第13話 祝い事
「リア、準備はできたか?」
「はい。ばっちりです。」
今日は買い出しの為に、少し早めに訓練を切り上げた。
俺一人でも良いかなと思っていたのだが、案の定リアも一緒に行きたいと言ったので風呂で訓練の汗を流してから、街へ繰り出すことにした。
リアは女だというのに、準備が早い。
ぱっぱと準備を済ませた俺だったが、リアを待つことは無かった。というか、よくよく考えてみれば、それは当然の事だった。リアの準備は俺がしている様なものなのだから。風呂に入れるのも、髪を乾かすのも、整えるのも俺がやっている。
何と言うか慣れたものである。
それこそ、出会った頃がまるで嘘のように。最近のリアは俺に甘え切っているように思う。リアがこんなにも俺に甘えるようになったのは、風邪で寝込んだ日からだ。あの日は、特別とばかりにとことん甘やかした。それが何となく尾を引きながら今日にいたっている。さすがに、あの日のように食事を食べさせるような事はしていないけれど。
驚きなのは、俺がそれを許容している事。
かつての俺ならば、とてもではないが考えられない状況だ。こんな、女の尻に敷かれるような状況を、リアに合う以前の俺ならば軽く一蹴し、侮蔑の視線を送っているに違いない。そう考えると、何だか面白い。人生何がどうなるか、まったく予想がつかないものである。
俺は、どうやらリアの世話をするのが好きなようだ。
いささか思う所がないでもないが、リアの世話を苦痛には感じていない。
「アルテ様、はやくー!」
感慨深く思う俺をよそにリアは待ちきれない様子。
玄関の扉を開けて、急かしてきた。扉から舞い込む太陽の光がリアを照らす。洗い立ての髪がキラキラと輝き、吹き込む風がリアの良い香りを運んでくる。俺は誘われるようにして、リアの手を取った。
手をつないだまま、商店街までの道を歩く。
気恥ずかしいが、つないだ手の先から伝わってくる温もりを手離す気にはならない。むしろ、しっかりと握りしめて、離れないようにしておきたいくらいだ。握り返してくれるリアの握力が心地いい。俺の気持ちをリアが受けて止めてくれている様な気がする。
リアに告白されて、俺は自分の気持ちに気づいた。
きっかけを作ったのはリアだが、どちらが先に好きになったのかは分からない。俺は今まで誰かを好きになったことなどなかった。実際、リアに告白されるまでは、自分の中にかかるもやのような気持ちの意味を理解できないでいた。
手をつないで歩く姿。
この光景は、周囲からどんな風に見えるのだろうか。
恋人と言うにはいささかリアは幼い。けれど、親子という程に俺は大人ではない。リアに猫耳が無ければ、きっと兄妹とでも思われるのだろうな。亜人の子供と人間の俺は、何とも不思議な取り合わせだろう。
だが、昔ほど周囲の認識は気にならなくなっていた。
間違いなくリアのおかげだ。リアが俺に勇気を与えてくれたから。そうでなくては、俺はきっとこうしてリアと手をつないで往来を歩くなんてことは、できなかったに違いない。
俺とリアは日用品や食料を買いまわる。
いくらか遅い時間、品ぞろえの悪くなった店で目利きをしながら必要なモノを買っていく。ああでもない、こうでもないと話しながら、買い物をするのは楽しかった。食べ物に関するリアの目利きは中々の物で、俺が気づかないような野菜の内部の痛みを鋭く見抜いた事には舌を巻いた。亜人特有の鋭い嗅覚だからこそ、なせる業だろう。
最後の店を出ると同時に、その店の店主は店を閉めた。
それもそのはず、辺りはすっかり暗くなっていた。陽が落ちる前には買い物を終えて帰路につけるだろうと考えていたのに。とはいえ、予定があるわけでもないので困ることも無い。
食材は豊富に買いそろえたが時間が遅い。
今日は外食にして、美味しい物でも食べに行くか。どうせなら、リアの好きなものが良いだろう。リアは基本的に何でもおいしいと言って食べてしまうが、何が好きなんだろうか。そう思ってリアに問いかけようとするとリアが何かを興味深そうに見つめている事に気づいた。
