第9話 改めて訓練開始

「剣を教えて欲しいです!」


 俺が目覚めると、リアが俺の顔を覗き込んできてそう言った。

 目覚めるまで静かに待っているという姿勢は偉いが、

 朝の余韻を感じる間もなく、いきなり教えを催促されるのはしんどい。


「リア……。朝はおはようだ。挨拶がきちんとできない奴には武術を学ぶ資格はない。」


 とりあえず、適当な事を言ってリアをどかそうとするが――――。


「おはようございます、アルテ様! 今日は剣を教えて欲しいです!」


 何も変わらないリアの言葉が繰り返されただけだった。

 もしかして、これが毎日の恒例になっていくんじゃないだろうな……?


「……ふむ、魔法を覚えるのは嫌だったか?」


「そんなことはありませんが……。」


「だが、なんだ?」


「もう身体は大丈夫ですので。しっかり動けます。」


「できれば魔法の基礎がしっかりと身に着くまでは、魔法を続けたいのだがな。」


「……だって、あの時、アルテ様を殺せませんでした。」


「………………は?」


 相変わらず、リアは面白い事を言う。

 俺を殺せなかったから、俺に剣を教えろと言うつもりか。

 怒るどころか、笑いがこみあげてくる。

 少し遠慮がちにしたところで、到底俺に聞かせるような理由でもないだろうに。

 子供ゆえか、それともリアだからか。

 俺はベッドから降りて、あの日、リアが俺を殺そうとしたレプリカの剣を手に取った。


「これはレプリカだ。人を殺すための剣ではないから刃がついていない。

 確かに刺せば殺せるかもしれんが、貫通力は低いし、ましてお前は切りかかっただろう?

 俺を殺せないのは、自明の理だ。」


「そういう事ではなくて……。」


 リアが肩を落として、俯いた。

 いつもは凛と立っている獣耳も同じようにへたり込む。

 リアの言いたいことは分かっている。ちょっとした意地悪だ。

 俺の心地よい目覚めを妨害したお返しってところか。


「冗談だ。言いたいことは分かっている。

 剣術があまりにお粗末だったから、もうちょっと何とかしたいという事だろ?」


「……そうですが、アルテ様は……意地悪です。」


 知った事か。

 俺はリアの様子を見て、勝ち誇ってご機嫌になった。

 とりあえず、一階におりて朝食の準備をする事にした。

 リアも俺について、一階に下りる。


 1階の広いリビングは、南向きで大きな窓がある。

 朝の柔らかな太陽の光がレースのカーテン越しにゆらゆらと揺れて

 カーテンを開くと、庭の芝が朝露に光を含んでキラキラと輝いていた。


 振り返るとリアは、いつもの3人掛けのソファに腰を下ろし、

 前かがみで両手を股の間において、ソファの柔らかさをぐいぐいと楽しんでいるようだった。

 リアはそんな感じで食事の準備が整うのを待つつもりなのだろう。

 奴隷にして、生徒の分際で何という態度か!


