9.恐慌

「いったい何が起こった?」

 塀の上に登っていたダニーがいち早く声を上げる。

「パレードの中心で子供が燃えてる!」

「なんだと!?何か引火でもしたのか?」

 ハンスは思うより早く足が駆けだす。

「ハンス!!鎮火だ!みんなに呼び掛けるんだ!ハンス!!!」

 ダニーがハンスを呼び戻した。

「でもうちの子たちが!!!」

「わかっている。心配なのはお前だけじゃないさ」

 ダニーは焦りを抑えながらも、優しくハンスに微笑みかけ、肩に手を乗せた。

 ダニーだって子供たちが心配であろうに。ハンスは自分の気持ちを反省した。

「すまなかった。皆に呼び掛けよう」

「ああ」


「おおおおおい!!みんな!水桶だ!!!桶に水を入れて持ってきてくれ!!」

 二人の呼びかけで、徐々に事態に気が付いた村人たちが家から水の入った桶を持って集まり、一斉に一列の陣形を取って川から汲み取った水桶を火元まで運ぶ導線が敷かれた。

 その時だった。


 また誰かが木の棒で地面を打ち付ける音がすると、

 一気に炎が燃え上がり、渦を巻き始めた。

 その光景をただ茫然と見つめる事しかできない村人たち。


 ハンスは渦の元まで駆ける。

「ああ…一体何が起こっているんだ…」

 炎はあまりにも高温で、近づく事さえできない。

 だが、自分の子供たちがこの中にいると思うと、いてもたってもいられなかった。

「ちくしょう!!!!!」

 炎の渦の中からは、子供たちのあつい、あつい、という悲鳴が咳と共に聞こえてくる。喉が焼けてしまっている子もいるようだ。

「息をしてはだめだ!!!身を低くして地面に伏せなさい!!!」

 どうにか助けてやれないだろうか。

 すると、ハンスの後方から一人の男が火に飛び込んだ。

 ダニーである。


 水をたらふく浴びて、ダニーは決死の覚悟を決めていた。

「マリオ!ニーナ!グスタフ!ヴェルナー!」

 知っている子供たちの名前を必死に叫んだ。

 炎の勢いはすさまじく、一瞬で衣服や髪が焼けた。

 かぶった水は一瞬で蒸発し、すでに皮膚の感覚がなかった。

 誰か一人でも連れ出せたら。そう思って顔を覆った腕の中からあたりを見回した。

 しかし、ダニーの目に映ったのは、炎の中で焼けただれ、もう動くことができなくなった子供たちの姿だった。

「そんな…」


 数年前に妻を病で失ってからというもの、子供たちがダニーの太陽だった。

 その子供たちが、目の前で力尽きようとしている。

 あまりの高温に、ダニーもすぐに立つ事ができなくなった。

 薄れゆく意識の中、少女の声が聞こえてきた。


「みんな一緒に楽園に行くのよ」


 木の棒で地面をたたく音がした途端、炎は一気に中央広場全体を飲み込んだ。

「あつい!助けてくれ!!ああああ!!」

 司祭、シスター、農夫にその妻。そして子供たち。パレードを見るために中央広場に集まっていた村人たちのほとんどは、燃える渦になす術もなく飲み込まれていった。


 広場の中心部、一番炎が燃え盛るところに、少女と黒猫が立ち、焼けていく村を眺めている。なぜか少女と猫の周りだけ、何事もなかったように、足元は円の形に綺麗なままの地面が見えている。


 徐々に村人たちの叫び声は、悲鳴からひゅうひゅうとした苦しそうな息に変わり、やがて皆、黒い塊になっていった。

「人は皆、自分が間違ったことをしているなんて思ってなんかいないのよ」

 村を見ながら、少女が他人事のようにつぶやく。


 奇跡的に井戸の中に逃げ込んでいたハンスが這い上がってきた。

 少女のつぶやきを聞いていたハンスが泣きながら少女に問いただす。

「お、おまえが村を焼いたのか?

 俺たちが、子供たちが、ダニーが何をしたっていうんだよおおおおおおお!!!

 なああああああああああ!!!!?」


 ダニーは本当に根っからのいい奴だった。あいつは子供のころからみんなに親切だった。俺はあいつの嫁さんも子供のころから知ってる。あいつは嫁さんのことがずっと好きだったんだ。


「誰かを愛する想いが深くなればなるほど、人は寛容さを失っていくのよ」

 またしても他人事のように少女が答える。


「何を言っているんだ!?家族を守るのは当然のことだろう。

 何が悪い…あああああああああああ」

 言い終わらないうちに、少女は手に持っている杖を地面に打ち付けた。

 その瞬間ハンスは炎に包まれたかと思うと、とろけながら黒い塊になった。


 ぽつ、ぽつと、雨が降り始めた。


「罪もないあの人を火にかけた時、あなた達は何を思っていたの?」


 そうつぶやくと、真っ黒に焼け焦げた村を見つめ、少女と黒猫はゆっくり去って行った。

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