「リア、どうした?」
「あ、アルテ様。あれ、なにかなーって思って……」
リアの視線を辿ると、そこは建物の一角でちょっとした人だかりができていた。
よく見ると何かのお祝い事のようで、カティスの伝統的な礼服を来た青年を拍手喝采する人々。その喝采に青年は頭を下げて応えていた。
カティスの礼服は独特だ。
確か紋付袴という服だったか、黒い羽織りと呼ばれる丈の長い上着に、袴とよばれると不思議な形のズボンを身に着けていた。家名を表す模様が羽織りに縫い込まれている。遠目ではあるが、いずれもおろしたての品の良いものだとわかる。
「あれは、成人の義だな。」
「成人の義ですか?」
「ああ、カティスの貴族は、身内が成人するとああして家の前で、お披露目して祝うのだ。」
「へえ……そうなんですね。」
リアの表情が、少し陰ったのが分かった。
これでもかと明かりをつけた貴族の家、青年は家族や列席者に囲まれて幸せそうだ。きっと、あの青年にとって、この日はかけがえのない一日となる事だろう。
だが、この光景はリアにとっては目に毒かもしれない。
どれだけリアが渇望したとしても、リアの両親は既にいない。リアが、あの青年と同じ景色を見る事はできない。その事実がリアの表情を陰らせたのだろうか。
「リア……リアが成人になったら、俺が祝ってやる。」
「……え?」
「俺一人だけではリアは不満かもしれないが……、盛大に祝ってやるからな。」
「アルテ様……ありがとうございます。」
リアが頬を染めて、はにかんだ。
俺は両親の代わりとはいかないだろうが、せめてリアが寂しさを感じる暇もないくらいには祝ってやろう。一応……恋人という事になっているしな。
「よし、リアの成人はいつだ? 来年か、再来年か?」
リアが嬉しそうに……しかし、申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……アルテ様、実は今日でわたし成人になっちゃいました……えへへ。」
「…………は?」
あれ……、リアは子供だと、思っていたんだけど、あれ?
一瞬、頭が真っ白になった。
神の舌トングルーエ。
カティスの商店街から少し外れ、貴族の住宅街に近い場所にあるレストラン。
人通りはそこそこあるが、どこか静かな印象を抱かせる場所。
俺たちは、そんな場所にぽつんと、しかし堂々と鎮座するレストランにやってきた。
巨大な石組の上に白い漆喰が塗られた囲いがあって、白や大富豪の邸宅を思わせるつくり。
そんな囲いにしつらえられたのは、石組の上に重厚な柱で作られた門。柱には細かい模様が刻まれて、緩やかなアーチを作っている。屋根は瓦と呼ばれる黒光りするうろこの様なものがびっしりと張り巡らされていた。
もはや、見ただけで分かる事だが、ここはカティスで最高級のレストランである。
カティスの迎賓館などと呼ばれ、店の作りや、サービス、室内の調度品、料理に至るまですべてが最上級で取り揃えられている。実は俺は一度だけここに来たことがあった。ギルドの接待で、冒険者ギルドのサブマスターにここへ連れてきてもらったのだ。なので、この店の事を少しは知っている。
俺はここでリアの成人を祝ってやろうと思う。
ここを選んだのには理由がある。
まず、トングルーエは全席個室だ。だから、亜人であるリアを連れていても目立たないし、買い物帰りの格好でも問題ない。正直、周囲を気にして食事が楽しめなくては意味がない。
それから豪華である事、ここは何から何までもが最上級。リアの成人の日、一生に一度しかない今日を最高に贅沢に祝ってやりたかった。そうなると、もうトングルーエ以外のレストランは選択肢に入らない。
最後に、いきなりでも対応してくれる柔軟性がある事。
