第6話 新しい一歩

 ぼんやりとした意識に、朝日がさす。

 眠っていたように思えたが、一睡もしていない事に気づく。

 お互い、昨日の体勢から動く事は無く、まどろみの中で過ごした。

 俺は床で壁を背にして座ったまま、リアは部屋の中央で仰向けになったまま。


 リアがゆっくりと身体を起こす。

 俺と目が合った。


「飯、食うか?」


「……食べる。」


 俺はリアの返事を聞いて、よろよろと起き上がる。身体の節々が悲鳴をあげた。

 あの体勢のまま、ずっといたのだから、当然の結果。


 続いてリアも立ち上がろうとするが、苦痛に顔をゆがめた。

 リアは俺と違って、昨日の爪痕が色濃く身体に残る。

 蹴り、殴り、床に壁にと叩き付けたのだ、ダメージは計り知れない。

 俺が回復魔法をかけようと近づくと、リアが手でそれを制した。


「いい、要らない。このままでいい。」


「そうか……。」


 それ以上は何も言わず、俺は1階に下りて食事の準備を整える。

 昨日買ったパンと、買い置きのチーズ。飲み物は水しかない。

 それらをテーブルに並べていると、リアが壁にもたれながら降りてきた。


 かなり調子が悪そうである。

 原因を作ったのは俺なわけだが、俺が悪いとは思わない。

 とりあえず、加減して殴っていたし、致命的な傷にはなっていないはず。


 ようやっとという感じで、リアが椅子に座る。

 そして、黙々とパンとチーズを食べ始めた。

 調子が悪そうな割には、食欲はしっかりあるようで、

 リアは、あっという間に1個目のパンを完食し、2個目に手を伸ばした。

 この様子ならば、回復魔法がなくともすぐに調子を取り戻すだろう。


 結局、リアはパンを4個、チーズを12切れも食べた。

 俺はリアの食欲に圧されて、パンを2個。

 よくよく考えれば、リアは昨日飲まず食わずだったのだから当然だった。


「剣と魔法を教えて。」


 食事が済むなりリアがそう言った。

 やはり、昨日のやり取りは夢ではなかったのだと、思い知らされる。

 復讐がしたい、リアが最後にそういって俺が分かったと言った。

 朦朧とした意識の中での妄言でしかない。単なる気の迷いだ。


「あれは無しだ。」


「嘘つき。じゃあ、殺して。」


 昨日の続きが勃発した。

 正直、もうリア相手にやりあえる自信も体力もなかった。

 昨日のリアは恐ろしかった、深淵の使者のようにどこまでも黒い。

 おぞましい闇に引きずり込まれてしまいそうな感覚を覚えた。


 思い出すと背中を冷たいものが走る。

 だが、それと同時に、不思議な快感が身に宿る。

 くそみたいな世界、退屈だと思った世界を、一瞬でぶち壊すほどの強い闇の光。

 どこまでも真っすぐに淀んだ暗い闇は、魅惑的にも思えた。


 昨日はとてもそんな事を感じるような余裕はなかったが……。

 今となると余韻を惜しむように焦がれる自分がいる、麻薬のように甘美な誘惑。


 俺はリアを売るつもりも、殺すつもりもなかった。


「殺すのもなしだ。だが、復讐の事を忘れるなら、剣と魔法については教えても良い。」


「分かった、それでいい。」


 とりあえず、それで我慢してやる。そんな風に聞こえた。

 技術さえ身に着ければこっちのもの、後は勝手にやらせてもらう、そういう事だろう。

 そんな事は分かり切った事だが、俺もとりあえずはそれで良い。

 くだらない事だが、リアを手放さないための理由付けだ。


「じゃぁ、教えて!」


「バカか、そんな身体で出来る事があるものか。

 回復魔法を拒否する以上、今日できることは何もない。」


 リアは少し悩んだようだが、頷いた。

 回復魔法はリアの両親と深い関わりのある魔法。

 おそらく強いこだわりが自分の中にあるのだろう。


 その日は、リアの世話に追われた。

 午前中に俺一人で買い出しを済ませて

 昼は家に戻って一緒に昼食を摂り、夕方にはリアを風呂に入れた。

 もはや抵抗はなく、リアは肌をさらして一緒に風呂に入った。

 思った通り、怪我のせいで前にもまして身体の洗い方が酷かったので、俺が洗う。


 夜はソファではなく、俺のベッドに寝かせてやる。

 さすがにダメージが蓄積した身体のまま、ソファで寝るのは回復が遅れる。

 かといって、俺がソファで寝るのは嫌だったので、少し距離を開けて同じベッドで寝た。

 大きいサイズのベッドなので、そんな状態でも随分と余裕があった。


