷を負わせてやったのに、

 今なお逃がすつもりも、逃げ出すつもりもないらしい。


 俺は両手を握り占めて構えると、魔力を滾らせ拳に炎をまとわせる。

 攻撃力の高い魔法剣を使えなくなったのは痛いが、

 俺の攻撃手段は潰えてなどいない。魔法とて俺の得意分野なのだから。


 グレンデルの表情が引き締まる。

 剣を失った事をみて、俺に戦う手段がなくなったとでも思っていたのだろう。俺の無言の否定に気を悪くしたらしい。どこまでも不愉快なやつだ、さっさとトドメをくれてやる。


 突進するグレンデル。

 俺は風の魔法を叩き付けるが、皮膚には傷一つつかない。

 氷の魔法で足を凍らせようとするが、物ともせずに絡みつく氷を叩き割りながら前進する。

 2つの魔法を放ったところで、グレンデルが射程内に俺を捉えた。

 隻腕になったグレンデルは、豪快に拳を突き出してくる。


 剣のそれとはまったく違う激しい風切り音。

 空振りでありながらも、空を切る衝撃で地面が抉れる。

 巨大な棍棒の主が己であると主張するかのように、凄まじい威力が込められていた。


 そのまま、グレンデルが地を蹴る。

 方向修正と加速を同時にこなし、空振りの勢いを殺すことなく体当たりへと切り替えた。

 まともに受ければひとたまりもないが、隻腕になった事で攻撃が単純だ。

 避けることなど造作もない。


 俺は風魔法を纏って跳躍し、グレンデルの上空へ。

 グレンデルは体当たりを外し、地面に倒れこんだ。

 起き上がろうとするが隻腕のため、動作が遅い。

 腕で身体を押し上げた事で、自然と無くした腕の傷が上部に晒される。


 拳を握りなおし、ありったけの魔力を注ぎ、拳を燃やす。

 月明かりの森が、俺の炎を受けて光り輝く。

 そして、真っすぐに伸びる槍のようにグレンデルへと突っ込んでいく。


「死ね!!」


 肩口の傷に拳を打ち込み。

 内包する魔力を爆発させる。


 一瞬のうちに闇が戻ったかと思うと、刹那グレンデルの身体が眩く光り膨張していく。


 グレンデルの巨大な上半身が、俺の放った魔力で粉々に砕け散った。

 上半身を無くしたグレンデルはもはやピクリともしない。


「手間取らせやがって!」


 俺はすぐさま、走ってリアを追いかけた。


 血痕を辿り……。


 闇を駆ける……。


 闇を駆け抜ける……。


 闇を駆け抜けた先には、似たような広場があった……。


 そこには、月明かりに照らされるリアがいて……。

 すでに動かぬ盗賊に馬乗りになり、剣を突き立てる姿があった。


 引き抜き、突き刺す。


 引き抜き、突き刺す。


 何度も、何度も、何度も。


 おそらく、俺がグレンデルを倒している間、ずっと……。


「やめろっ!やめるんだ!!」


 走ってリアのもとへ。

 血の絨毯が足に絡みつく、水とは明らかに違う異質の粘り。

 倒れこむようにリアを羽交い絞めにして、血だまりの中に転げた。


「バカ野郎!」


「アルテさま、放して!! 殺さなきゃ、殺さなきゃいけないんです!」


「分からないのか!もうとっくに死んでいる!よく見てみろ。」


「そんなわけ―――――いやああああああああっ―――――!!」


 その死体はもう原形をとどめてすらいなかった。

 剣を手放し、顔を覆い隠すリア。

 返り血に染まった手が、リアの顔を赤く染めていく。

 まるで、心が血にそまっていくような……。


 リアを復讐から遠ざけようとしていたはずなのに。

 リアはどんどんと闇に向けて走っていく。

 心を闇に侵され、血に染め上げて、次はどうしようというのか。


 拭ってやろうとしてリアの頬に触れると、俺が受けた返り血で滲む。

 俺では救えないのだろうか、俺の手は既に血濡れだ。

 血で血を洗う事なんて、できやしない……。

 そういう事なのか。


「リア……、ひとまず、ここを離れよう。」


 俺は光魔法を唱え、輝く球体を作り出し周囲を照らす。

 リアを何とか立たせると、手を引いて移動する。

 盗賊の痕跡を辿れば、根城にしている場所へ行けるはず。

 今日はそこで夜を明かして、早朝に戻ろう。

 夜は危険だ。


 リアは自分の剣を持てなかった。

 手が震えて持てるような状態ではなかったのだ。ようやっと掴んでも、心が拒否して剣を落としてしまう。


 それでも、リアは剣を置いていこうとはしなかった。

 その姿が、とても悲しく、痛々しい。


 もういっそ、剣なんか捨てていけばいいと思ったが

 少なくとも安全な場所に出るまでは武器が欲しい。

 またグレンデルの様な魔物が出ないとも限らない。

 俺はリアの剣を自分の腰に下げて、リアの手を引いて歩いた。

 こんなものは街についたらさっさと売ってしまえばいい。


 少し歩くとそれらしい小屋が見つかった。

 小さな木造で、急ごしらえである事が良くわかる。

 中は一室のみで、盗賊のものらしい雑多な道具が置かれており、

 多少散らかっているが、二人で使うにはそこそこ広い。

 一晩、夜風を凌ぐには申し分ない。


 盗賊は7人いた。

 おそらくこの時点でここに他の盗賊がいないのならば、

 あの7人の盗賊で全員だろう。


 場所も悪くない。

 岩壁の一角、岩の下にひっそりと隠れるように建てられているので、魔物に見つかりにくい。

 小屋の奥には扉があって、そこからさらに奥へと進んでいける。

 形としては洞窟の入り口を小屋でふさいだという感じだろうか。


 洞窟の中はちょっとした広場になっていた。

