第2話 復讐の幼女リア
俺の家。
……と言っても、俺の持ち家ではない。各地を転々とする旅人の俺は一軒家を借り切っている。一般の冒険者ならば、安い宿屋などを使うのだろうが、プライベートまで人のいる場所にはいたくない。ここは町の中心から、少し離れた閑散とした場所。そこにある地上3階、地下1階の豪華な一軒家が俺のカティスでの仮住まい。
少女は未だ気を失ったまま。とりあえず、1階のソファに寝かせた。
改めてみると、随分と酷いありさまだ。唇は切れて血が流れ、他の外傷も多く血は凝固してべったりと張り付いている。体のあちこちに痣があるし、擦り傷も多い。いや、これはよく見るとろっ骨が折れているのではないだろうか。
「うっ!ぐっ……」
触診してみると、少女は苦しそうな声をあげた。
これは間違いなく折れている、幸いな事にろっ骨が肺に刺さる事は無かったようだ。
「……あ、う、あぁ。」
触診の痛みによって、意識を取り戻したらしい。朦朧としつつも、焦点の定まらない視線が俺に向く。
「あ、あの、ここは……?」
「俺の家だ。事の顛末は覚えているな?」
少女は俺から視線を外し、記憶をたどる。思い出すにつれて、どんどんと暗い闇が顔を覆った。そうして少しの間を置いたのちに、小さく返事を返した。
「……はい。」
「説明してみろ。」
「私は、カティスの路地裏で、殺されそうになっていたところを、えっと、えっと、貴方様に助けていただきました。」
ちらちらと困ったように少女が俺を見る。躊躇った後に、貴方様と俺を呼称した。確かに名乗ってはいなかったな。
「先に名乗れば、教えてやる。」
不機嫌そうな俺の物言いに、少女は困惑と怯えの色を強めて、声も体も小さくなっていく。人に名前を尋ねたければ、まずは自分から名乗るべきだ。
「し、失礼しました……、わたしはリアです。西方のイルトリスの生まれです。……えっと、それか……らっ、げほっげほっ…………。」
リアが血を吐いた。その血が俺の袖にかかる。それを見たリアの顔が真っ青になった。
「も、申し訳っ、うっ、ぐっ――――!」
「おいっ!」
「ごめんなさっ――――」
俺の怒号に頭を抱えてうずくまるリア。しかし、折れた骨がきしんで、激痛に顔をゆがめる。口からは赤黒い血がタラタラと溢れている。無理に動いたせいで、折れた骨が刺さったようだ。
「邪魔だ。手をどけろ。」
このまま死なれては、俺のくたびれ損ではないか。ガキどもを追い払い、リアをここまで運んだのは俺だ。リアには取引を履行する責任がある。それまでは死んでもらっては困る。
俺は、リアに回復魔法を施す。伊達に独りで冒険者をやっていない。この程度の怪我であれば、十分に治療することは可能。
「うっ、えっ!? ……これは。」
殴られるとでも思っていたのだろう、リアは訳が分からないといった感じで塞がっていく自分の傷を興味深く見ている。傷が完全に塞がるまでに3分もかからなかった。
「うそ……、痛くない。あんなに……、あんなに痛かったのに。」
不思議そうにリアが俺を見る。奴隷が回復魔法による治癒を受ける事はないだろうからな。神聖術に分類される回復魔法は、習得が非常に難しい魔法の一つ。その癖、重宝される魔法なので、習得している者もまた重宝される。俺は面倒なので、ギルドには使える事を教えてはいないが。……っと、考えがそれた。
「ありがとうご――――」
「俺の名は、アルテッサだ。先ほどの話を続けろ。」
リアの謝辞を遮ると、リアは再び表情を暗くして、話をつづけた。
「はい。路地裏で殺されそうになっていたところを、アルテッサ様に救われました。その代わりに、私はアルテッサ様の奴隷となり、対価をお支払いさせていただきます。」
「よし。では―――」