 ベッドでリアの寝息を聞きながら、今更に思うことがある。

 リアは復讐と言う新しい目的を見つけている。

 おそらく自害することも無いだろうし、逃げることももう無いはずだ。

 だから、俺と同じ部屋で生活させることは、意味がない。


 そんな事を考えていたが、リアの寝息を聞いていると不思議と落ち着く事に気づく。

 これはこれで良いのかもしれない……。



「剣と魔法を教えて!」


 翌日、目が覚めるとリアがそう言ってきた。

 俺より早く起きて、俺が起きるのを待っていたようだ。

 意識が高いことは良い事だが、目覚めてすぐに催促されるのは億劫。


「ちょっと、そこに立ってみろ。」


 リアは昨日よりも随分と軽い足取りで、ベッドから降りて立ち上がった。

 俺は続けて、その場で飛ぶように指示を出し、次にくるくると回るように指示を出した。

 苦しそうな表情を見せながらもそれを努めて隠すような表情でリアは、言われたとおりにしてみせる。

 まだ完全回復とはいかないようだが、きちんと指示通りに動くことが出来ていた。

 これなら、今日はいけそうだ。


「良いだろう、今日から教えてやる。」


「やった!!」


 リアが目をキラキラと輝かせた。

 あんな深い闇を背負っているとは、思えないほどに無邪気な姿。

 そのギャップに、ひんやりとした快感を覚える。


「だが、朝食を摂ってからだな。」


「え――っ。」


 リアは朝食が終わるまで不服そうな顔をしていた。

 出された朝食も素早く片づけて、俺を急かす始末。

 俺はそんなリアを横目に、ゆっくりと朝食を平らげてやった。


「さて――――。」


 朝食も終わり、庭に出た。

 これからいよいよ修行を始めようかと言うところ。

 だが、その前にはっきりと言っておかなければいけないことがある。


「おい、始める前に、おまえに言っておくことがある。」


「……?」


 俺が真剣な表情になった事で、リアも顔が引き締まる。

 何を言われるのか分からず、不安そうに首をかしげた。


「あれ以来、ずっとその口調だが、

 教えを乞うものとして、その態度は気に入らない。

 改めないなら、俺はお前に何も教えない。」


 あれ以来……情けない言葉だった。

 あれと形容したものを具体的に説明するのは憚られた。

 あの日は俺にとっては敗北の一日と言っても過言ではなかった。


「分かりました!」


 リアは笑って答えた。

 その無邪気な笑顔が少し腹立たしいが、触れる事はしない。

 俺は要求を続ける。


「俺に嘘はつかない事。そして、俺の言う事には従う事。」


「分かりました。」


「本当に分かったのだな? ならば復讐は諦めろ。」


「……。」


 返事はなかった。それは当然だろう。

 リアが俺に教えを乞うのは復讐のためだ。

 ただ、ここで即座に分かりましたと答えないのは評価できる。


「まあ、正直なのは悪くない。復讐は好きにすればいい。

 だが、当面は考えるな。おまえには達成する実力など無いし、俺にも迷惑がかかる。」


「分かりました!」


 リアは真剣な顔で返事をした。

 今度の返事に偽りは無さそうだった。


「良し! では、始めるか。まだ体調が万全ではないから今日は魔法を―――」


「待ってください、その前にわたしからも良いですか?」


「……ん?」


 出鼻をくじかれて、拍子抜けする。

 リアはいつも俺の調子を狂わせてくれる。


「なんだ、言ってみろ。聞くだけ聞いてやる。」


 リアが真っすぐ俺を見て言葉を放つ。

 その瞳には、少しの怒気が感じられる。


「わたしのお父さんと、お母さんの悪口は言わないでください!」


 思えば俺が殺されかけた原因になったのは、リアの両親を侮辱した事だった。

 お父さん、お母さんと呼ぶリアは、感情的でとても自然な姿に見える。

 以前に父や母などと他人行儀に形容していた時よりもずっと素直だ。


「そうだな、また殺されかけてはかなわんしな。

 その件は謝罪してやる、悪かったな。」


 リアが驚いた顔をする。

 分かっている、俺が謝罪するなど、到底あり得ない事。

 ……らしくない。だが、当時の俺もらしくなかったのだ。

 感じる必要は無いはずだが、罪悪感のようなものも少しある……。


 だから、これでチャラだ。それでいい。


「もう良いな。では、訓練をはじめ―――」


「もう一個!」


 またしても遮られる。

 まだ何か俺に対して要求があるというのか!!