普通のレストランならば、特別な対応をお願いすると要予約になってしまうが、トングルーエは普段から多様な要望に応えており、いきなりの無茶な要求にもある程度の水準で応えてくれる。だから、こうして俺が思い立ったようにやってきても、何かしらのサプライズでリアを喜ばせる仕掛けをいくつも用意してくれるだろう。
だが、一つだけ問題があった。
それは、俺たちが入店できるか……。店が俺たちを客として受け入れてくれるかどうか。この店にドレスコードなるものがあったかどうかは定かではない。ジャケット着用だとか、ドレス着用だとか、そういった煩わしいものがあっただろうか? 定かではないが、店の格を思えばあってもおかしくは無かった。しかも、ここはカティス、亜人に敵対的な土地だ。
現にスーツをビシッと着用した若い男性店員2名が、こちらを訝しむような視線を向けている。店員の服装は礼装であるスーツ、それに対して普段着の俺たち。違和感が凄かった。
「アルテ様……やっぱり、かえりませんか……?」
リアは完全に気圧されていた。正直、俺も軽はずみな行動だったかもしれないと思い始めていた。仮に、ここで入店を断られてしまえば、リアの記念日に土をつける結果となってしまう。
だが、ここまで来てしまったのに帰ると言うのは、俺のプライドが許さない。いや、それだけじゃない。こうしてここまで来てしまった以上、このまま帰ったとしてもリアの記念日に土をつける結果になるのは変わらない。
……ならば!
俺は、前に踏み出し、門の前に客として堂々と立った。
「ようこそ、いらっしゃいませ。私は案内係のベルガリアでございます。こちらはアルガイルと申します。本日、ご予約のお客様でございますか?」
ベルガリアと名乗った店員が頭を下げ、後ろの紹介されたアルガイルと呼ばれた青年も頭を下げた。さすがに丁寧な接客だった。俺は一枚のカードを胸元から取り出す。冒険者ギルドのギルドカード。硬質なブラックメタルに金文字でSと描かれた高級感溢れるカードだ。
「予約はしていませんが、入れますか?」
俺はギルドカードを提示して、店員2名に迫る。
ギルドカードは身分証であり、高ランクになるとお財布にもなる。具体的に言うとBランク以上のギルドカードは、ギルド特約店に置いて支払いに使う事ができる。後日、ギルド経由で支払う事ができるし、ギルドに預金があればそこから差し引いてもらえる。
そして、ギルドカードのランクは当人の支払い能力の証明でもある。Sランクの冒険者ともなれば、稼ぎは相当なモノであり、当然支払い能力は高い。そのギルドカードはほぼ全ての店で、ノーリミットで買い物ができる。ギルドカードで家を買うことだって出来てしまう。普通の店であれば、Sランクのギルドカードを提示するだけで、店の者は平身低頭するほどの威力である。
「もちろんでございます。恐れ入りますが、確認の為にギルドカードに魔力を流していただけませんか?」
だが、そこは一流店。変に遜る事は無く丁寧な装いを崩さない。ここは、そうした一流の人間が集う場所であるからして、珍しくは無いのだろう。それに態度を急変させることは失礼にあたるので、その辺りもわきまえているという事だ。
俺はギルドカードに微量の魔力を流す。
すると、ギルドカードの金文字が光る。これは本人確認の様なもの。ギルドカードは登録時に自分の魔力を流して、文字を刻印する。そのために、本人が魔力を流すと、文字がキラキラと光るのである。偽造は不可能と言われており、また重罪に処される。
「ありがとうございます。どうぞ、お荷物をお預かりいたします。」
「お願いします。」
ベルガリアの合図で、アルガイルが「失礼いたします」と荷物を預かってくれた。食品もある事を伝えると、適切に管理して預かってくれるとのこと。
「それではご案内いたします。」
ベルガリアに案内されて、門をくぐる。
すると、表通りの殺風景な景色とはうって変わって幻想的な世界が目に飛び込んでくる。
「わあぁ……。」
リアが驚いて、声をあげる。
