復讐の幼女を拾った日から

ニノ

第1話 復讐の幼女を拾った日

 くそみたいなな世界だ。

 ギルドの受付嬢に、別れの愛想笑いをしたら、そんな言葉が頭をよぎった。


 何か問題があったわけじゃない。いつも通りに魔物の討伐依頼を終えて、報告をして報酬をもらい、適当な世間話に少しだけ付き合って、笑って手を振って別れただけだ。あとは、このままギルドの扉をくぐって外へ出て行くだけ。


 俺の日常であり、その光景はギルドでは当たり前のもの、珍しいものではない。そんな日々の日常が、俺にはくそみたいな世界に思えてしまう。


 煩わしい仕事に、人づきあい。愛想笑いに、見かけだけの気遣い。辟易としながらも、その日常に身を置かなければ生きていけない自分もまたくそみたいだ。ああ、本当にくそみたいな世界だ。いっそ消えてしまえば、この気持ちも一緒に消えてしまえるのだろうか。


 依頼が思ったよりも順調に片付いたせいで、今はちょうど正午。頭上で輝く太陽が鬱陶しくて、路地裏に避難した。昼時には日陰にいるくらいがちょうど良い。一歩影に足を踏み入れると、ひんやりとした闇が太陽の輝きをぬぐった。


 ふと、路地の先を見ると、子供が群れているのが見えた。貧相な子供が5人、いや6人か。5人の子供が群がる中に、頭をかばう様にうずくまる一人の子供が見える。その表情は深々と被った帽子のせいで見えはしないが、遊びではない事はすぐに分かった。子供の世界もなかなかに残酷なものだ。もっとも、俺は虐められた経験などないけれど。


 俺は、暴行を加える5人の子供の背中越しから、その光景をじっと見ていた。殴る蹴る。モンスターでも狩っているんじゃないかと思う程に凄まじい。殴られた拍子に、虐められた子供の帽子が飛んだ。素顔が露になるとともに、子供のとがった耳が姿を現す。人の耳ではない、猫のような獣の耳だ。暴行を受けていたのは亜人の少女だった。


 なるほど、そういうことか。

 亜人は人間から迫害されている。亜人のほとんどは奴隷であり、人間より劣ったものとして認識されている。中には、市民権を得ている裕福な亜人もいるが、名ばかりの事も多い。差別は当然であり、子供の世界においては露骨な迫害が常。


 何にせよ、どうでもいい。

 人間であろうと、亜人であろうと、俺には関わり合いの無い事。世の中は弱肉強食であり、弱いものは淘汰される、それは子供の世界だろうと変わらない。亜人は泣きながら地面に突っ伏して、必死に耐える。苦痛の表情がはっきりとわかる。


 薄目を開ける亜人と、目があった。

 すがる様な瞳で俺を見る。感情のこもった綺麗な瞳。哀れな子供だ、俺が助けないと悟れば、すぐに絶望と恨みの瞳に変わるだろう。加勢はしないが、助けもしない。少し面倒ではあるが、再び表通りに出て、別の裏路地を通るとしよう。


 そう思って、踵を返そうとした時。


「助けて……!!ゴホッゴホッ……」


 少女が俺に手を伸ばし、必死の声を上げた。

 同時に5人の子供たちが、振り返って俺の存在に気づく。関わるつもりはなかったのだが……強引に当事者にされてしまうとは。


 5人と1人は、緊張の面持ちで硬直している。

 俺の出方ひとつで、今後の展開が変わってくる。裏通りは、それまでの静けさと冷たさを、極限まで高めていた。


 おそらく、あの暴行を続ければ、亜人の少女は絶命するだろう。

 ともすれば、少女の命は俺が握っているということになる。これは、よくよく考えてみると面白い状況かもしれない。少女が生きるも死ぬも、俺の気分次第か……不思議な快感を覚える状況だな。


「……さて」


 勿体ぶったいやらしい発言に、子供たちがピクリと肩を震わせる。

 俺が武器を携えた冒険者であるという事が、威圧感を増しているのかもしれない。さすがに子供らがスラム街の貧民であったとしても、抜刀して殺傷するわけにはいかないのだが。


「なぜ、俺がおまえを助けなければならんのだ?」


「……」


 少女の顔が暗転、虐めていた5人は安堵の表情を見せた。

 だが、これでは面白くはない。世の常でしかない。そんなつまらない結末では、関わらせられた意味がない。


「俺には、お前が亜人である事など、どうでも良い。俺は無益な事はしない。冒険者なのでな。助けて欲しいのなら代価を払え。」


 5人は既に勝ち誇ったようにニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべている。

 対して、少女の瞳はどこまでも暗く濁っていく、深海の底、深淵に迫る勢いで。


 どちらも反吐が出る。人間の醜悪さに羞恥も持たないどころか、集団で覆い隠し、意気揚々と弱者をいたぶるゴミ。一方、無償の施しを強制するがのごとき瞳で訴え、勝手に絶望し、消沈するゴミ。


