第5話 リアの深淵

 その日は、リアが先に目覚めていた。

 俺はリアが部屋の外に出ようとする足音で目を覚ました。

 どこへ行くのかと尋ねると、トイレに行きたいというだけの事だったが。


 昨日の治療の一件以来、リアの態度はよそよそしい。

 よそよそしいのはもともとなのだが、何というか俺に対する怒りの様な感情が見える。

 魔黒病の治療をしてやったと言うのに腹立たしい。


 リアは死にたがっている。

 昨日、魔黒病にかかっている事を告げた時の表情。

 あれは暗い喜びに満ちた顔だった。


 渡りに船のような死刑宣告。

 両親と同じ病で、同じように死ねるという希望。

 魔黒病は、リアにしてみれば両親との絆のようなものに思えていたのかもしれない。


 それを俺が断ち切ったわけだ。

 俺の奴隷であるくせに、勝手に死のうなどとはふざけている。

 そもそも、リアの魔黒病は潜伏期間で、まだ発症してすらいなかった。

 俺が拾っていなかったら、魔黒病の発症を待たずに死亡していただろうに。


「おい、今日は買い出しにいくぞ。」


 部屋を出て行くリアの背中に声をかけたが、返事もしやしない。


 しばらくして戻ってきたリアと一緒に朝食をとる。

 パンにバターを塗って焼いたものと、ミルクだけの簡単な朝食が二人分。

 リアは一口も食べる事は無く、俺も勝手にしろと思って何も言わなかった。

 自分で処理するのは癪だったので、食べないなら捨てて来いとリアに捨てさせた。


「さて、出かけるか。」


「……。」


「おい、返事くらいしろ。」


「……はい。」


 俺はシャツの上にジャケットを着こみ、リアは俺のシャツとズボンしかないのでそれを着た。一応、亜人を象徴する耳を隠すために帽子もかぶせておいた。俺と一緒にいるのだから面倒ごとはないだろうが念のため。


 街に出て歩く。リアは俺の少し後ろを歩いた。

 合わせてやるつもりはないが、この距離の意味は考える。

 単純に俺の歩行速度が速いだけなのか、リアの心理的な距離なのか。

 どちらにせよ、俺には関係の無い事だな。


 そんな事を考えていると、服屋についた。

 さすがに俺の服をリアに着させ続けるのは見た目が悪い、ここでリアの衣類を揃える事にした。


 この店は俺がよく利用する店で店主にも顔が利く。

 価格は張るが品質が確かであり、種類が非常に豊富。

 男物から女物まで、果ては子供ものまでと揃えている。

 まさか俺が子供服を求めてここに来ることになるとは思わなかったが……。


「おお、お久しぶりでございます。アルテッサさま。本日はお子様連れでいらっしゃいますか?」


 俺の姿を見て話しかけてきたのが、店主のウェルキン。

 この店の雰囲気に合った上品な店主だ。

 ほっそりとした優男に見えるが、彼はこれでも元冒険者でそれなりの腕だと聞く。


「ええ、今日はこの子の服を買いに来たんですよ。何か似合うものを3着ほど見繕っていただけませんか?」


 俺がそう言うとウェルキンは少し驚いた顔を見せる。

 おそらく、リアが奴隷である事を見抜き、これから売りに行くとでも思ったのだろう。

 高く売るために良い服を着せて、値段を吊り上げようとやってきたのだと。

 それを3着と言ったところで、予想が外れて驚いたといったところか。


「それはそれは、ありがとうございます。ぜひとも、お任せください! ちなみにご予算などはおありですか?」


「特にありません。良いものを選んであげてください。」


「かしこまりました。ではお嬢様、こちらへどうぞ。」


 ウェルキンは女性の店員を呼び出すとリアを案内させた。

 リアは女性店員に手を引かれて、店の奥へと消えていった。


 俺とリアの事を追及してこないところが、ウェルキンの良くできたところだ。

 そして、商売を忘れないところも。


「ところで、アルテッサ様も何か見ていかれませんか?