そうだろうとも、俺も初めて訪れた時は圧倒されたのだから。大きく透明な池が真っ先に見えたかと思うと、そこを分断するように真っすぐに伸びる朱色の橋。橋の両端には池から石の灯篭と呼ばれるライトが伸びて橋を照らしている。夜にぼんやりと照らされた朱色の橋は、豪華でありながらもどこか儚く艶めかしい。
池を金色に輝く鯉と呼ばれる魚が泳ぐ。
キラキラと淡く輝いて、月明かりが差し込む池で月光浴を楽しむかのように戯れている。池の周りには、たくさんの花が咲いており、そのいくつかは淡く光る種類のようで、庭園を柔らかく照らす。
昼に訪れた時は、その豪華さに驚かされたが、夜に訪れると豪華さに加えて、その美しさにも驚かされる。さすがに迎賓館と称されるだけの事はある。
「ささ、どうぞ、お足もとにお気をつけてお進みください。」
ベルガリアは細い棒の先に提灯を持って、道を照らす。灯篭の明かりだけでも十分なのだが、これも演出の一環なのだろうか。ゆらゆらと揺れる淡い提灯は庭園の雰囲気に合っていた。俺はリアの手を引いて、ベルガリアに続く。
「アルテッサ様、本日のお食事は、どういったものがよろしいでしょうか? お好きなものや、お嫌いなものがございましたら、仰ってくださいませ。」
道すがらベルガリアが話を振ってくる。俺の名前はギルドカードで知ったのだろう。いきなり名前を呼ばれると少し驚く。
「今日は、この子の成人の祝いですので、祝い物が良いですね。あと……リア、食べたいものや、嫌いなものはあるか?」
「うーん……お肉が食べたいです。それと嫌いなものは……ないです。」
「そうか。えっと、そういう事でお願いします。」
「それはそれは……確かに、承りました。リア様、御成人おめでとうございます。本日は良き日にトングルーエをお選びいただきまして、誠にありがとうございます。」
ベルガリアが恭しく頭を下げる。亜人のリアに対しても丁寧に接してくれるのは、本当に嬉しい。ここは外交的な場としても使われているから、イルトリスの要人などが訪れる事もあるだろう。客であれば誰に対しても、礼節をしっかり尽くすところは好感が持てる。
「ところで、もしよろしければ当店では、着付けなども行っておりまして、成人の義にふさわしい御召し物をお貸しすることが出来ますがいかがでしょう。お気に召しましたら、そのままお持ちになる事もできますよ。残念ながらイルトリスの成人服はございませんが、カティスの物でしたら振袖と呼ばれる縁起物の服がございます。」
「へえ、それは良いですね。ぜひリアに一着ください。」
「え、アルテ様、そんな……服ってこれじゃダメなんですか?」
「せっかくなんだから、今日くらいは良いじゃないか。リアはカティスの成人服じゃ嫌か?」
「いえ……すごく嬉しいです。でも、きっと高いんじゃ……。」
「金の心配ならするな。俺はこう見えても結構お金持ちなんだ。これくらいどうって事ないさ。リアの記念日の方が大事だ。」
「はうぅ、アルテ様……ありがとうございます。」
「ああ。というわけで、お願いします。」
「承りました。お求めいただけるとの事ですので、振袖は新品の物をご用意いたしましょう。専門のスタッフがおりますので、必ずやお気に入りの品が見つかる事と思います。」
本館の入り口につくと、リアは別のスタッフに連れられて服を選びに行った。
しかし、ここはレストランというよりも、高級ホテルや美術館のようだ。本館の入り口をくぐると広大なホールとなっており、様々なオブジェや絵画が飾られている。ホールは左右と奥に伸びており、奥にはメインのレストランがある。左右の長い廊下には、様々な店が入っている。呉服店、宝飾店、花屋、土産屋、薬屋などなど。この店が冠婚葬祭の全てに即座に対応できる理由がここにある。
俺はホールの椅子に腰を下ろして、リアを待つ。
さすがに振袖を選んでくるとなると、少し時間がかかるだろう。
振袖はカティスでは縁起物の服だ。