「ああ!? 調子に乗るな―――」


「名前!!」


「ん……名前?」


「おいとか、ガキとか、おまえじゃなくて、リアって呼んで欲しい……です。」


「は?」


 予想外の要求に驚く。

 そういえば、以前も意図せずして名前を呼んだときに強く反応していたな。

 名前など単なる識別のための言葉でしかない、分かりさえすれば名前である必要は無い。

 俺はそう思っているが、リアには違うらしい。


「前にも言ったと思うが、名前などは識別のための言葉に過ぎない。分かればいいのだ。それをいちいち指定するなど!」


「分かっています。

 でも、アルテッサ様に名前を呼んでもらえた時、わたし思い出したんです。

 わたしの名前はリアなんだって……。


 ずっと、罵られるような呼び方しかされていなくて、だから呼んでもらえた時、嬉しくて。

 それに気づいたんです。名前はわたしがお父さんとお母さんから貰った最後の繋がりなんだって…………だから。」


 なるほど、親を敬愛するリアらしい理由。

 先の悪口を言わないという約束にも通ずるものがある。

 リアを名前で呼ばないのは、両親への侮辱……とも考えられなくもないか。


「分からん奴だな。

 名前など識別のためのものに過ぎないと言っている。」


「…………。」


「……だから、別にリアと呼ぶのがおかしいわけでもないな。」


「アルテッサ様!!」


 リアの顔がパッと花が咲いたように明るくなる。

 これまで見た中で一番の笑顔だった。


「俺の事はアルテで良い。親からそのように呼ばれていた。」


「分かりました、アルテ様!」


 確かに、名前と言うものは識別のためのもの。

 相手に知ってもらい、呼んでもらわなければ何の意味もなさない。

 せっかくもらったものなのだ、使ってやらねばもったいないだろう。

 そう、ただそれだけの事だ。




 話もまとまったところで、ようやく訓練に入った。

 リアの体調が万全ではないので、魔法の訓練をする事にした。

 魔法ならば、身体を動かさずとも訓練することが出来る。


「リアはどれくらい魔法が使えるのだ?」


「うーん、どれくらいと言われても困ります……。」


「ふむ、回復魔法の他に使える魔法はあるか?」


「ありません……。」


「なるほど、では回復魔法はどれくらいの事ができる?」


「…………傷を治すくらい、でしょうか??」


 釈然としない問答が続く。

 リアは自分の実力を把握できていないようであった。

 教える為には、生徒の力量を知る必要があるのだが、進捗が悪い。


 そもそも、リアは教えを受けているだけで、実践経験が無いに等しい。

 回復魔法を教わってはいるが、他人への使用を禁じられていたのだから。

 だが、過去に聞いた話によれば、傷は治せるが魔黒病は治せないという事は分かっている。


 その他、武術の経験や語学の経験についても言及した。

 武術の経験は皆無だったが、語学の方はそこそこなようだった。

 大陸の統一言語であるイルニシア語であれば、読み書きが可能。

 医術の先進である西方のラスタング語についても、そこそこに読み書きができるらしい。

 リアの両親が教育に力を入れていたことが伺える。


 これならば、魔術書を読み解くことができるだろう。

 基本的には統一言語のイルニシア語の魔術書が多いが、

 回復系統のものとなるとラスタング語のものも少なくない。

 その両方に明るいというのは素晴らしい。

 さすがに、読み書きをイチからとなると、教えるのも一苦労となる。


「リアは、どういった魔法を覚えたい?」


「殺せる魔法が良いです。」