「リア、今日からは手伝え。

 本当は、おま――――、リアが朝食の準備をするのが立場的に当たり前なのだ!」


 俺はおまえと言いかけて、リアと言いなおした。

 リアは名前を呼ばれることを好む、それは俺とリアとの約束でもあった。

 苦しい奴隷時代にあり、罵るような言葉でしか呼称されなかったリアは、名前に固執する。

 それは、名前がリアにとって唯一の亡き両親との絆であるからと言う理由もある。


 まあ、そんな理由は俺には関係ないが、約束は約束である。

 俺は努めてリアを名前で呼ぶようにしていた。

 自然に名前を呼べるようになっていた方が、不都合も無くなるだろうしな……。


 リアはそんな俺を見て、耳をピンっと立てて嬉しそうな顔をする。

 それがまた少し腹立たしくもあるが……。


「はいっ!!」


 リアは気持ちの良い返事を返すと、俺のもとへ駆け寄ってきた。

 俺はリアに背を向けて、そそくさと調理場へと歩き出す。

 そんな俺に遅れないように、リアは懸命に小走りで調理場に向かった。


 ここはもともと貴族の屋敷だったので、調理場が少し離れている。

 簡易な調理場であれば、リビングの横に備え付けられているが、

 本格的な調理場は、リビング奥の別室にあった。


 朝からそんなに凝ったものを作るつもりはないが、

 ここ連日、パンとチーズだけの粗食だったので、もう少しまともなものを食べたい。


「さて、何を作ろうか。簡単に作れて、それなりに美味い物……。」


「……アルテ様。」


「なんだ?」


「良かったら、わたしが作りましょうか?」


「……ほう、リアがか。やってみろ。」


 まさか、リアからそんな提案が出るとは思っていなかったので驚いた。

 自分から作ろうかと提案してくるあたり、かなり自信があるのだろう。

 俺も料理の腕にはそこそこの自負がある、不味い物を出されればひっくり返して、同じものを作りなおして見せてやるとしよう。

 俺は食べる事が好きなのだ、不味いものを我慢して食べるのは耐えがたい。


 最初にリアに食材のストックを見せる。

 そうして何を作るのかを決めさせたら、今度は必要な道具を用意してやる。

 道具の場所はすぐには分からないだろうし、高いところにあるものもある。

 それらは仕方がないから、リアの言うとおりに揃えてやった。


 驚くことに、リアは手際が良い。

 必要な物を用意した俺は暇なので、踏台に腰掛けてリアの様子をうかがっていたが、

 卵を片手で割ったかと思うと、ナイフで野菜を均等に素早く切り分けていく。

 慣れない調理場で、台の位置も高くてやりにくいだろうに、それをものともしない手際の良さ。


 十数分後には3品もの料理をリアは作り上げた。

 いつものバターを塗って焼いたパン、それに炒り卵をのせたもの。

 青菜とひき肉を炒めて、トロッとしたソースをかけたもの。

 根菜とキノコが入った淡い色の透明なスープ。

 馴染みのない料理ばかりではあるが、どうにも良い香りが食欲をそそる。


 俺とリアはさっそく料理をテーブルまで運んでソファに腰掛ける。

 もう待てないと、俺が料理に手を付けようとしたところで、リアがそれを制した。


「アルテ様、いただきますは!?」


「…………は?」


 リアが変な事を言い出した。

 なんだ、それは、いただきますはだと??

 驚いて固まる俺を見て、リアも困った様な表情を見せた。


「あ、あれ……カティスの人は、言わないんですか?

 こう、料理を食べる前に、手を合わせて、いただきます……って。」


 リアは自分の胸のあたりで手を合わせて、目を閉じて祈って見せた。

 イルトリスの祈りの捧げ方なのだろうか、初めて目にする作法である。

 そもそも俺はイルトリスを訪れたことが無いし、カティスの人間でもない。

 それに神など信じてもいないので、祈りをささげる必要もない。


「イルトリスのことなど知らん。

 それに俺はカティスの人間でもなければ、祈る神も持ち合わせてはいない。」


 リアがムッとしたのが分かった。

 本当に自分の立場を分かっていない、困ったものだ。


「アルテ様は、わたしにおはようといえと言いました。

 挨拶をしない者は武術に携わる資格がないとも言いました。」


「それは挨拶の話だ、俺は祈らん。」


「これは祈りではありません、挨拶です。

 料理を作った相手に感謝の意を示す挨拶です!」


「イルトリスの挨拶の事など知らんと言っている。」


「アルテ様はわたしが教えを乞う時に、アルテ様の国の挨拶をしろと言いました。

 ならば、わたしが料理をしたのですから、今はイルトリスの礼に倣うべきではありませんか?」


「…………む。」


「以前、アルテ様は、わたしがお礼を言わない事でお怒りになりましたよね。

 今のアルテ様は、その時のわたしと同じことをされているのではありませんか?

