第12話 日常に潜む葛藤

 目が覚めると、リアが横で笑った。


「おはようございます、アルテ様!」


「おはよう、リア。」


 リアは挨拶をかわすと、満足そうな顔でベッドから降りる。

 鼻歌交じりに1階へと降りていった。

 不思議な歌だ、イルトリスのものなのだろうか。


 そういえば、今日は教えてコールが無かった。

 いつもなら目が覚めると、剣だ、魔法だと、うるさく教えを乞われたのに。

 一昨日は魔法を教えて、昨日は剣を教えた。


 いや、剣は教えた内に入らないだろう。

 重たいレプリカの剣を使いこなせない事を確認しただけ。

 手持ちの剣でリアに使えそうなものが無いから、買いに行く結果になった。

 本番は今日からということになる。


 剣の訓練か―――。

 そもそも、リアのレベルでは剣の訓練はまだ早い。

 体力や筋力を底上げせずして、剣を早々に握らせても効果は薄い。

 下手をすると悪い癖がついてしまって、上達を阻害する可能性すらある。

 だから、走り込み、柔軟運動、筋力トレーニングをメインでやる必要がある。

 基礎能力の強化は、全ての武に通ずる基本であり、剣の訓練の基礎だが……。


 昨日、剣を購入した手前、触らせないのは忍びないし、

 リアも機嫌を損ねてしまいそうな気がして、怖い。


 ……いやいや、何を弱気な事を言っているのか!

 俺はリアの主人であり、先生であるのだ、リアの機嫌など気にして…………。


「アルテ様、ご飯できましたよー!