 即答だった。

 どの魔法の基礎系統を学ばせるかを選ばせようと思ったのだが……。

 回答が真っすぐ斜め上だった。


「聞きなおそう。

 火、水、土、雷、光、闇が、魔術の基礎系統だ。

 覚えたい系統はどれだ?」


「それなら、火が良いです。」


 選んだ理由を察するに、先の言葉通りなのだろう。

 殺せる魔法。火の属性は攻撃に特化した魔術が多いのは確かだが。


「リアは回復魔法を使える。光系統の方が良いのではないか?」


 リアは光系統を選ぶと思っていた。

 回復魔法が使えるのだから、適性があるのは間違いない。

 加えて、両親は回復魔法のスペシャリストと来ている。

 両親を敬愛するリアなら、迷わず光魔法を選ぶものと。


 だが、リアは難しい顔をして首を振った。

 何か思うところがあるのだろうか。


「ふむ……、何か理由が?」


「お父さんとお母さんが残してくれた魔法で人を殺したくありません……。

 アルテ様から学ぶ魔法で、わたしは人を殺したい。」


 真っすぐな冷たい瞳。

 炎は高温になると美しい青色になるというが、まさにそんな感じだ。

 どこまでも熱く、どこまでも冷たい色の瞳。


 ……これがリアの魅力なのかもしれない。

 この瞳は、とても美しい。


「俺は、復讐の事を今は考えるなと言ったが?」


「復讐の為ではありません。わたしは人を殺すためにと言っただけです。」


「ふん、屁理屈だな。まあいい、では火の系統から始めるか。」


 結局のところ、どの系統であっても最初にやる事は同じ。

 自分の中に流れている魔力や気を感じ取るところから始まる。


 その流れを感じ取る事ができたならば、今度は流れを意識的に変える。

 例えば流れの一部を掌に留めたり、逆に流れを早くしてみたり。

 そうして魔力をコントロールしていくのが全ての基本。


 そこから魔力にイメージを重ねて具現化させていく作業に入る。

 炎であったり、水であったりと、イメージの練度によって具現化の効率は変わる。

 おぼろげなイメージであれば、大半の魔力は身体の中で霧散して形になる事は無い。

 魔術はこのイメージが非常に重要であり、人によって属性の向き不向きがかなり出る。


「……とまあ、そういう事なのだが、とりあえずやってみろ。

 第一段階だ、魔力の流れを感じ取ってみると良い。」


「魔力を感じ取る……。」


 回復魔法が使えるリアなので、すぐに出来ると思ったが予想が外れた。

 いまいちピンとこないようである。

 目をつむって首をかしげている。これは分かっていない証拠だ。


「リア、回復魔法の訓練はどのようにしていたのだ?」


「それは、こうやって触れて、気を流し込んで、お父さんに見てもらっていました。」


 リアが俺の手をとって、気を流し込んでくる。

 柔らかで温かなリアの気が流し込まれて、心地が良い。


「なるほど、リアは俺の中を流れる自分の気を感じられているか?」


「……分かりません。」


「……本当、素人に毛が生えたくらいのレベルだな。」


「…………。」


 確かに回復魔法の使い方としては合っている。

 相手に自分の気を流し込んで循環させるのが初歩の中の初歩。

 自分の健全な気を流し込んで循環させれば、相手を癒すことが出来る。

 小さな傷くらいなら治すことが出来るだろう。


 だが、リアは流し込むだけで、コントロールが一切できていない。

 これでは相手の病状の診察はおろか、重篤な患者を治療することはできない。

 回復魔法の基礎は循環だが、応用は循環のコントロールにある。

 相手のダメージを負っている部分に、自分の気を送り込むことで最大効果を引き出すのだ。

