第11話 リアの想い、アルテッサの想い

「……どういう意味だ?」


 俺は意味が分からずに反射的に問いを口にする。

 リアは俺を見透かすように、笑った。


「ウェルキンさんのお店、本当に楽しかったです。

 あんな風にアルテ様が必死になって怒って、喧嘩して。

 それで、最後は笑って一緒にお店を出ました。とても幸せな気持ちで。

 ……ウェルキンさんには、迷惑をかけちゃいましたけど。」


 リアの意図が分からない。

 なぜ今そんな話をするのだろうか。


「わたしはレアノルドと喧嘩しました。

 ちびだ、ガキだと言われて怒って、喧嘩になりました。

 でも、本当にそれだけが理由だったと、アルテ様は思いますか?

 わたし、奴隷時代が長かったから、そんなの慣れっこなんですよ?」


 ますます分からなくなっていく。

 昼間のレアノルドとのやり取りに、いったいどんな理由があるというのか。

 リアの釈然としない返答に、俺は苛立ちを募らせた。


「要点を得ない話は嫌いだ。」


「アルテ様は昼間、私が怒っていたと言いました。

 でも、アルテ様も怒っていましたよね?」


「そんなことはない。」


「レアノルドに馬鹿にされて、怒っていました。」


「……あいつはいつもあんなものだ。」


「昼間はずっと、わたしの態度が悪い事にも怒っていました。」


「……だから、どうしたというのだ。」


「ウェルキンさんのお店で、わたしが勝手に服を選び始めた時も。」


「ハッキリ言ったらどうだ!」


「わたしは、アルテ様が好きです。

 だから……わたしは、人と話している時のアルテ様が嫌いです。

 これが、どういう意味か分からないのですか?」


 俺は口をつぐんだ。

 リアの言おうとしていることが分かった。分かってしまった。

 どうして、ずっと不機嫌だったのか……。


 だが、それを俺の口から言えるわけがない。

 そんな事、言えるわけがないではないか。


 沈黙は答え。

 それを俺もリアも理解したが、リアは感極まって止まれなかった。

 遠巻きな言葉を使ったリアの配慮を、俺の鈍感さと安っぽいプライドが台無しにした。


「どうして怒らないんですか!

 なんで、笑ってないのに、笑うんですか!!」


 リアが声を張り上げた。

 雑踏の中で奇異の視線が集まる。その視線が、まるで俺を責めているように感じられる。


「リアッ!やめろ……、やめるんだ。」


「怒ってるのに、笑うってなんですか?

 なんで、バカにされて、嫌だって思ってるのに、笑っていられるんですか――――!!」


「リア! 家に帰ってゆっくりはなそう!」


 リアは周囲の事などお構いなしに声を張り上げる。

 公開処刑、もう生きた心地が全くしない、早くこの場から逃げたい一心だった。

 それをリアが許さない、一向にやめる気配はない。


「またそうやって逃げるんですか!

 そんなに人目が気になりますか、体面が大事なんですか!?

 ちょっとは言い返してみたらどうなんですか!!」


「わかった!わかったから……帰ろう。家で聞くから。」


「へらへらしながら、わたしに話しかけないで!!!」


 もうダメだ、限界だ、無理だ!

 俺は泣きそうになりながら、リアの手を掴んで走り出した。

 リアはそんな俺の表情を見ると、暗い顔で俯いて引かれるがまま、抵抗することはなかった。

 すっかり暗くなった帰り道、闇の中を俺は救いを求めるように走った。


 バタンッと強引に家の扉を閉める。

 やっと帰ってこられた……情けない安心感が身体を襲う。

 家で話そうと言ったが、とてもそんな気にはなれない。

 リアも続きを始める様子はなかった。


 玄関で気持ちを落ち着かせている俺を置いて、

 リアは2階の寝室へと姿を消していった。

 だから、俺は1階のリビングへ行った。


 一番近いソファに倒れこむように座って、うなだれた。

 本当に疲れた。死ぬかと思った。リアの言葉が心に深く突き刺さる。


 “へらへらしながら、わたしに話しかけないで!”