女性固有の衣装で、華やかであり美しい。きっとリアが着たら相当可愛いに違いない。
しかし、できればイルトリスの衣装を着せてやりたかったな。
イルトリスのものがどんなものかは分からないが、リアはイルトリスの生まれだ。可能ならば、リアの生まれた土地の祝い方をしてやりたかった。
……いや、そう言えば。
イルトリスには、独特な祝い方が一つあったな。確か、大勢で成人した者に送る讃美歌が。うろ覚えだが、この店の者ならもしかして知っているだろうか。歌はあまり得意ではない……というか、むしろ不得意なのだが、それでも。
「あー、すみません。」
「はい、お呼びでございますか?」
手を上げて、人を呼ぶとすぐにベルガリアがやってきた。
確認するとベルガリアは知っているようだった。それを聞き出すついでに、宴席の要望を出しておく。きっと、リアは喜んでくれるだろう。
その後、プレゼントを買っていない事を思い出して、宝飾店に走った。
さすがに格式の高いレストラン内にあるだけあって、品ぞろえも素晴らしく。品質も一級品の物ばかり。どんなものが良いだろうか。指輪、ピアス、ネックレス、ブレスレットと目白押しで悩む。それに豪華なものか、シンプルなものかでも悩む。
というか、値段も結構ヤバい。
中央に展示してあるエンペラーダイヤのネックレスは、ちょっと俺でも手が出ない。いや、買えない事は無いが、さすがにローン持ちになるのは気が引ける。それにリアにバレたら喜んでもらえ無さそうと言うか、怒られそうなレベルだ。そもそも、ごてごてと派手な装飾の上に巨大なダイヤのネックレスはリアに似合うとも思えない。
きっと、リアにはシンプルなものが似合うと思う。
「そう……シンプルであって、質の良い物が良いか。」
「アルテ様……。」
「……だが、高そうなものはリアに怒られそうだから、シンプルでそこそこに見えるが、実は凄いやつを……。」
「アルテ様……、私の為に、あんまりお金使わなくていいですから……。」
「うむ、リアはお金を使う事をいやがるか……ら……な?」
「めっ、ですよ!」
「おわっ、いつからいた!?」
「最初からですよ、アルテ様が一人でぶつぶつとお店を歩いているところからです。ほっといたら散財しそうでひやひやしました。わたしはこれだけでも十分ですから、ね?」
「おっ……おお、リア。」
「ふふっ、どうでしょうか……?」
「……。」
「アルテ様?」
「綺麗だ。いや、本当に……。」
「はうぅ……、そんなにまじまじと言われるとさすがに照れちゃいます……」
俺はリアに引きずられるようにして、宝飾店を後にした。
赤いを基調として流れるような白い桜模様が浮かんだ振袖は、一目で上質なものだと分かった。その優美な振袖をリアが身にまとうと、まるで神話の女神が顕現したかのような非現実的な美しさを見せる。
最近の流行りだとかで丈は短くスカートのようになっており、ハイソックスを履いている。スカートの丈よりも袖の方が長く、振り返るとひらりと袖が弧を描き、スカートの丈がふわりと円を描く。何とも美しく、魅惑的だった……。
「アルテ様、リア様、お食事の準備が整いましたので、よろしければご案内いたします。」
宝飾店を出ると、ベルガリアがすっと姿を現して頭を下げた。
気を使わせないように見えないところで待機していたようだ。案内をお願いすると、先ほどの広いホールに戻り、奥のレストランへと案内される。先導して歩いているのに、こちらの歩調にぴったりと合わせてくる技はさすがと言うべきか。
「こちらでございます。」
長い廊下を歩く。
そして行き止まりには個室の扉。その扉をベルガリアが開ける。
「えっ……これって、え?」
リアが絶句した。
個室の中は薄暗く、中央にはテーブルと椅子があり、蝋燭が揺らめいている。だが、明かりは蝋燭だけ、窓も無い。テーブルと椅子は豪華なものではあるが、ここに来るまでの内装を思えば、随分と質素な場所である。リアが驚くのも当然だった。