 最近入りましたシャツがとても仕立ての良いものでして、是非お見せしたいと思っておりました。」


「はは、そうですね。少し見せていただきましょうか。」


「どうぞどうぞ、今日はお嬢様の御召し物を3着もお買い求めいただけるとの事ですので、気に入ったものがございましたら、一着サービスさせていただきますよ。」


「おお、本当ですか!?」


 ウェルキンは中々に商売上手であった。

 これでリアの服が多少高くても、俺が不満を抱くことも無くなる。

 ついでに新商品の宣伝もできる、シャツは数が必要になるものだから、追加で買いに来るだろうという算段か。


 俺はウェルキンに案内されて、いくつかのシャツを見せてもらった。

 なめらかな手触りだが型崩れしにくいらしく、本当に良い仕立ての品だった。

 形も気に入ったものがあったので、一着いただくことにした。


 俺が店の広間に戻る頃には、服を選び終えたリアが立っていた。

 女性店員に選んでもらったであろう服を着こんで。


 ……これは、なかなか。

 黒と白のタイトなドレス姿、すらりとしたリアの体系に良く似合っている。

 黒を基調として、細い白のラインがアクセントになっている。膝のあたりまで伸びたフレアスカートは魅惑的だが、全体の露出は少なく、襟は首元までしっかりと伸びて華の刺繍があしらわれている。袖は長く、手の先端まで伸びて華柄のレースが優雅に手の甲を包む。これならば、リアの傷跡が露出することも無い。レースを使い過ぎない事で、ふわふわした印象を与えずシックな美しさが醸し出されていた。


 素晴らしい、凛としたリアの雰囲気にぴったりだ。


「ウェルキンさん、やりますね。素晴らしいですよ。」


「ふふ、お気に召されたようで何よりです。コーディネートのお手伝いをさせていただきました者は、当店でも抜きんでたセンスを持っておりますゆえ、他の2着もお気に召されるものと自負いたしております。」


 満足した俺は支払いを済ませて店を出る。

 不満だったのは、リアがあまり喜んでいない事か。

 高価な服を3着も買い与えてやっというのに腹立たしい。

 いや、喜ばせたいわけではないのだが、感謝して当然のことを感謝されないのは気に入らない。


 適当な店に入って昼食をとる。

 見違えるようなリアの姿に多くの視線が刺さって、少し面倒くさい。

 リアは食事を拒否したが、この刺さる視線の中で俺だけが食事をするのは気が引ける。

 だから料理は二人分を注文して、リアの前にも皿を置かせた。

 結局、リアは朝と同じように一口も食べる事は無かった。


 午後は靴を買う。

 これまた馴染みの店に行って、ウェルキンの店と同じように靴を選んでもらった。

 さすがに靴屋では一足サービスしてくれるような事は無かったが、

 最近の新作を一通り見せてもらって楽しんだ。


 靴屋でもリアは早々に買うものを決めて、入り口の近くで俺を待っていた。

 反応も服屋と同じで感情が薄く、お礼を言うことも無かった。


 俺はかなり頭に来ていた。

 リアの態度があまりにふざけすぎている。

 体面があるため家の外で声を荒げるような事はしないが、かなり我慢の限界にある。


 夕食は外では済ませずに、通りのパン屋でいくつか見繕って帰った。

 昼間のような面倒くさい食事はごめんだ。


「どういうつもりだ!!」


 家の扉を閉めるなり、俺はリアに怒鳴った。

 リアは俺の怒鳴り声にビクッと身体を震わせただけで、何の反応もない。


「どういうつもりだと聞いている!」


「……どういう意味でしょうか?」


「俺に恥をかかせるつもりか! 食事を出してやっても食わない。物を買ってやっても礼も言わない! どういう了見だ、言ってみろ!!」


「……頼んでいません。」


「あ? 頼んでないだと、みすぼらしい格好のままが良かったってか? 奴隷みたいな恰好が良かったってのか?」


「…………。」


「さすが奴隷のガキだな! そんで最後は親みたいに野垂れ死にたいってか!!

 親も含めて、おまえら救いがたいゴミだ。ハッ、魔黒病で死ぬのがおまえらにはお似合いだな!」


 カッ―――とリアの瞳に炎が灯るのが分かった。

 リアの身体が震えている。これは恐怖によるものではなく怒りによるもの。

 だが、リアは言い返すことは無く、目を伏せて俯いて奥の広間へ行こうとする。


「おい、どこへ行く! 今日は疲れたから寝るぞ。おまえは先に寝室に行ってろ。」


 リアは返事をすることなく、2階へ上がっていった。

 思いっきり怒鳴って少し気がまぎれたが不愉快な気分だ。

 こんな風に感情的に怒鳴るのは俺らしくない……。


 荷物を置いてから寝室に入る。

 リアはソファに横になって背を向けていた。

 俺は構わず自分のベッドへ行き、靴を脱いで横たわる。


 疲れたが眠れるような気分でもない。

 買ってきたパンを食べる気にもなれないしな。

 なので、本を片手に眠気の到来を待つことにした……。






 ―――――――――――――――――――――


 リアの気配で目が覚める。

 目を開けると、剣の切っ先が眼前に迫っていた。


 俺めがけて、一直線に伸びて―――――


 とっさに本で剣を受け止める。

 剣は本をわずかに貫通、俺の鼻先で止まった。

 同時に、反射的に相手を蹴り上げて体勢を整える。


 壁に叩き付けられるリアが見えた。


 リアはよろよろと起き上がり、壁掛けのレプリカの剣を引き抜いた。

 砥がれていないので切れ味は無いが、重量があり刺せば人は殺せる代物。


「しねええええええええええええええええええ―――――――っ!!!」


 リアが剣を振り上げて、切りかかる。

 奇襲ならいざ知らず、素人の攻撃など通るものか!!!