 あんな慌てふためいた状況でも、その言葉だけはしっかりと思い出せる。

 それを言い放ったリアの表情も……。

 これからどうしたら良いのだろうか。

 もうリアと言葉を交わせる自信がない、どうして良いのか分からない。


 べっとりと冷たい汗が、肌に張り付いて気持ち悪い。

 拭いきれない嫌な残り香のように、俺にまとわり続けていた。


 以前の俺なら、さっさと追い出してしまえ!と一蹴できただろう。

 今はそんな強かった自分が、まるで他人にように遠く感じられる。

 安っぽいプライドはズタズタにされて、縋りつけるものなど何も残っていなかった。


 物音がして、ビクッと身体を震わせる。

 見れば、入り口にはリアが立っていた。


 リアは何も言わず、俺の隣に座った。

 呆然として、声が出ない、リアが何を考えているのか分からない。

 こんな逃げ場のないところで、リアと二人っきり。

 リアはまだ俺を追い詰めるつもりなのか――!?


 俺は逃げられず言葉も出ない。リアも黙ったまま。

 重苦しい空気の中、リアがおもむろに身体を重ねてきた。


 リアの腕が俺の腕に絡みつき、密着する身体。

 もう片方の手が、俺の胸をスーッと怪しくなぞる。

 顔が近い、リアの吐息が分かる。もう勘弁してくれ……。


「ほら、アルテ様、無理しなくていいんですよ。

 わたしの身体、欲しくなりませんか、ねえ?」


「やめろ……。」


「わたしは奴隷なのですから、遠慮しないでください。

 アルテ様の好きなように、欲望の捌け口にしていいんです。

 お望みなら抵抗して見せます。おさえ付けて、征服して、喜んで、使い捨てたらいいじゃないですか!」


「……やめろと言っている!」


「それとも意気地がないのですか!?

 わたしは奴隷なのに、アルテ様は手が出せない弱虫なんですか?

 それとも、わたしじゃ嫌ですか? わたしが穢れているからっ!

 わたしが、わたしが! こんな傷だらけで、汚いから――――!!」


「何を、何を言っているんだ……!?」


「だったら……、もっと傷つけたらいいじゃないですか。

 もっともっと殴って蹴って傷つけて、殺したっていいじゃないですか!!

 奴隷だから、奴隷なんだから―――。」


「…………狂ってる。」


「奴隷くらい、アルテ様が好きにしたっていいじゃないですか!!」


「…………。」


「アルテ様は、わたしをどうしたいんですか!?

 わたしに、どんなふうに慰めてもらいた――――ッ!」


 たまらず、リアを突き飛ばした。


「……もう、やめてくれ。充分だろう……?

