1.雷鳴

真っ暗な森の中、息をするのが苦しくなるほどの激しい嵐だった。

雨粒が地面を殴りつけ、腹の底に響くような雷鳴が鳴る。

「イグニス!イグニス!」

俺の名前を、少女のシエロが必死に呼び続けている。



フロイデの村で俺は随分と嫌われていて、事あるごとに目のかたきにされるんだ。今日なんて面白半分に斧で頭を割られるところだった。

さすがに逃げた。でも、あまりに必死に逃げたから、気が付いたころには森深くに入っていたんだ。


猫っていうのは水に弱いんだ。俺は毛足が長いから、この嵐は特に体にこたえた。いつもなら俊敏に動き回れるこの体も、思うように動かない。

シエロが心配しているのだけれど、今日は安心させてやれそうもなかった。


肩で息をしながら、シエロは片足を引きずりながら洞穴の中に入り、近くの岩に腰を掛けた。

不安な顔で、腕の中の黒猫に目を向けてつぶやいた。

「このままじゃイグニスが死んじゃう…」

ガタガタ震えながら、黒猫イグニスを抱きしめる。


黒猫イグニスは、元気なく少女の胸の中でうずくまっている。

「――!」

シエロは振り返った。雷鳴と雨の音に交じり、入り口の方で人の声が聞こえた気がした。意識を耳に集中させる。


「―れか―るのかい?」


人が居る!イグニスを助けてもらえるかもしれないという期待と、『なぜこんな深い森の中に人が居るのだろうか?』という疑問が交差する。

返事をするべきだろうか。


「どうしたんだい?迷ったのかい?」


声の主は洞窟の中に入ってきたようだ。

不意に学校で耳にしたうわさ話が頭をかすめる。


『魔女は小さい子供をさらって食べるのよ』


一瞬で鼓動が速くなるのを感じた。どくん、どくん、と、心音が耳に響く。


この声の主は噂に聞く恐ろしい魔女なのだろうか。

荒くなる息を必死で潜め、こちらに気が付かないように祈る。


その時、雷鳴が響き、岩陰から少しだけ姿が見えた。

だが…洞窟の前に立っていたのは、恐ろしいというにはあまりに穏やかな印象の老婆だった。

身長は自分と同じくらいだろうか。曲がった腰と、優しそうな声。

どこにでもいそうな老婆である。

先のとがった帽子をかぶって、杖を持っているが、それがなければ、恐らく魔女かどうか疑う事すらしないほどに、その老婆は、ただの老婆だった。

うろたえていると、すぐ近くから声がした。

「その子、だいぶ衰弱してるわ。それに、あなたも足をけがしたのね。

近くに私の家があるわ。手当させてちょうだい」


シエロは、自分がかくれんぼには向いていない事を悟った。

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