 それに、アルテ様は、わたしの先生でもあります。

 だったら、わたしの模範であるべきだと私は思いますが。」


「…………。」


「ほら、こうして、こうです。さあ、わたしも一緒に言いますから。」


 話しは済んだとばかり、リアが身を乗り出して

 俺の手をつかんで胸の前で合わせてきた。


「いただきます!」

「……いただき……ます。」


 言い負かされた俺は、仕方なくしたがった。

 まあ、今回は仕方がない、リアが料理をしたのは事実。

 リアは俺のもので、材料は俺が用意したものだというのに、なんと理不尽な事か。

 だが、これ以上の言及は更なる敗北を招きそうなので、口をつぐんだ。

 次は俺が朝食を準備すれば済むこと……今日はやむなしだ。


 しかも、悔しい事にリアの料理はうまかった。

 それを、料理が美味しいかと尋ねなかったことも腹立たしい。

 パクパクと食を進める俺を見て、リアが満足げな笑顔をむけていた。

 こういうのを俗にドヤ顔というのだろう……大した奴だと思う。


 リアの料理は洗練されたレストランのそれではないが、とても優しい味がする。

 こういうものを家庭料理と言うのだろうか。

 強烈な旨味を感じるようなものではないが、飽きのこない落ち着く味。

 とりわけ、朝の気だるい身体には、リアの料理はうってつけだった。


 俺の料理は、リアとは対照的。

 時間をかけて凝った料理を作るのが俺の常である。

 それは生活の為と言うより、暇な時の趣味といった感じのもの。


 夕食においては俺に分があるな。

 まあ、朝食については、リアに軍配をあげてやらんでもないか……。


 俺もリアもあっと言う間に朝食を平らげた。

 何はともあれ美味い飯は俺の心に平穏をもたらしてくれた。

 幸福な気持ちで席を立とうとすると、これまたリアに制される。


 食事の終わりには、ごちそうさまを言うのがイルトリスの挨拶だという。

 これも相手に感謝の意を示すものだというが、なぜ2度も感謝の意を示さねばならんのか。イルトリスでは感謝の押し売りが文化だとでもいうのか。恐ろしい街だ……。

 などと思ったが、言い合いの雰囲気を恐れた俺は、大人しくリアに従った。


 俺のごちそうさまに、リアはますます気分を良くしたらしい。

 お粗末さまと嬉しそうに笑い、

 二人分の食器を重ねて、軽い足取りで洗い場まで持っていった。

 ……お粗末さまとはどういう意味なのだろうか。


 俺は席を立って3人掛けのソファに座りなおす、ここからなら洗い場の様子がかろうじて見える。

 食器を洗おうというのは殊勝な心掛けであるが、リアは洗う事にかけては酷い定評がある。


 リアは昨日、俺がそうしていたように布に洗剤をふりかけ泡立て始めた。

 水の魔石を使って水を流すが、どうにも水量が少ない。

 使い方が分からないのかと思ったが、どうやらそうではないようだ。

 少ない水を器用に使って、手際よく皿を洗いあげていくではないか。

 これはリアの性分というか、奴隷時代に染み付いた生活の知恵と言ったところか。


 あっという間に洗浄が終わり、備え付けの布で皿を拭き上げる。

 キュッキュッと気持ちの良い音が響いて、ピカピカと輝く皿が積みあがった。


 ……なぜだ。

 そこまで完璧に皿を洗う事ができるのならば、

 もう少し自分の身体だって綺麗に洗えてもおかしくないだろうよ……。


 全てを終えたリアがこちらを振り向く。

 ソファの端から覗き見ていた俺と目が合うと、ニコッと笑って見せた。


「さあ、アルテ様! 剣を教えてください!」



 表に出て、リアに剣を握らせる。

 手持ちにはリアにちょうど良い剣が無かったので、例のレプリカの剣だ。

 自分を突き立てた剣を使わせて訓練と言うのは、少し興奮を覚える。

 しかし、実際のところ、剣が不釣り合いすぎて訓練になるのかどうか……。


「よし、振ってみろ!」


「はいっ!」


 へっぴり腰のリアが剣を振り回す。

 振り回すというより、剣に振り回されているように見える。

 俺に剣を突き立てた時の動きは、これよりいくらかマシなものだったはずだが。

 火事場の馬鹿力というやつだったのだろうな。


「やめだやめ、とまれ。剣に振り回されている。自分でも分かるだろう。」


「……はい、わかります。」


「剣は腕で振り回すものじゃない。腕力の乏しいリアならなおさらだ。

 腰を据えて身体を使って振ってみろ。」