 これ以上、俺を弄ばないでくれ…………頼むから。」


 リアは俺の懇願する言葉に、涙を浮かべた。

 立ち上がってリアに背を向ける。


「……もう無理だよ。おまえとは一緒にいられない。」


 おまえと言う言葉を吐き捨てて、真っ暗な寝室へと逃げ込んだ。

 扉を閉めるともたれかかって、その場に崩れ落ちる。

 耐えきれなくなって零れた気持ちが床を濡らす。


 分かっていた、知っていた、あの夜から……。

 リアは俺の手に負える相手じゃない、分かっていた事じゃないか。

 一緒にいたら破滅する、飲み込まれて、壊されて、消えていく。


 リアの闇に魅せられた……、一時の気の迷い。

 まるで虫のようだ、暗闇の炎に自ら飛び込んで焼かれて……死んでいく。

 俺が虫だったら、こんな気持ちにならずに消えていけたのだろうか。


 ああ、消えたい――。



「………なさ……い。ごめ……なさい。」


 扉越しにリアの泣き声が聞こえた。

 今といい、さっきといい、こんなに近くに来るまで気が付けないなんて、俺はそこまで壊れてしまったのか。


 今にも消え入りそうな声が、許しを請う。

 繰り返し、繰り返し、嗚咽の中で、絞り出すようにごめんなさいと言う。

 何を許してほしいと言うのか、許してほしいのは俺の方だ。

 もう何も考えられない、分からない。頭がおかしくなってしまった。


 俺が泣き、リアが泣く。

 どうしてこんな事になってしまったのだろう。

 もし神様がいるのなら、どこで何を間違えたのか教えて欲しい。

 朝は一緒に笑っていたはずなのに、どうしてこんな結末が訪れる。


 訓練をせがむリアをおはようと躾て、リアがおはようと笑った朝。

 リアが朝食を作り、美味い朝食に不覚にも笑みがこぼれた。

 その時、リアは俺を見て笑った。憎らしいほどの笑顔で。


 俺が笑い、リアが笑う。

 今にして思えば、あれは幸せな朝だったのだ。


 レアノルドの店に行ってからおかしくなった。

 リアが怒り狂って、レアノルドと喧嘩をした。

 燃え盛る炎の化身となって、激しく、頑なにレアノルドを薙ぎ払った。


 どうして、リアは怒ったのだったか。

 リアの大切な名前、それを馬鹿にされたから怒った――――?

 だが、リアは違うと言った。

 俺は知っている、リアが本当に怒った理由を。


 先に怒ったのは、俺だ。

 不快なレアノルドの言葉に怒りを宿した俺。

 それを見て、リアはレアノルドに怒りをぶつけた。


 俺が怒り、リアが怒る。

 あの激しい怒りは、俺の怒りだったのか。

 そうか、リアが怒ったから、俺は怒りを止められたんだ。


 ……いや、そうじゃない、それだけじゃない。


 リアは本当は俺に怒っていたんじゃないか?

 不甲斐なく笑ってやり過ごそうとする、俺に。

 今更ながらに気づく、情けない自分の有様。


 それなのに、怒るリアに狼狽えて俺は――――。

 あまつさえ俺は、リアにまでへつらってしまった……。


 そんな俺を見て、リアは悲しんで、憤ってきたのか。

 リアが今日を不機嫌に過ごしたのは当然だ。


 “へらへらしながら、わたしに話しかけないで”