 なにしてるんですか、早く下りてきてくださーい!」


「お、おうー、すぐに行く。」


 とりあえず、考えるのはやめよう。

 なるようになる、なるようにしかならん。だから考えても仕方がない。


 寝室を出ると、すぐさま良い香りが鼻をくすぐる。

 一階に下りてリビングに入ると、すっかり料理を作り終えてテーブルへ運ぶリアが見えた。


 最後の一皿が置かれて、テーブルの上には3品の料理が並ぶ。

 焼いたパンに卵やハム、チーズ、野菜などを挟んだサンドウィッチ。

 コーンスープ、カットされたフルーツ類。

 この調理場を使ったのは、昨日が初めてだというのに、大したものだ。


「「いただきます。」」


 ふたりで感謝の挨拶をする。もう抵抗はない。

 リアが作ってくれた料理を、一緒に食べられる幸せ。

 それに感謝の気持ちを示すことは、当然だとすら思えていた。


 ただ、意味を考えると、不思議な気持ちになった。

 なぜ『いただきます』が挨拶なのか、『ありがとう』ではダメなのか。

 それから、『ごちそうさま』も相変わらずよく分からない。

 食べる前に感謝、食べた後にも感謝。イルトリスの風習には賛同しがたい。


「「ごちそうさま。」」


 賛同しがたいが、相手がリアならこれも悪くない。

 きっとイルトリスに行ったら、訳の分からない所作がたくさんあって、

 その度にリアが手を引いて、あれこれと教えてくれるのだろうか。


 俺はイルトリスには行ったことがない。

 一般的な常識レベルの知識で言えば、亜人が多い街として知られている。

 それも奴隷としてではなく、その多くが自由市民として暮らしているという。

 亜人差別が多い中で、まさに亜人にとっての理想郷のような街。

 とりわけ、ここカティスは差別が酷い、この地に暮らす亜人にとってはイルトリスへの羨望は計り知れない。


 いつかリアをイルトリスに連れて行ってやりたい。

 それに、俺もリアの生まれた故郷を、見てみたいものだ。


 そんな事を考えながら、皿を片づけるリアを見ていた。

 ちなみに、手伝いの申し出は断られた。

 わたしがアルテ様の為に出来る事をとらないでください、などと言われては引き下がるしかない。


「では、剣を教えてください!」


 一通りの事が済んだら、リアはいつもの言葉を口にした。

 今度は俺がしてやる番だが。


 さて―――どうするか……。


 とりあえず着替えてくるように促すと、リアは寝室へと駆けていった。

 その後、ものの数分で戻ってきたリアは、昨日買った服を可愛らしく着込み

 ミスリル制の剣を大事そうに抱えていた。気が重くなる。


「アルテさまー、見てください!」


 リアがくるりと回って見せた。

 短い丈のワンピースがふわりと揺れて、ドキッとする。

 動きやすさを求めた結果だが、これはいけない。刺激が強すぎる。

 念のためにとレギンスを履かせたが、そういう問題ではなかった。

 家の中でだけ、俺の前でだけなら悪くないが……これならズボンを買ってやって方がよかったかもしれない。


「……アルテさま、ほらほらー!」


 リアが、そんな俺の心を知ってか知らずか、ワンピースの裾をひょいっとたくし上げる。

 太ももの付け根までが露になって、見えそうで見えない絶妙の位置を保つ。

 俺は思わず赤面してしまう。


「バ、バカ野郎! 外でやったら怒るからな!」


「あはは、もう怒ってるじゃないですか。

 大丈夫ですよ、レギンス履いていますし、それにこんな事、アルテ様にしかしませんから。」


 まったく、俺の苦労も知らないで、困ったやつだ。

 だが、かわいかった……。



「えー、本日の訓練は剣を握らないものとする!!」

「嫌です!!」


 庭で向き合うと、覚悟を決めた俺はそう言って、そう言われた。

 予想通りの猛抗議が始まって、俺は理由を粘り強く説明する。

 長い平行線の末、結局リアには剣を触らせることになった。

 ただし、しっかりと基礎トレーニングを行ったうえで、そのご褒美的な意味で。


 リアに押し切られたように見えるかもしれないが、今回は俺の勝ちだ。

 厳しい基礎トレーニングでしっかり疲れさせて、剣など持てなくさせてやろう。


 まずは軽く身体をほぐしてからの走り込み。

 家の周囲には人通りが少なく、ちょうど良い周回コースとなっている。

 もちろんリアを一人だけで走らせるわけにはいかないから、俺も一緒に走る。

 家の周囲といえども、カティスの街を一人で走らせるのは危険だ。


 並んで一緒に走る。

 今日はリアの体力を見る事が目的。

 だから、リアには走れるだけ、走ってもらう。


 この結果次第で、今後の訓練内容が変わる。

 そう言い含めておいたからか、リアの意気込みは尋常じゃない。

 長く走る事を目的にしているのに、随分とオーバーペースに見える。


「ばてるぞ。もう少しゆっくり走れ。」


「はあ……、はあっ、これ……でも、ゆっくりのつもりです!」


 リアは強情だ。

 言葉でどうにかするのは諦めて、体力の限界を待つことにした。

 このペースで走れば、もってせいぜい30分ってところだろう。


 だが、予想に反してリアは走り続けた。

 もうかれこれ2時間を超えて、今なお走っていた。

 ペースこそ落ちているものの、リアは強い意志で前へ進み続ける。


 限界まで走らせるという考えは甘かった。

 リアはとっくに限界を超えているように見える。

 全身から疲労が色濃く見えるし、顔色だって悪い。

 意志の力だけで走っている、そんな感じだった。


「リア、止まれ、もうここまででいい。」


「……まだ、……はしれ……ます。」


 歯切れの悪い返事。

 息切れからきているものではない、意識が朦朧としている証拠だ。

 これ以上はダメだ、仕方がない……。


 うしろからリアの腹に腕を回して、強引に走りを止める。

 リアが抵抗するが、その力は酷く弱々しい。


「絶対にこれ以上は走らせない!」


 俺は強い口調でリアの身体を抑え付けた。

 そこで、リアはようやく諦めたのか、意識を手放した。

 それを見て、ほっと胸を撫でおろした。


「バカが、倒れてしまったら、何もならんだろうに……。」


 リアを抱きかかえて、家に戻る。

 ぐったりとした身体、だらりと垂れさがる腕。

 リアの身体はとても軽い、その軽さがリアの危うさのようにも思えた。


 家に戻ると、寝室のベッドに寝かす。

 カーテンを閉めて太陽を遮り、水布を額に当ててやる。

 ひんやりした水布が気付けになったのか、リアが細めを開けた。


「……気持ちいいです。」


「俺は生きた心地がしなかったぞ。」


「すみません。」


「ふん……、まあ大丈夫なら、それで良い。」


 水差しからコップに水を注いでリアに手渡してやる。

 リアはよろよろと手を伸ばしてコップを受け取り、口を付けた。

 涼しい場所で、水分をしっかり摂れば、すぐに回復するだろう。

 俺は椅子を持ってきて、ベッドの横に腰掛けた。


「さて、説教の時間だ。言いたいことは分かるか?」


「……はい。だいたいは。」


「ほう、本当に分かっているのか? 言ってみろ。」


「えっと、無理をしすぎとか。」


「そうだな。それだけか?」


「……えっと、止まれって言われたのに、アルテさまの言いつけを守らなかったとか?」


「そうだな。それだけか?」


「……えっと、えっと、ここまでアルテさまに運ばせてしまったこととか?」


「おまえを運ぶことなど造作もない。それだけか?」


「うう……、降参です。」


 俺はリアの頭を軽く小突いた。

 降参だなどと、これは謎かけごっこではないのだ。


「痛いです……アルテさま。」


「そういう事だ。」


「どういう事ですかー……。」


「リアが無理したり、倒れたりするとな。俺の心が痛いんだよ! 覚えておけ。」


 言葉にすると思った以上にキザッたらしく感じられた。

 あまりの恥ずかしさに赤面してしまう。

 自分で言って、自分で恥ずかしがっていては世話が無い。

 見れば、リアも顔を赤らめていた。恥ずかしかったが効果はあったようだ。


「……ごめんなさい。」


 素直なリアの言葉。

 俺は握り拳を開いて、リアの頭を撫でてやった。

 リアは気持ちよさそうに身を委ねてくる。


「あまり、俺を心配させるな。」


「……はい。」



 午前中は訓練を切り上げてリアの回復に充てた。午後からは魔法の練習をした。

 内容は前回の魔力の流れを感じる訓練を復習してから、応用で魔力の流れを意図的に操る訓練に移った。


 前回は回復魔法を会得している癖に無知過ぎて驚かされたが、今回はリアの基礎能力の高さに驚かされた。やはり回復魔法を習得しているのは伊達では無いようだ。リアは、与えた課題を高い次元でこなしてみせた。