 脇に湧水なのか、滾々と水が流れる場所があり、

 その外には緊急用の脱出口なのか、崖に続く穴とロープが備えてあった。

 なるほど、7人が使う小屋にしては小さいと思ったが、

 奥の広間も合わせて考えると広々としている。


 一通りの地形と安全を確認すると、小屋の中へと戻った。

 壁を背にして床に座るリアが見える。

 先ほどの生々しい惨状の残り香をべっとりと身に着けたまま。

 リアは血まみれだった。


「リア、こっちへ来い。」


 ぼんやりとしているようだが、俺の声はちゃんと聞こえているようだ。

 静かに立ち上がって俺のところまで歩いてきた。


 服を脱ぎ、一緒に水を浴びる。

 水量がそんなに多くない上に水が冷たい。

 魔力でお湯にかえる事はできなくはないが、魔力残量が心許ない。

 グレンデルとの戦闘では、かなりの魔力を使ってしまった。

 魔力耐性のあるミスリル製のナイフが砕けるまで魔力を注ぎ、最後は魔力そのものを使った戦闘になった。安全な場所に入るまでは、節約して温存しておきたい。


 冷たい水は、これが夢ではなく、現実だという事を知らしめる。

 水が血を含んで流れていく、髪についた血を、身体についた血を含み

 穢れた水が足の先から流れて、地面に消えていく。

 そうして、心にしみこんだ血だけが残った。


 盗賊の荷物の中にあった布で身体を拭き、毛布の中にリアを放り込む。

 俺は血だらけの衣類を水で洗って、脱出口の様な場所にあったロープを使って、そこに干しておいた。

 崖だけあって風が強いから、朝までにはそこそこには乾くだろう。

 そうして、少し遅れて俺も毛布にくるまって、リアの横に座った。


「明日、太陽が昇ったら、街へ戻る。

 だから、それまで寝ておけ。」


 リアがこくりと頷いて、横になる。

 いつも、こうして言う事を聞いていてくれれば、気苦労はないのだけれど。


 言いたいことはいっぱいあったはずだった。

 俺は怒っていたし、心配していたし、悲しんでいたし、俺がどんな気持ちでリアを追いかけているのか、それらを全部言って聞かせてやりたいと思っていた。


 言葉にしても伝えきれない事、どれだけ言っても言い足りない事なんて知っている。それでも、その百分の一でも、千分の一でも伝えてやろうと思っていた。


 だけど、今はリアが手元にいるだけで良かった。

 無事でいてくれた、生きていてくれた。

 それだけで充分だった。


 リアの抱える闇など、俺の中では些末な問題なのかもしれない。

 俺はもうリアがいないと生きて行けない。

 自分の命も顧みずに、こんな場所まで追いかけてきてしまうのが良い証拠だ。

 リアが復讐の剣をとるというのなら、俺もまた剣の一つとなりたいとさえ思う。


 本当はリアには幸せに生きて欲しい。

 これまでの不幸を帳消しにできるほどに幸せになって欲しい。

 けれど、それが無理だとするならば、もしリアが一人で孤独に死んでいくくらいなら

 俺はリアの隣にいて、一緒に死んでやりたい。


 リアの幸せの為に出来る事。

 リアの復讐の為に出来る事、それらはいったい何だろうか。

 俺は、リアの為に何が出来るというのだろうか。

 最近はずっとこんな事ばっかり考えている……。


 身体を震わせるリアが見えた。

 自分の愚かさが嫌になる……考える前に、もっとリアを見るべきだった。


 リアの震える手を握りしめ、俺の毛布に招き入れてやる。

 震えを止めるように強く抱きしめた。服は干したままだ、一糸まとわぬ姿で、肌が触れる。リアが救いを求めるかのように震える手で俺にしがみつく。相変わらず細くて弱々しい癖にとても暖かい。


「リア、抱くぞ。」


 リアはこくりと頷いた。

 こんな形でリアを抱くことは、当初の予定とはかけ離れているけれど、それでも今こうする事が正しいのだと、そうするべきだと思い、心の声に従う。


 俺とリアは一つになって、絡まりあった。

 身体の境界線なんてものを疎むように、もっともっと深くリアの中へ。


 リアに俺を刻みつける様に、リアを俺で一杯に満たしてやるように、

 幸せで一杯に、喜びで一杯に、笑顔で一杯に満たしてやるんだ。


 俺だけを見ろ、俺だけの事を考えろ

 俺と一緒にいて、俺と一緒に幸せを追いかけろ

 俺がリアに笑顔を与えてやる。


 大好きだ。



 事が終わり、俺はリアを抱きしめたまま満たされていた。

 言葉にならないコミュニケーションは温かだ。

 心が一つになれたような気さえする。


 もうリアの身体に震えはない。リアの表情には色が戻っていた。


「アルテさまは、どうしてわたしを見捨てないんですか?」


「はは、やっと口を開いたとおもったら、そんな事か。」


「…………。」


「リアが好きだからだ。それ以外にあり得ないだろ。」


「ごめんなさい…………わたし困らせてばっかり。」


「……振られたのかと思ったぜ。」


「……ごめんなさい。」


「かまわんさ。リアがどうしても復讐を果たしたいなら、俺がリアの剣になる。」


「……。」


「だからな、一人で走るな。一人で孤独に死ぬな。」


「…………。」


「死ぬ時は、リアの側にいたい。」


 リアの俺を抱きしめる手に力がこもる。

 胸に顔をうずめるリアの表情は分からないけれど。

 温かい滴が胸を濡らしたのは、分かった。


 ああ、夜が明けていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る