「……ではな。」


 少女が沈黙を破らないことを返答とみなし、当初の予定通りに踵を返す。

 5人の子供も、少女へと向き直り、何ら変わりない日常が流れ始めようとした。


「待って!」


 俺は、足を止めない。その言葉は無意味だ。

 切羽詰まった人間が、どうしようもなく言う言葉。何のあてもない無益な言葉。


「なんでも……するから……。なんでも……。」


 つまらない。予想を覆さない少女の言葉。

 苛立ちが募って、思わず振り返って言葉を返す。


「なんでもするとは何だ? お前如きに、何ができるというのだ? お前はどうせどこかの奴隷か、逃げ出した犯罪者だろうに。そんな者が俺にいったい何をできるというんだ?」


 他人の奴隷や、逃亡犯などと一緒にいるだけでも問題がある。俺にとっては百害あって一利なしだ。


「わたしは、カティスのちゃんとした市民……です。」


「で?」


「わたしの……わたしの所有権は、わたしにあります。だから、助けてくれたら、それを……譲ります。」


 少女は最初に長い沈黙をはさみ、最後に一瞬ためらい、吐き出すかのように言葉を紡いだ。


「……ふむ。」


「わたしを売れば……いくらかのお礼にはなると思います。わたしは……わたしは女ですから……。その…………。」


 少女から、先ほどまでの肉体的な苦痛による涙ではない、別の辛辣な涙が瞳から溢れていた。


 俺は少女に興味を持ち始めていた。

 彼女の言っていることが本当であれば、確かに魅力的な提案である。亜人の少女は高く売れる。ちょっと街の悪ガキどもから救ってやるくらい訳ないこと、容易い仕事で高額報酬。

 まさか、それを自分から持ち出してくるとは……。


 見た目から察するに少女はまだ12歳と言ったところか。自分が女である事を自覚し、最後の言葉を濁すあたり、自分の提案の末路を知っているのだろう。売られた自分が、どういった扱いをされるかは、買い手次第ではあるが、幸せなものではないだろう。それでも、今日ここで殺されるよりはマシという選択。そして、実行。少女の提案に気圧されたのか、5人の子供は黙ったまま。


「なるほど。」


 提案としては悪くない。俺が少女を助ける道理にかなう。

 だが、全ての前提に重要な一つの事柄がある。


 それは、少女が本当に自由市民であるかどうかだ。

 これが実は奴隷であったり、逃亡犯であったりした場合、俺がとばっちりを受ける。他人の奴隷であれば窃盗罪に問われるし、逃亡犯であれば犯罪幇助に問われてしまう。


 現状、俺は少女が自由市民であるとは思っていない。

 何故ならば、自由市民であるためには条件が必要となる。少女が特別な能力を有しているようには見えないし、多額の税を納められるようには見えない。爵位を持っているとは思えないし、有力者の親類であるとも思えない。


 俺の態度が軟化したことに、複雑な表情を見せる少女。

 一縷の希望にすがるように、小さな輝きだけは瞳に灯したままだ。


「信じられんな。」


「……え?」


「お前の様な子供が一人で自由市民だなどと、誰が信じるというのか。自由市民であるというのならば、親もいるのだろう? 何故いない、どうしてお前は独りなのだ?」


「そ、それは……」


 中々面白い提案だったが、ここまでだな。

 言葉に詰まるという事はやはり、嘘だったのだろう。少女はうつむいたまま震えている。


「残念だったな。相手が違えば騙せたかもしれん。」


「待って、待ってください!」


 俺の言葉に、少女は慌てて、ポケットを探る。中から一枚の羊皮紙を取り出した。


「父と母は先刻死にました……。カティス西部で奴隷として働かされている時に、流行り病で……。」


 震える声を絞り出すように、少女は話を続ける。


「先に父が亡くなりました。母も病の進行著しく……余命を悟った母は、蓄えた金で私を買い戻して、私は自由市民となりました。そうして、手続きが終わったのを見届けるようにして、母も逝きました……。」


「で、その羊皮紙が証書か?」


「はい、私の権利書であり、自由市民の証書です。」


 少女は新しくも泥にまみれた羊皮紙を広げて見せた。距離があって詳細は見えないが、羊皮紙の作りからして本物だろう。せめて娘だけでも、自由の身にしてやろうという最後の親の願いと言うやつか。


 こんな子供、しかも亜人の子供を、一人きりで自由市民にしたとして、末路など知れているというのに。愚かな親だな……。いっそ、奴隷のままであればもう少し生き永らえる事も出来ただろうに。


 手札の全てをさらした少女は、祈るように目を伏して、唇をかみしめていた。

 両肩は小刻みに震えており、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうな程。何とも心許ない姿ではあるが、これだけの提案を俺にして見せたのは面白い。くそみたいな世界だが、この少女はちょっとした暇つぶしくらいにはなるかもしれない。


「良いだろう、依頼を受けてやる。」


「……あ、ありがとうござ……い……ま…………」


 糸が切れたかのように、少女はその場に崩れ落ちて気を失った。


「さて、聞いての通りだ。異論は認めない。それはもらい受けるぞ。」


 子供たちの返事も待つことなく、おれは子供たちを横目に少女のところまで歩き、抱えて家路についた。当然ではあるが、子供たちからの抵抗は一切なかった。


 少しばかり早足になる。

 さすがに、この姿はあまり人目に晒したいものではない。


 退屈な日常に舞い降りた非日常に胸を躍らせながら、家路を急ぐのだった。

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