リアの理解度を俺がしっかりと把握して、適切に指導していけはあっという間にモノになるだろう。何だかんだで2時間以上走り続けたことといい、リアは冒険者として優良物件かもしれない。


 午後は、つつがなく終了した。

 リアも反省したようで、無謀な取り組み姿勢を改めてくれている。

 さすがに意識を失って倒れたことは、相当に効いたようだ。

 心配させられたが、あれはあれで、良い薬になったのだろう。


 それから毎日、訓練の日々。

 午前は剣術、午後は魔法と、分けて訓練する。


 実際にやってみて、気づいたのだが、

 午前と午後で訓練内容を変えたほうが、集中力が落ちないようだ。

 本来はどちらかを集中して会得させるつもりだったのだが、

 倒れた翌日に、剣術だけをやらせてみたら、体力が続かない上に、集中力がガタ落ちだった。

 それならばと、午前と午後を変えたところ、想像以上に成果を上げたので分ける事にした。


 リアは強い意志と、持ち前の才能で、めきめきと実力をつけていった。

 半月もたったころには、初級冒険者を軽く凌駕するほどに成長した。

 俺はリアの成長を見守り、その成長ぶりを誇らしく思い、共に喜んだ。


 だが、その一方で心中に激しい葛藤を抱いた。

 葛藤は、リアの成長と共に重く、大きく俺にのしかかる。


 俺はリアをどのように育てるべきか。

 今では一日中、この葛藤によって頭を悩ませている。


 リアの目指す道の終点には、復讐がある。

 その復讐の詳細を俺は知らないが、生易しい内容でない事は明らか。

 リアの家族を罠にかけた奴隷商を皆殺しにする事か、

 両親を死なせたアルタイル商会の者を皆殺しにする事か、

 もしくは、その両方。さらに言えば、亜人を奴隷にしている人族の殲滅か。


 いずれにせよ達成は困難を極める。

 相手は多勢なのだ、リアがどれだけ強くなろうとも、策を弄そうとも、簡単じゃない。

 おそらく、道半ばで命を落としてしまうだろう。

 楽に死ねればまだ良い、拷問されたり、犯されたり、死ぬよりも酷い末路はごまんとある。


 そんな道にリアを進ませたくはない。

 今の俺にとって、リアは何物にも代えがたい存在となっている。

 俺の想いは、リアに復讐を諦めて欲しいという所にある。


 だが、リアの想いも俺はよく知っている。

 両親への想いで、激昂するリアを見た。

 復讐に燃えて、意識を失うまで走り続けるリアを見た。

 リアにとって復讐は生きる目的そのものになっている。

 その想いを知っているからこそ、軽々しく復讐を諦めろとは言えないのだ。


 そして、俺は葛藤の中で、自分をごまかしてリアを育てている。

 自分で自分の身を守れるくらいに強くなって欲しいと。

 俺がいなくなっても、一人で生きて行けるくらいに強くなって欲しいと。

 リアが復讐の為に訓練を続けている事実を知っていて、ごまかしている。

 鍛えれば鍛える程、リアは死地に近づいていくというのに。


 リアの行動の結果は、俺の責任だ。

 復讐するにせよ、やめるにせよ、その過程に俺は大きく関わることになる。

 俺はリアに対して、どれだけの責任を負ってやれるのだろうか。

 そもそも、責任を負う覚悟が本当にあるのだろうか。


 少し考えれば、分かる答え。

 葛藤が続くのは、俺に覚悟がないからに他ならない。

 簡単にして、シンプルな因果だ。

 またしても自分の情けなさが露呈して嫌になる。


 以前は嗚咽の中でグズグズしていられた。

 だが、今は事情が違う、残された猶予がどんどんと無くなっていく事を肌で感じ取れる。


 リアは日々、凄まじいスピードで強くなっているのだ。

 今はまだ良い、基礎訓練をして、俺が相手をすれば事足りる。

 だが、近い将来、聡明なリアは必ず気づく、実戦経験が必要な事に。


 事は、技術云々と言う単純な問題ではない。

 安全な場所から、危険な場所へ。

 見知った練習相手から、本物の敵へ。

 そこでリアは、復讐に最も必要なモノを手に入れてしまう。


 相手を殺す覚悟と、その経験を……。

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