3枚目:祈りを捧げる者

しゃらん、と音が鳴る。


同時に衣擦きぬずれと、床を蹴りあげる音。


円状に並んだ視線に囲まれる中央、その音の主は軽やかに跳ねて回る。




真っ黒な衣装の彼女の、瞳は、見えない。




 王都お抱えの踊り子が表れたのはつい最近のことだ。その姿は年に一度の祭でしか見ることは叶わない。見られるのは祭の終盤、締めの時だ。


 祭が行われる広場は円状の造りになっていて、中央に大きな舞台が置かれて様々な見世物が披露される。その周囲は人々が好きに踊り歌い、更にその広場を囲むように出店が数多く並ぶ。そのほとんどが軽食を売る店で、参加しに来た人々がそこで腹を膨らます。時々光り物の店があると、そこには恋人たちがやって来て記念にと腕飾りや首飾りを購入していく。


 朝から開催される祭は時間が遅くなるごとに人の量が増し、日が落ちる頃には連れがいる場合は手を繋いでいなければすぐにはぐれてしまう程にまで集う。中央の台には四つ角に松明が灯され、軽快な音楽が鳴り響き人々の高揚を誘う。時折どこかで些細ささいな喧嘩が起こることもあるがそれすらも娯楽の一つとなってしまうのだ。やれだのそこだだのと野次馬の声が飛び、殴り合いの末に誰かが二人分の酒杯を手に仲裁に入ると、そこで騒動はお開き。誰彼関係なく酒杯をぶつけて語り合う。不可解な問題があったとしてもそこで全ては良かったことになってしまい、あとは周囲の浮かれた喧騒けんそうに紛れ込んでいくだけである。そういうところはこの祭での良いと言えるところだろう。


 この時期の月が天辺に上る頃、この都を治める王とその一族が直々に挨拶をしに現れる。もちろんこの頃には大人たちは酒が入り、大人しくなんて聞いてくれやしない。形式だけの挨拶を淡々と終えた後は王も自ら酒を手に群衆へ混ざる。無礼も何もなく共に騒ぐのだ。


 しかし、この騒ぎがたったひと時、静まる瞬間がある。


 それまで心浮き立つ音楽を奏で続けていた楽隊が、急に終わりを締めくくる。そして彼らは地べたに降りると台を背にしてぐるりと囲むようにその場に座り込む。それを見た群衆が、理由を知らない者はなんだなんだと、知る者は遂にかと思い思いに台が見える場所を陣取っていく。


――――しゃらん、


音が響き、その方を見ると薄布を目深に被り全身を隠した小柄な人物が台の方へと歩みを進めている。鳴るのは足首に着いた輪飾りの鈴で、然程大きくないはずのその音がやけに大きく響くのだ。台の中央に立つと、楽隊が一小節分だけ音を奏でる。たっぷりの間が取られた後、舞台上の人物が被っている布を一気に放り上げた。松明の明かりに照らされ立っているのは、真っ黒な衣装に身を包んだ女の踊り子。その顔には、真っ黒な目隠し。髪には此の世の物とは思えないほど毒々しい大輪の赤い花。それは、異様、の一言に尽きた。


しゃら、しゃらり


 足を踏み出し、鈴の音色のみが響く広場の中央で彼女は舞う。人々は老若男女問わず彼女に釘付けだった。視界を遮断しているにも関わらず舞台から落ちそうになる事なく、ぐらつきすらない。およそ限界を超越したような動きは畏怖いふの念すら抱く程である。誰も言葉を発さない。発せないのだ。




 彼女について、なぜ目隠しをしているのかは誰も、少なくとも一般市民の知るところではない。普段はどうしているのか、あの目隠しの下はどうなっているのか、その議論はいつも耐えることはない。もしやどこぞのやんごとない身分の者なのではという話や、反対に実は目を潰された罪人なのではないかという噂が頻繁に入れ替わる。誰だって噂話はどこかで楽しいものなのだ。どこまでも尾ひれがつき、果てにはまさか神なのではという意見すら出たが、それは意外にもすぐに撤回された。あんなに間近に出て来はしないだろうというのが理由だった。妖精では、というのはしばらく噂に含まれていたが。






 この都には大きな神殿がある。表の祭壇には一般の人々もやって来て捧げものを置いていくのだが、その奥には入ることをきつく禁じられている。神聖な場所を穢してはいけないという理由で普段出入りできるのは巫たちのみである。しかし、内部には彼らすら入ることが禁じられた場所がある。入ることが許されているのはたった一人、ここの最高権力者である大巫のみだった。


 祭の当日、大巫が奥の扉を抜ける。一本の長い廊下が続き、やがて突き当りへたどり着くとその大きな扉を開いた。その中は、贅沢とは言えないものの生活には困らない設備がすべて整えられている部屋だった。奥に据えられた天蓋付きの一人で寝るには聊か大きすぎるベッドのカーテンを彼がそっと引くと、そこには一人のやや幼い顔をした少女が眠っていた。短く無造作に切られて整えられた黒髪が流れ、色の薄い肌が僅かに入り込んだ日の光を反射する。大巫が軽くゆすると、その目が眩し気に開かれる。そこから覗いたのは、血と見まごう程濃い赤。


「姫、時間でございます」


言葉にならない声を上げつつ彼女は起き上がった。伸びをしてベッドを降りると、大巫が衣装を持ってきた。それはあの黒い衣装。少女は礼を言って受け取ると、手早くそれを身につける。他の装飾品もつけ終えて椅子に座ると、大巫が一言断って黒い目隠しをつけさせた。花飾りもつけて、大巫は少女の前で膝をつく。伸ばされた手が目隠しをなぞった。


「おいたわしや…きつくはありませんか」


「大丈夫です…仕方がありません、”悪魔の目”ですから。…さあ、いきましょう」


そういった少女は、その状態でも普通に見えるかのように淀みなく歩き、そのあとを大巫がついて部屋を出ていった。

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