とは言ったものの……、俺は奴隷も金も欲しいとは思ってはいない。正直に言ってリアを助けたのは、ただの酔狂だった。小さな少女が自分を切り札にして、俺に交渉を持ちかけた事に興奮した。だから、助けて拾ってきたのだが、その興奮も若干冷めつつある。
リアを売るためには、俺の奴隷として役所に登録をしなければいけない。そうして自分の所有物としてから、奴隷市場に行って交渉をするところまでやってようやく金になる。そこそこの金にはなるかもしれないが、金に困っていない俺からすれば面倒な事この上ない。
いっそ、このまま解放してしまっても良いが、それは何だか癪に障る。俺は俺がタダ働きをする事を許せない。いろいろな考えがぐるぐると頭を巡って葛藤する。
気づけば、中途半端な状態で黙りこくってしまった俺をリアが不安そうな目で見つめていた。
「あー、そうだな、よし、とりあえず、風呂に入ってこい。2階にある。」
血がべっとりついた肌に服もそうだが、根本的にリアは薄汚い。ソファに寝かせているのも躊躇われる。リアをどうするかは保留にしても良いのだから、気が向くまでは置いておくとしよう。そのためには清潔でなければ困る。
「どうした?」
指示を出したはずだが、リアは困惑の表情を張り付けたまま固まっている。
「あの、すみません、お風呂とはいったい何でしょうか……?」
「……ふむ。」
面倒くさい……、風呂と言うものを知らないのか。まぁ、奴隷であれば、高級な嗜好品である風呂を知らないのも当然なのだろうが、だからと言って面倒くさいという感情が消えるわけでもない。
「……ついてこい。」
ご丁寧に2階の風呂まで連れて行き、使い方を教えた。この一軒家は火の魔石と水の魔石を利用して風呂に入る。水の魔石からは、魔力が尽きるまではこんこんと水があふれ続けるし、火の魔石は魔力が尽きるまでは脈々と炎を上げ続ける。その二つの魔石を魔力制御ができる筒に入れて、出力を調整すれば、筒からちょうど良いお湯が沸きだす。それを浴槽に注げば、快適な風呂の出来上がりだ。
魔石も魔力制御の道具も高価なものなので、これは嗜好品だ。一介の冒険者であれば、川で水浴びってのが日常だろう。
いささか雑な説明を、まくし立てるような早口でリアに聞かせる。リアは真剣な表情で一言一句聞き漏らさないように耳を傾けていた。説明が終わると俺はタオルをリアに押し付けて、退室――――
「あのっ……」
と思ったが、リアに止められた。
「なんだ?」
振り返らず、不機嫌そうな返事を返す。背中越しにリアがビクッとこわ張るのが感じられた。
「いえ、すみません。……なんでもないです。」
「あ、そ。」
だったら、呼び止めるな。と憤慨しながら1階の部屋へと戻った。
それから、数十分か経った頃にリアがいそいそと戻ってくる。それを一瞥すると、リアがさっき何を言おうとしていたのかを察した。
「あ――」
「すみません……。」
そこには泥と血にまみれた服を着たリアがいた。確かに、リアの衣類はそれ以外無いのだから、当然の事だった。服も用意しなければいけないというのか……面倒くさいな。
とりあえず、リアの服を脱がせて、俺のシャツとズボンを着せておいた。サイズは合わないだろうが、汚れた服よりは随分とマシだろう。リアには空き室の一つを与えて、そこで眠るように指示をする。
その夜は、押し殺した泣き声が、かすかに俺の寝室まで聞こえてきた。
静かな場所というロケーションのせいで、良く響いてうるさく思えてしまう。安直な考えで、本当に面倒な拾い物をしてしまったのかもしれないな……。
明日の予定を考えていたら、いつのまにか眠ってしまっていた。
――――――――――――――――――
夜も更けてきたころ、目が覚めた。