「……はい、えっと、どうやれば。」


 俺はリアの身体を正しい位置に誘導してやる。

 剣が重くて前かがみになる上半身をまっすぐにして、軽く腕をひかせ、内股になっている足を肩幅程度に広げさせた。剣を敵の前方に向ける基本の構えだ。

 最も攻撃に転じやすく、防御にも長ける構え。腕力が無くても体軸に剣の重さを乗せて振る事ができる構えなので、リアにはピッタリの形だと思ったが……。


「んぐ……うぐ、アルテ様…………。」


「なんだ?」


「お、重すぎます……。」


 そもそもの剣の重さがどうしようもないほどに、リアにはキャパシティオーバーだった。

 このレプリカの剣は切れないだけで、本物と同じ重さがある。

 加えて、大の大人にしてみても、この剣はそこそこ長剣の部類に入る。

 どう考えてみても、リアが振り回せるような代物ではなかったのだ。


 仕方がないので、リアが扱える剣を買いに行くことにした。

 支度をして、リビングに下りてくるように言うが、リアはキョトンとした。

 もう準備はできているとでも言いたげな顔だが、理解できない。


「着替えないのか?」


「どうしてですか?」


「さっきの訓練で服が汚れているではないか。」


「まだ平気です。そんなに汚れていませんし、臭いだって、ほら。」


 リアがドレスの裾に鼻を近づけて、俺にも押し付けてくる。

 そこでふと気づく。俺はリアに3着もの服を買い与えた。

 だが、今着ている黒と白のドレス以外のものをリアが着ているのを見たことがない。


 夜は俺のシャツとズボンで寝て、日中は今着ているドレス。

 リアが着るシャツとズボンは毎日洗っているが、ドレスを洗った記憶がない。

 ……ドレスをリアが洗うとは到底思えない。


「それ毎日着ているな? しかも、まだ一度も洗ってないだろ!」


「え……、あ、はい、そうですが……?」


 耐えられん。耐えられるはずがない!

 俺は即座にリアを風呂に叩き込んだ。

 わしゃわしゃとリアを徹底洗浄して、タオルで拭き上げる。


 アルテ様は潔癖症のお坊ちゃんみたいですね。などと奴隷のくせに、

 いっぱしの冒険者みたいなことを言うから腹が立つ。

 俺は綺麗に出来るときは、綺麗にしたいだけだ。

 そもそも俺こそが本職の冒険者である。


 当てつけのつもりで、結構力を込めて髪を拭いてやった。

 ガンガンと首を振られて拭かれているのに、リアは気持ちよさそうに目を細めていた。

 気に食わんから、わざとらしく前にたらしたタオルで口と鼻を抑え込んで、両端で髪を拭いてやる。

 これにはさすがのリアもジタバタと暴れ出す。ざまあみろだ。


 風呂から上がったら、他の2着を品定め。

 どちらも綺麗に折りたたんで包装されたまま、開けた痕跡一つないのは悲しくなった。

 どっちが良いかとリアに尋ねると、動きやすい方が良いと言う。

 両方ともドレスだったので、すらりとした青いドレスの方を選んで着せてやる。


 ウェルキンの見立ては相変わらず素晴らしい。

 落ち着いた青色の長いドレス、確か西方の大陸で伝わるチャイナ式と言うものだったか。

 筒の様なぴたりとした布地にすっぽりと覆われて、左右の太ももの当たりからスリットと呼ばれる切れ込みが伸びる。これにより足は布の制約を受けることなく、幾らか動きやすいだろう。スリットの隙間から覗き見るリアの美脚はなんとも艶めかしい。


 身体のラインにぴったりと張り付いたドレスだからこそ、リアのスタイルの良さが抜群に活かされている。こちらのドレスも襟は首元まで伸びているし、ノースリーブではあるが、そこはドレスよりも淡い色の長袖のインナーを着る事で、リアの肌を露出することなく魅力的に傷を隠した。


 一緒に獣耳を隠す帽子も入っていたが、リアはそれを拒んだ。

 音が聞こえづらいし、自分が亜人であることを恥じているみたいだから嫌なのだとか。

 そういえば、黒いドレスにもヴェールのような被り物が付属していたが、早々に外していたな。あれにはそういう意味があったのか。


 亜人であることが分かれば、色々と問題も起きるだろうに……。

 だが、俺といる時ならば、さしたる問題になる事もないと考えて、

 俺はリアの意志を尊重することにした。


 そうして、俺とリアは買い物に出かけるのであった。

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