第3話 退屈な日々の忘却
目が覚めると空が見えた。
結局、あのまま寝てしまったようだ。
リアはと言うと、しっかり俺に覆いかぶさったままだ。
大して重くはないが、泣き疲れてスヤスヤと眠る顔が憎たらしい。昨日の屈服したままの姿勢でいるのは悪くはないが……。
そのまま、ぼんやりと今日の予定を考える。
まずはリアの身の回りの品を揃えるべきだろうか。いや、それ以前にリアをどうするかを考えなくては。
と言うか、昨晩のふざけた自害について言及するのが先か……。考えがぐるぐるまわって、空を泳いでいた視線をリアに向けると答えが出た。
とりあえず風呂だな……。
俺のシャツはリアの涙と涎と鼻水が盛大に混ざり合って酷い状態だった。
「おい、起きろ。」
身体を軽くゆすって、起こす。
「う……ん? ふぁ…………。」
リアがゆっくりと目を開く。
瞳に色が灯ると、すぐに飛びのいて真っ青な表情を見せた。密着していた身体が離れて、外気が流れ込むといささか肌寒い。
リアは言葉を無くして、立ちすくんでいる。
確かにこの状態から、なんと声をかけたら良いか分からないかもしれない。自害しようとしたことは謝罪すべきであろうし、助けてもらった事には感謝だろうか。そのまま取っ組み合いになって、突っ伏して寝てしまった事は……? いやそもそも死のうとしたところを助けたのは、妨害であって感謝の対象にはならないか。
「あの……、申し訳、ありません……。」
たどたどしい言葉で、リアが謝罪の言葉を述べた。
とりあえず一番妥当な言葉だろうな。先に喋ったのはリアだ。そのまま何を喋るのか見てみるとしよう。
「…………あの。」
リアは俺の顔色をうかがいながら、言葉を紡げないでいる。俺の出方を見たいのだろうが、俺はまだ何かを言うつもりはない。リアがなんというのか見てみたい。
「申し訳、ありませんでした……。」
また同じ言葉を繰り返した。しかも泣きそうになっている。
どうやら打ち止めのようだ。その先の言葉が何を言うのか聞きたかったのだが……。同じ言葉を繰り返すのは芸がない。だが、昨日のように号泣されても面倒ではある。
「風呂に入るぞ。」
「え?」
俺は立ち上がるとそそくさと歩き出す。
その所作を左足の鈍い痛みが阻んだ。
「ぐっ……ってぇ。」
昨日、どこかにぶつけたのだろうか。朝まで気づかないとは、なんとも間抜けなありさま。冒険者としては失格とも言えるような体たらく。
足を引きずる俺に、リアが追い付いてくる。
リアは俺の様子と表情を見て察したようだ。
「あ、あのっ!? 足を……?」
「おまえのせいだよ、ふざけんな! 落ちた時にうったんだ!!」
くそっ、さっさと回復魔法で直してしまおう。リアの俺を見る目が気にいらない。庇ったわけじゃないのに、そんな意外そうな目を向けられるのが腹立たしい。リアに背中を向けて、自分に回復魔法を発動。集中するために瞳を閉じた。
対象者が自分の場合、回復魔法の難易度は上がる。
通常、健全な気の流れを持つ者が、不健全な気を正す術なのだ。怪我をした俺の気は不健全。不健全が不健全を直すのは高等技術とされる。自分の健全な部分の気だけを抽出して、自分の不健全な部分に注入する。繊細な気のコントロールが必要になる。
――――!?
痛みが引いていく……。
まだ回復魔法はかけていない……はず?