寝つきの良い俺としては、珍しいことだ。職業柄、人の気配で目覚める事はあるが……。そういえば別室にはリアがいるのだったか。
もうすすり泣く声は聞こえてこない。
かと言って、寝息が聞こえてくるでもない。親を失い、殺されかけて、再び奴隷になって、その夜に熟睡できるとは、さすがに思えないが、なんだか気になる。
用を足すついでに様子を見てみることにした。
俺が寝ているのは2階、リアにあてがった部屋は3階。
距離をあけたのは、リアの生活音で俺の日常を阻害しない為。
夜の階段は、きしむ音が良く響く。
大きくはあるが、決して新しくはない家。仮住まいだからと我慢しているが、老朽化が気になる部分がいくつもある。俺の持ち家だったら、まず間違いなく手直ししているところだ。
そんな事を考えていたら、リアの部屋の前まで来ていた。
俺の家だ、ノックなど必要ない、遠慮なしに扉を開け放った。
すると、それが合図だったかのように……。
開け放たれたバルコニーの淵から、リアが飛び降りるのが見えた。
「なっ――――!?」
とっさに踏み込んで加速。
馬鹿が! 逃がすものか!!一流の冒険者の力を舐めやがって。
一足でバルコニーまで距離を詰めて、飛ぶ。
そして気づく。
これは――――!?
バルコニーの柵には、俺の衣類がロープのように巻き付けられている。
そのロープ状の先端はリアの首もとにある。
緩んだロープがリアの落下と共に、直線に伸びていく。
これは……自害する気か!
空中でバルコニーの屋根を蹴って、落下するリアに追いつく。
胸元の護身用ナイフで、衣類のロープを切断した。
そこまでは良かったが、着地はままならずリアを掴んだまま芝生の庭に叩き付けられてしまった。
「くっ……そ、いってぇー……」
鈍い痛みが身体を襲う。柔らかな芝生でも3階から落ちるとかなり痛い。
庇ったつもりはなかったが、リアは俺の上に覆いかぶさるようにして、地面との激突は免れたようだ。それがまた腹立たしい。何故、俺がこんな目に合わなければいけないのだ。
「おいっ!!ふざけ―――」
「わああああああああああ――――――!!!」
リアが、大声をあげて泣いた。
しかも、俺の手を振り払うようにして、抵抗してくる。結果的に庇ってやったのに、この仕打ちは腹立たしい。俺の上で暴れるのをやめろ、どけ、邪魔だ!!
言葉はリアの号泣でかき消され、どかそうと手を伸ばすとはじかれる。
細い腕が懸命に俺を拒否してくるのが、本当に腹立たしい。
そんなに嫌か、ふざけやがって、抵抗する腕を強引に両手で抑え付ける。
両手を抑え付けられると、今度は上半身をくねらせて、必死に抵抗してきた。
「くっ、この――――」
リアの両手を強引につかんでおろし、そのままぐっと背中に手をまわして抑え付ける。
これでもう、身動きはとれないはずだ!
完全に身体の自由を奪われたリアは、必死に首を振って最後の抵抗をして見せた。
鬱陶しいが、その様は屈服した証に見えて、悪くはない。
しばらくジタバタと暴れていたリアも諦めたのか、疲れたのか、ただただ泣くだけになった。その様子を見て、俺も力を抜いた。
ふと冷静になって気づく。
この状態は、俺がリアを抱きしめるような形になってしまっている事に……
密着した身体、胸の中で顔をうずめて泣きじゃくるリア。
…………今更どけと言うのは嫌だ。
先ほどの攻防を思えば、負けたような気持になる。それは、愉快ではない。しかし、このまま俺がリアのベッドになっているような状態も愉快ではないが……。リアはさめざめと泣き続け、一向に区切りがつく気配が見えない。
くそ……、厄日だ……。
その後も、ぐるぐると考えを巡らせていたら、そのまま寝てしまっていた。
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