「ほらほら、リア。さっさと席に着け。」
「あ、……はい。」
リアはベルガリアに椅子を引いてもらって席に着く。
椅子を引いてもらうという経験がなかったのだろう、すすっと前に進み出て椅子を引こうとしたベルガリアと微妙な雰囲気になっていた。それが可愛らしくて、面白くて笑ってしまう。
「も、もう……笑わないでください。」
「いや、すまんな。つい。」
俺もテーブルの傍まで行き、リアの反対側に陣取る。だが、まだ座らない。案内をしたベルガリアは、一礼して個室の扉を閉めて退室した。部屋はしーんと静まり返り、眼前の蝋燭がゆらゆらと揺れるのみ。リアの表情にはてなマークが浮かんでいるのが分かる。どうして座らないのかと、顔に書いてあった。
……よし、やるか。
「……性分じゃないんだ。」
「え、どうしたんですか、アルテ様?」
「下手でも、笑うなよ……」
「えっ……え?」
「…………」
「……?」
すーっと息を吸う。
そして鉛のように重たい息を吐きだして声に、調子を整えて歌にする。
「ハッピバースデートゥユ〜……」
酷い声だ。
自分でもへたくそだと分かる程に酷い。歌など久しく歌っていない。そもそも、自分の才能の無さに絶望して、音楽というジャンルとは決別して生きてきたのだ。Sランク冒険者だからと言って歌がうまいわけではない。それとこれとは全く別の事柄なのだから。始めたのは良いものの恥ずかしくて目を開けていられない。……だが、歌う事だけはやめない。
「ハッピバースデートゥユ〜……」
自分で赤面しているのが分かる。
きっと、今は相当にひどい顔をして歌っているのだろう。サプライズのつもりで頼んだが、恐ろしく高いハードルだった。短い歌詞なのに、とても長く感じる。意味の分からないイルトリスの言葉。成人を祝して贈る歌だとは聞いている。こんな酷い歌でも、リアに届くだろうか。クオリティの低さに胸が締め付けられる。
「ハッピバースデーディアリア〜……ハッピバースデートゥユ〜♪」
……歌いきった。
……だが、リアからの反応がない。
普通なら拍手だろうか、いや酷かったから下手くそーとか言われるのかもしれない。何にせよ無言は辛い。怖くて目を開けられない。
開けられないが、怖くて開けないではいられない。だから、おっかなびっくり薄目を開けて、リアの様子を見る。
リアは泣いていた。
「う、あ、すまん。下手だったか……本当に得意ではなくて、歌を歌うのもガキの時以来というか……何と言うか。いや、本当は楽団を手配してバックコーラスつけようかって提案されたんだが、そうすると俺の下手さが浮き彫りになるからって断ったんだ。悪かった、プロに歌わせた方が良かったな。悪い、今からでも手配して…………」
「アルテさまっ!」
リアに抱きしめられた。
華奢なリアの腕とは思えない程に力強く。流れてくる温かな体温と、ふわりと香るリアの匂い。魅惑的な香りが混じっているのは、きっと着付けの時に香水を使ったのだろう。ともかく、リアに抱きしめられて、俺の拙い言い訳の嵐は霧散していく。俺もリアを抱きしめた。
「わたし、嬉しかったです。アルテ様の歌、本当に嬉しかったです。今日は最高に幸せな日です。絶対に一生の思い出になります。アルテ様のおかげです。わたしには、もうこういう幸せな事は起こらないと思っていたのに、諦めていたのに……アルテ様が叶えてくれるなんて……本当に、ありがとうございます……。」
「リア……。もっと上手な歌で祝ってやりたかったよ。」
「アルテ様。わたしにとってアルテ様の歌は、どんな歌よりも素敵な歌なんですよ? アルテ様が、私の為に歌ってくれて……わたし幸せです。」
リアは天使だった。いや、女神か。違うな、それ以上の存在だ。
「よっし、じゃあ始めるか。見てろよ。」
俺はリアの肩に手をまわして、壁の方を向かせる。そして、手を伸ばして少しの魔力を込める。
「魔法をかけるぞ。」
「はいっ。」
パンパンパンパ―――――ンッ!