閉じていた目を開くと、リアが回復魔法を展開していた。
「な……んだと!?」
「すみません、昨日は。あの、ありがとう……ございます。」
信じられない。どういうことだ。
リアは回復魔法を使う事ができるというのか……。平凡な亜人の少女だと思っていた、少しばかり頭はキレるが、ただそれだけの事だと……。これはもしかすると、とんでもない拾い物だったのかもしれない。
「わたし……回復魔法だけは使えるので、お役に立てたらと……。」
俺が黙っていると、リアは言葉をつづけた。
だが、それは俺の機嫌を損ねた。
「回復魔法が使えるから、自分を大事にしろとでもいうつもりか。お前のせいで怪我をしたのだ。それを治療したからとて、偉そうにするな。回復魔法なら俺も使える。」
「申し訳ありません……。」
「ともかく風呂だ。」
そそくさと歩いて、すぐに風呂場についた。リアは少し遅れて俺に続いた。
俺の服と身体はリアによるものの他にも、泥やら草がついて汚れていた。リアも同様に汚れが目立つ。
「脱げ。」
「……え?」
2度は言わない。黙ったままリアの行動を待つ。
少し躊躇ったようだが、リアは静かに服を脱ぎ始めた。
今のリアを一人にするのは危険だ。
昨日のように死なれては困るし、逃げられても困る。リアをどこかに繋いでおいて、俺が風呂に入るのもありだがそれも面倒。それにリアを風呂に入れないという選択肢はない。同じ家にいる以上、どうしても俺の視界に入るのだから、綺麗でなくては困る。だから手っ取り早く一緒に入ってしまうのが簡単だった。
リアが服を脱ぐにつれて、生々しい傷が露になる。
奴隷としてリアがどういう生活を送ってきたのが良くわかる。腕には深い切り傷の痕、背中には大きな火傷の痕が、他にも無数の傷がある。古い傷なのか……昨日、俺が回復魔法をかけたのに痕が消えていない。
少し驚いたが、それで声をかける事は無い。
リアを先に浴室にやって、俺もさっさと服を脱いで浴室に入る。俺が浴室に入ると、リアは浴槽には入らずに突っ立っていた。遠慮からくる行動だとは思えないが、先に浴槽に入っていなかった事には気を良くした。
浴槽から湯を汲みとって、リアにかけてやる。
リアは湯がかかった瞬間、ビクッと身体を震わせたが大人しいままだった。自分にもかけ湯をして、軽く汚れを落としたら浴槽につかる。
湯船につかると、フワーッと疲れが抜けていくような気持になる。
さすが嗜好品と呼ばれるだけあって、たまらない気持ちよさだ。
気になるのは眼前のリアが背を向けたまま、突っ立っている事か。
好きにしたら良いと思って放置していたが、目の前で突っ立っていられると落ち着かない。
「さっさと入れ。」
「はい……。」
その言葉でようやくリアも湯船につかった。
別に何かするわけじゃないんだが。思えばこいつは昨日、自分の事を女だから高く売れると言った。それは女が男にとって、どういうものか知っているからだろう。俺がリアに欲情して、手を出すとでも思っているのかと思うと少し腹立たしい。
リアを見てみれば、まだ全然子供ではないか。
確かに顔は整っている。銀色の真っすぐな髪、尖った獣耳は凛としている。すらりとした身体は美しく、ポテンシャルが高いのは間違いない。だが、身体の傷跡は生々しいし、ポテンシャルが活かされるのは将来の話。まだ男とも女とも区別がつかないような体つきでしかないのだ。
リアをまじまじ見ていたら、視線に気づいたのか顔を赤らめて俯いてしまった。
「くだらん妄想はやめろ、腹立たしい。」
「……はい。すみません。」
それから、しばらくは無言の時間が続いたが、のぼせてきたので身体を洗ってあがることにした。リアにもスポンジなどを持たせて、真似させた。だが、洗い方がどうにももどかしい。洗い方にムラがありすぎる。それを全く気にしていないのか、仕上げとばかりに湯で体を洗い流した。
たまらなくなって、リアを洗いなおすことにした。
リアの身体をぐいっと引き寄せて、洗髪液で髪を泡立てる。最初こそビクッと身体をふるわせたものの、俺の意図を察するとすぐに大人しくなった。
「……すみません。」
「黙ってろ。」
わっしわっしとリアの髪を洗うと、リアの細い首がそれに合わせて揺れる。
俺も男にしては細い方だが、リアは比較にならないほどに細くて弱弱しい。まるで繊細なガラス細工の様で、ちょっと力を込めたら簡単に壊れてしまいそうなほど。
だが、この汚れは看過しがたい。
細くて繊細な髪のくせに手に絡みつく、何とも滑りの悪い髪の毛。これまでろくに手入れなどしたことも無かったのだろう。奴隷であれば仕方のない事かもしれないが、俺の家にいる以上は許せない。積年の汚れは、ここできれいさっぱり落としてもらうとしよう。俺は力を緩めることなく洗い続けた。
入念に洗った髪を洗い流すと、銀色の髪がキラキラと輝きを放つ。
輝く銀髪の先端から水滴が落ちる。光を含んだ滴は、優しい朝日に輝く露のようで。そこには、俺が嫌う昼間の太陽を思わせる無遠慮な輝きは見られない。綺麗だな……不覚にも魅入ってしまった。
「あの……?」
「うるさい、まだ終わっていない! 前を向いてろ。」
手が止まったことを不思議に思ったのか、リアが俺の顔色を伺ってきた。
一気に現実に戻されて、俺は再びリアを洗い始める。次は身体だ。スポンジをしっかり泡立てて、背中から洗っていく。そこから肩と腕、手、指とくまなく洗う。前も遠慮なしに洗っていく、股の間だろうと関係ない。リアは恥ずかしそうにしてはいたが、抵抗する事は無かった。
最後の仕上げに、桶に汲んだ湯を丁寧に身体にかけてやった。
リアもそれが最後の合図だと分かったのか。
「ありがとうございます……。」
俯きながら小さくお礼を言ってきた。
その声はこれまでで一番柔らかな感じのする声だった。
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