 胸に刺さったままの言葉が、意味を変えていく。

 あれは罵倒の言葉なんかじゃない。リアの心の叫びであり、願いだ。

 耐えられなくなったのは俺ではなく、リアの方だった。


 背中から聞こえる泣き声は、今も変わらない。

 ずっとずっと嗚咽の中で許しを求めている。

 あんなに強く激しく見えたリアが、今にも消えてしまいだ。

 こんな情けない、意気地のない俺にすがって涙を流し続けるリアを愛しいと思った。


 この涙を止めたい。


 リアの笑った顔が見たい。

 リアの嗚咽が俺の中でどんどん大きくなって、たまらず扉を開け放つと、クシャクシャになってへたり込むリアがそこにいた。真っ赤に腫れた瞳が俺を見あげる。


 胸の奥から熱いものがこみあげてきて、リアを抱きしめた。


「リア!」

「あ……あ……なま……え。わた……しの……。」


 何度もリアと呼ぶ。

 リアの涙を止める言葉なんて俺は知らない、分からない。

 だから、名前にすがるしかなかった。俺は情けないのだ。

 名前はもう、俺とリアの絆そのものだった。


 ずっとリアを抱きしめた。リアの涙が止まるまで。

 腕の中で震えるリアは、繊細で壊れてしまいそうだったが、

 伝わってくる温もりだけは、とても大きくて優しかった。


 俺は考えていた。

 リアになんと言葉をかけるべきか。

 ここに及んで、言葉などは安っぽく響くだけかもしれない。

 感謝も謝罪も、言葉にした瞬間に陳腐なものへと変わってしまう。

 それでも、リアの真心に、きちんと応えてやりたかった。


 何か言わなければと思うが、言葉が出てこない。

 リアよりも先にと焦るが、リアもどうして良いのか分からないようだった。

 二人して、言葉を探しているような気がした。


 結局、言葉を見つけることはできなかった。


「風呂に入ろう。俺もリアもぐしょぐしょだ。」


 リアの呼吸が整ってきたので、ひとまず言葉は先送りにした。

 相も変わらず情けない事だが、リアは腕の中でコクリと頷いた。


 リアはぴたりと俺に続いて、風呂場についてきた。

 そのまま淡々と服を脱いで、一緒に湯船につかった。


 いつものように髪を洗ってやろうと、リアを前に座らせると

 小さな背中に傷が見えた、無数の小さな傷に、大きな火傷の跡。

 まるで俺がつけた傷跡のように思えて、リアを後ろから抱きしめた。


「すまなかった。俺のせいで、悪かった!」


 リアは何も言わない、表情も見えない。

 これはリアの望む言葉ではない、俺はそれを知っている。


「リアの言うとおり、俺は意気地なしだ……。

 ……リアの望む言葉を言ってやりたかった。」


 リアは俺に強くあって欲しいのだ。

 こんな弱気な言葉を聞きたいわけじゃない。

 またリアを泣かせてしまうのかもしれないと思うと怖かったが、

 これが俺の正直な気持ち。それを隠したくないという気持ちが勝った。


「……怖かったです。

 おまえって言われた時、捨てられたと思いました。」


 あの時、俺はリアを本気で突き放した。

 俺たちの絆である名前を手放して、おまえと呼んだ。


「わたし、アルテ様を見て怒っていました。

 いつも偉そうで、強そうなアルテ様が、外に出るとあんな風で……。

 それが悔しくて、悔しくて、たまらなかった。」


「……すまない。」


「わたし、アルテ様が本当は強くない事……知っていました。

 あの夜に、わたしを殺せなかったのですから。」


「そう……だったな。」


「それなのに、わたしは勝手なイメージをアルテ様に押し付けて。

 わたしのせいで、アルテ様はどんどんおかしくなっていってしまって。

 もうどうして良いのか分からなくなって、バカな事ばかりして……。」


「リア……。」


「わたしはアルテ様の言う通り、強いアルテ様が好きだと思っていました。」


「ん……思っていた?」


「おまえと言って離れていくアルテ様を見た時、

 胸が苦しくて張り裂けそうになって、ようやく気づきました。

 強いとか、弱いとか、そんな事より――――」


 俺の腕に、優しくリアの手が添えられる。


「わたしはアルテ様が好きだったんです。」


 リアが振り返る。

 全てを包み込むような笑顔を携えて――――。


 この笑顔は犯則だ。

 俺に絡みつくすべてを溶かして、裸にしてしまう

 ありのままに全てを抱きしめてくれる、俺だけの笑顔。

 またしてもリアに魅せられてしまった。


 俺はリアが好きだ。

 力いっぱいリアを抱きしめた。


「んっ……あはは、アルテ様、いたいです。」


 リアが笑って、俺も笑う。

 ああ……これが、幸せというものか、悪くないな。


「…………それに、アルテ様のが当たってます。」


「――――うるさい! それだけリアが魅力的なのだ!我慢しろ!!」


「……はい。……アルテ様、もういっそ。」


「ふん、誰が頼まれて抱いてやるものか。

 俺は意気地なしだが、プライドが高いからな!」


「ふふ……知っています。」


 俺はリアにキスをしてやった。

 不意打ちだというのに、リアは慌てもしない。

 それどころか、唇が触れると、リアは舌を絡めてきた。

 唾液が交じり合うのが気持ちいい、リアの味が愛おしい。

 だが、流されてしまういそうな意識を紙一重で止める。


 唇が離れて唾液がスーッと糸を引いて切れた。

 リアが物足りなさそうに残念な顔を見せる。


「―――今日はここまでだ。

 次は俺がちゃんと抱いてやるから、待ってろ!」


 やせ我慢も良いところだった。

 そんなこと、リアはとっくにお見通しだ。

 だけど俺だって、リアが笑って許してくれることを知っているのだ。


「はい、待ってます!」


 この笑顔は最高だな。

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