「うっぐ――」


 俺の拳がリアの腹を捉える。

 激痛のあまりにうずくまるリア。

 本気で打ち込めば大人でも死に至る急所。少しの間、呼吸もままないだろうよ。


「ハッ、カハッ……くっ。」


 苦痛に歪みながらも、リアは床に落ちた剣に手を伸ばす。

 その手は震えて弱々しく、もはや構える事すらできそうにない。

 俺は、剣を足で蹴飛ばし、リアの胸倉を掴み上げる。


「がっ、あぐっ…………。」


 そのまま壁に叩き付けた。

 俺を殺そうとするとは良い度胸だ。

 ど素人が冒険者を殺そうなど、片腹痛い所業。


「さっきの続きだ、もう一度聞いてやる! 何のつもりだ!! ああ!?」


「……おま……なん……か…………、お前……なんか……!!」


 リアは、まっすぐに俺を睨みつける。

 とてつもない殺意がこみあげているのが、よくわかる。


「ふん、死にたがりの次は殺したがりってか。」


「うるさい、お前なんかにわたしの何が分かる!!」


「ふん、お前の事なんか知るわけないだろうが。」


「そうだろうな! おまえの外でのへつらってばかりの態度では、何にも分からないだろうな!」


「なっ――、なんだと!」


「へらへら、にこにこしてて気持ち悪い! 偉そうなのはわたしにだけか! ああ!?」


「うるさい! 奴隷のくせに!!」


 俺はたまらず、リアを床にたたきつけた。

 ドスンと言う鈍い音がしてリアが呻く。

 そして、リアはゆっくりと俺の方を振り返り、おぞましい笑顔を見せた。


「あははは……なに……それ。」


「…………。」


「みんな、そう。都合が悪くなると、殴って、蹴って。

 バカの一つ覚えみたいに、あははは―――――笑えるね。」


「…………。」


「わたしを売るんじゃなかったの? ねえ、はやく売ってよ。おまえのせいで死ねないんだよ。

 ……さっさと、売れよ!! この、うすのろ!!!」


「だ、黙れ! 奴隷の分際で俺に指図をするな!」


「ははっ、奴隷の扱いも知らないガキのくせに偉そうに……。」


「な、どういう意味だ!?」


「あー、そうかー、わたしの身体が目当てなのかな?

 ねえ、だったらはやく犯したら? お決まりの安いプライドが邪魔をするのかなー?」


「なっ、なっ―――。」


「わたしからしてあげようか? 経験無さそうだもんね。

 あははは、いいよ、してあげるよ。しっかり咥えてしゃぶってあげる。

 詰め所でさ、してたみたいにさ、男は喜ぶんでしょ、ねえ?」


「――――!?」


 リアが俺のところに這いよって、股間に手を当てまさぐり始める。


 俺は闇を払いのける様にリアの手を払いのけて、床に押し倒した。

 リアは変わらず俺を真っすぐに見据えてくる。妖艶に笑っているようでいて、表情が感じられない。ただただ歪で恐ろしかった……。


「殺してやるよ……。」


 胸の護身用のナイフを取り出して、リアに突き付ける。


 リアが笑った。

 やっと死ねる……と。

 どこまでも無限に広がる暗い闇がリアの瞳を通して見えた。

 闇夜に同化し、純粋にして、無邪気な絶望の色。


 吸い込まれてしまいそうな闇に、たまらず刃を突き立てる。


 ヒュン! トンッ! と軽い音がした。風切り音と壁に刺さる音。

 リアの頬がスーッと割れて血が滲んだ。


「……意気地なし。」


 リアが興味を無くしたように視線を逸らした。

 悔しいが、そうなのかもしれない……。

 完全にリアに気圧されている。


 俺はリアから離れて、壁にもたれかかって床に座った。

 リアは起きることなく、ぼんやりと天井を眺めている。

 何を考えているのか……。


「はぁ……、もういいよ。おまえの好きにすればいい。」


「……。」


 返事はなかった。催促する気も無かった。

 好きにしたらいい、リアは俺の手には負えない。

 それを思い知らされた。


 しばらく、俺もリアもしゃべらなかった。

 リアは相変わらずぼんやりと天井を眺め、俺はそんなリアを見ていた。


「復讐がしたい。」


 幾ばくかの空白の後に、リアがそう言った。

 とても静かだけど、よく響く声で。


「だから、わたしに剣と魔法を教えて欲しい。」


「ああ、分かった。」


 俺は何も考えられずに、そう答えてしまった。


 ……復讐か。

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