 やみくもに循環させるだけでは、回復効果は薄い。


 それに気を感じ取り、自分でコントロールが出来なければ、自分の傷を治すことはできない。

 ダメージを負った自分の気を循環させたところで、何の効果も得られない。

 逆にダメージを共有してしまうような結果にもなってしまう。

 リアの両親が共倒れした原因がまさにそれ。


 自分の気をコントロールし、淀んだ気を避けて、健全な気だけをかき集める。

 それが出来なければ、いつかまた自分が病に侵された時、なすすべなく倒れることになる。


「仕方がない、俺がリアに気を送る。

 リアの自然な気の流れに逆らわせるから、どう逆らっているのか応えてみろ。」


「はい。」


 俺はリアの手を握り返して、自分の気を送り込む。


「分かるか?」


「あ、はい、何だか、えっと、今こっちの握ってない方の手に気が集まっています!!」


「そうだ、じゃぁこれはどうだ?」


 俺はどんどん気の淀みを分かりづらくしていった。

 リアは懸命に集中し、自分の中に流れている気の違和感に傾注した。

 そうして、リアが自分の気を把握できるようになったころには、夕方になっていた。

 昼飯をすっ飛ばしていたのだから、道理で腹が減っているわけだ。


 夜は外食にする事にした。

 家に食材はあるのだが、調理する気になれなかった。

 腹がすきすぎているので、とっとと料理にありつきたい。


 幸いな事に、近くにレストランがある。

 たいそうな店ではないが、それなりに味も良い。


 外套を着てリアと外に出たが、少し歩いて気づいた……リアの足取りが重たい事に。

 リアは苦しそうな表情で足を引きずって歩く。そういえば、まだ身体の方は完治していないのだったな。早まった事をしただろうか。


 とはいえ、腹は減っているし、今から準備するのは更に時間がかかってしまいそうだ。そもそも、治療を拒んだのはリアなのだから、その苦痛はリアのわがままから生まれたもの。


 ならばと、俺は気にせず、そのまま歩き出した。ただし、歩調だけは少しゆっくりとリアの少しだけ先を歩くようにして合わせた。リアは当然文句を言わずについてくる。気配でどれくらい離れているかは分かるのだが、気になって振り返ると俺を見てリアが笑った。


 だが、どうにも歪な笑顔だ。痛みをかみ殺すような笑顔。

 何を考えているのだろうか。明日からの訓練を気にして、元気なふりを演出しているのか。はたまたマゾの気にでも目覚めたのか。まあ、何にせよ暫くは魔法の訓練だがな。


 俺はリアを連れて、その店を訪れる。

 小さなレストラン、名をラカンの角笛と言うが、由来は知らない。

 料理をする店主と、給仕の者が一人だけの店。

 席はテーブルが3席、カウンターが5席。テーブルでは4名の客が酒盛りをし、カウンターでは静かに2人の冒険者らしき男がそれぞれ酒を飲んでいた。

 有難いことにいずれも俺たちにさして興味を示す様子はない。

 俺たちは一番奥のテーブルに案内された。


「好きな物を頼んで良い。文字は読めるだろ?」


 俺はリアにメニューブックを渡した。


「はい、大丈夫です…………ただ。」


「なんだ?」


「すみません、どんな料理なのかが分かりません。」


「なるほど、確かにな……。」


 メニューには料理名と金額しか書かれていない。

 肉料理であるとか、魚料理であるとかのジャンル分けはあるが、それ以上の事は知っていなければ分かるはずもない。リアは奴隷として5年間を過ごしているし、それ以前に住んでいた場所は遠く離れた西方のイルトリス。カティスの知識が乏しいのは明らか。