単純な音の魔法。手のひらから魔力が弾けて、軽快なクラッカー音を鳴らす。
すると、全ての壁がするりと消え去って視界が一気に広がる。飛び込んでくるのは、先ほど外で見た広い池に、輝く鯉、ぼんやり光る灯篭に植物。
掌から無数の金色の魔力が飛び出す。
輝く軌跡を残しながら、吹き抜けの室内から池へと飛んでいき、景色をなぞっていく。やがて絡まり合うようにして文字を形作る。
『happy birthday dear lia』
イルトリスの言葉。
『親愛なるリア、成人おめでとう』という意味らしい。たぶん、スペルもあっているはずだ。
リアは瞳を見開き、言葉を紡げずに開いた口を手で隠して、ただ魅入っていた。
「成人おめでとう、リア。」
「……はい、はいっ……ありがとう……ございますぅ……」
リアがくしゃくしゃの笑顔で、何度も首をこくこくと首を縦に振る。しきりに感動して立ち尽くすリアを抱きしめると、リアがそっと身体を預けてきた。ああ……うん、頑張って良かったな。
そうして、俺とリアは席に着いた。
すると、タイミングを見計らっていたベルガリアが「失礼いたします。」と入室する。手に持っているのは発泡性の酒。シャンパンと呼ばれるものだ。
それを俺とリアの細長いグラスにするすると注ぐ。
キラキラと光るシャンパンは、底からとめどなく泡が立ち昇り、ふつふつと弾ける。この細長いグラスはシャンパンの泡を楽しむための最適なつくりをしているな。
「リア、酒は飲んだことはあるか?」
「……いえ、初めてです。」
「そうか、成人したのならば飲んでも問題ないと思って頼んだ。飲みやすいものを選んだつもりだ。飲めなかったら、俺が飲むから試してみろ。」
「はい。」
リアはどこか緊張した面持ちで、グラスを眺めていた。
「リアの初めての飲酒に同席できたことを嬉しく思う。改めて、成人おめでとう。乾杯!」
「はいっ、乾杯!」
リアが俺に倣ってグラスを掲げ、口をつける。
そうしてこくりと喉を鳴らして、最初の一口を流し込む。
「どうだ?」
「あっ……美味しい、です。」
「おおっ、いけるクチか。これからは一緒に呑めるな。」
「はいっ、アルテ様と一緒に飲みたいです。」
「そうかそうか、だが慣れないうちは加減が分からんだろうから、飲み過ぎには注意しろよ。酔いは少し遅れて回ってくるからな。まあ、今日は俺が一緒にいるから、大丈夫だがな。」
「はーい。」
リアが甘い声で返事を返す。
もしかして、早々に酔っているのだろうか。最近は家でリラックスしている時は、こんな調子なので、判別がつかない。まあ、今日は俺が面倒をみてやれるから、多少飲み過ぎたとしても問題は無いだろう。自分の限界を知るのもまた勉強のうちだろうしな。ぶっちゃけ冒険者なんかは、成人の義で飲み過ぎてやらかすのが一種の通過儀礼でもあるのだから。
「ふふっ、それにしてももったいないですね。」
「何がだ?」
「だって、今日はきっとどんなお料理を食べても美味しく感じちゃいます。だから、こんなに素敵なお店にきてしまったのが、何だかもったいないなって。」
「バーカ、こんな日くらいしか来れないんだ。精一杯楽しめよ。」
「はいっ、せっかくだからそうします!」
それから、俺たちは美味い料理や酒に舌鼓をうった。
最高の料理、最高のサービス、そしてリアの最高の笑顔。
今日という日に、リアを祝えたことが俺は嬉しかった。
そして、俺の祝いを喜んでくれるリアを見られることが、どうしようもなく嬉しかった。
俺たちは幸せの余韻に浸りながら、いくらか酔っぱらってふらふらとした足取りで家に帰ったのだった。
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