「ならば、俺と同じものを食べてみるか?」


「はい。」


 俺は、カルボナーラと言う料理を頼んだ。

 東方から伝わった料理で、スパゲッティと言う麺に卵と生乳を絡めたものだ。

 卵と生乳のコクがこってりと濃厚だが、くどさの無い柔らかさが気に入っている。

 辛いものではないから、リアも食べられるだろう。

 それに栄養価も高いので、疲弊しているリアにはちょうど良い。



「わあぁーーっ、アルテ様! いい香りです、凄く!」


 運ばれてきたカルボナーラを見てリアが歓声をあげた。

 確かに良い香りだ、卵と生乳の優しく甘い香りに、

 ベーコンの芳ばしい香りが、たまらない。


「色も綺麗です! これは……食べるのがもったいないですね。」


「バカな事を言っていないで、さっさと食え。冷めるぞ。」


 リアが真顔でそんな事を言うものだから、笑いがこみあげる。

 料理一つによくもまあ表情をころころと変えるものだ。

 俺がフォークを使って、クルリと麺を絡めて食べるのをリアが真似る。

 充分に麺を巻き込んでいないせいで、ほとんどが落ちてしまっているが……。なんというか、今のリアの様子は年相応だな。


「んんんんぅ―――――っ!!」


「はは、ほとんど落ちてるじゃないか。旨いか?」


「最高です……アルテ様!」


 リアは夢中でカルボナーラを口に放り込んでいく。

 口の周りはクリームソースで汚れっぱなしだが、お構いなしの様子。

 少し恥ずかしかったが、リアの様子を見ているのが不思議と不快ではなかった。


 最後の一口を放り込むと、リアは名残惜しそうに皿を見つめて、皿に残ったソースを舐め始めた。

 さすがにそれは驚愕して、すぐにやめさせた。


 そして、一向にふき取る気配のなかった口元を指摘するも、上手に拭けないのがもどかしくて、結局おれがナプキンを取り上げて拭いてやった。俺は、こいつの世話係になった覚えは無いのだが……。


 食事も終わったので店を出た。

 何とも恥ずかしい食事の席だったが、嫌な感じはしない。

 また連れてきてやっても良いかもしれない、そんな風に思いさえする食事だった。


 帰りは送迎馬車を使った。

 乗合馬車とは違って、呼びつけて任意の場所まで届けてもらうタイプの馬車だ。当然ながら、値は張るが、利便性は高い。こうした一定レベル以上のレストランでは、店の者に頼めば送迎馬車を手配してもらえる。


 御者に自宅の場所を伝えると、少し渋い顔をした。おそらく、場所が近いから安い客だと思われたのだろう。まあ、気持ちは分かるが、顔に出すのはいただけないな。


 時間のかかった往路とは雲泥の差。

 復路は快適で速かった。送迎馬車を使ったのは、歩いて帰るのが面倒くさかったからだ。リアを連れて、再びあの道を歩くのかと思うと、疲れてしまいそうだった。そもそも、食事をして腹を満たしたら、今日一日の疲れが溢れた。


「アルテ様……ありがとうございます。」


 揺れる馬車の中で、リアがお礼を言った。


「何がだ?」


「美味しいお料理でした。それに馬車まで……お金使わせてごめんなさい。」


「ふん、食事の余韻を消さずに帰宅したかっただけだ。リアの為ではない。」


 そう、けっしてリアの身体を気遣って馬車を使ったわけではない。断じて……そのはずだが、俺の言葉の意味をきちんと理解していないのか、リアは終始嬉しそうに笑顔を絶やさなかった。


 家に帰ると、疲れたので風呂に入る。

 呼んだ覚えはないのに、風呂に入るのを察したリアがついてきて服を脱いだ。

 もう自害することも、逃げる事もない。体調だってかなり回復しているのだから、

 一緒に入る必要は全くないのだが、まあ、断る理由もないのでそのままにしておいた。


 そして結局、俺がリアを洗うことになった。

 本当、俺はこいつの世話係じゃないのだが……。


 風呂から上がり、俺はベッドで横になる。

 リアは横のソファで横になった。


 俺は寝る前にいつものように本を読んでいると、

 目の端でリアが寝苦しそうに何度も体勢を変えているのが飛び込んでくる。

 その落ち着きのなさがどうにも読書の邪魔になる。


「リア、そんなに心地が悪いなら、こっちで寝てもかまわん。

 気になって本に集中できない。」


「……良いんですか!?」


「構わんと言った。」


 リアは遠慮がちに、しかし嬉しそうにベッドに潜り込んだ。

 そして、あっという間に寝息を立て始めた。

 ほんのりとリアの体温が感じられる距離。

 すーすーというリアの寝息が、一定のリズムで流れて眠気を誘う。

 俺もつられるように、すぐに眠りに落ちていった。

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