第53話 別荘

 真人さんが小走りでこちらに向かってくる。


「逃げてはダメ! つけていたことがバレるし、逆にアヤシマレル!」


「正体がバレちゃいますよ!」


「今の漆原サンなら、バレない!」


「ちょっと! その発言失礼すぎない?」


 怒りのボルテージが高くなりつつある私。

 落ち葉を踏む足音は近くなる。

 ジュディさんは正体がバレないようになのか、私を恐れているのか、縮こまって体育座りになった膝に顔を押し込む。

 

「もう! しっかりして!」


 ジュディさんの丸まった背中に、半ば乱暴に平手打ちする。

 そうこうしているうちに、真人さんが私達の前に到着してしまう。


「君達、ケンカ中? ここは整備されていない区域だから、野生の動物達もよく出没するんだ。ところで、どうしてこんなところに?」


 薄手のダウンジャケットにトレッキングシューズを履いた真人さんは、私達の正体には気が付いていないものの、不思議そうに見つめてくる。


「今度のデートはたくさん動くって彼が言うから、何かスポーツでもするのかと思ってジャージで来たらまさかの山登りでした。私が帰ろうって言うのに、彼は『おいしいボタン鍋を君に食べさせてあげたい』って言って。イノシシを追いかけてこんなところに来てしまったんです」


 まさか、こんなにギャグの効いた嘘がとっさにでるなんて。

 真人さんは声をあげて笑う。


「ずいぶんとワイルドな彼氏さんだね。ここから先はもっと足場も悪くなるから、もう帰った方がいいんじゃないかな?」


「そうですよね。ところで、お兄さんはどうしてこんなところに?」


 せっかく接触できたチャンスだ。

 逃すわけにはいかない。


「大好きな彼女と別荘で過ごすためだよ」


 大好きな彼女?

 新しい恋人ができたのだろうか。


「オニーサン、ガールフレンド? キュート?」


 普段より5オクターブ高めの声で、ますます片言の日本語になるジュディさん。

 決して、笑ってはいけない。

 

「うん、とても綺麗な人。しかも、すっごく優しい。良かったら会ってみる?」


 爽やかな笑みを浮かべる真人さん。 

 ジュディさんと私は、互いをちらりと見て頷く。


********************


 山のなかをしばらく進むと、おとぎ話に登場しそうな三角屋根のウッディなコテージが現れる、中のリビングに通される。

 室内のインテリアは最小限だが、埃っぽさもなく、定期的に管理されているのがよく分かる。


「別荘なんだ。都会での慌ただしい日常を忘れてゆっくりしたいときに来るんだよね。、お客様が来たから今日は賑やかになるね」


 真人さんは奥の部屋へと向かって声を張り上げる。

 ジュディさんと私は、薄気味悪そうに彼を凝視する。

 

「実は彼女、病気で。長いこと眠ったままなんだ」


「オゥ! 皆でウェイウェイすれば元気100%!」


 軽率な発言をするテーブルの下に隠れたジュディさんの膝を軽く叩く。


「そうかもね。じゃあ、会わせてあげる」


 真人さんについていき、奥の部屋へと入る。

 日のあまり当たらない部屋で、テーブルの上には火の灯されたアロマキャンドル。

 むせかえるような薔薇のしつこい香り。

 ベッド上には、毛布をかけられて眠る女性の姿。

 長い睫毛まつげに、陶器の様に白い肌、うっすらと紅をひいた唇。

 しかし、彼女は瞳すらぴくりとも動かない。

 

 おそらく矢切さんの遺体だ。

 彼女が無くなってから数日が経過するのにも関わらず、肌がとてもきれいで、瞳を閉じればただ眠っているみたい。

 そういえば、棺コーディネート華菱で仕事をするときに、遺体を生きているみたいに美しく保存するエンバーミングという技術があると麗が話していたっけ。

 

 真人さんは彼女のまぶたに手を伸ばし、長い人差し指ですっと撫でる。

 生気のない青い瞳が、ぎょろりと現れる。


「僕の彼女、綺麗でしょう。海底に引きずり込まれそうなくらい美しい瞳が特にね」


 ベッドに横たわる彼女に顔を近付け、頬に口付けをする真人さん。


「ヒッ」


 ジュディさんはひどくショックだったのか、小さな悲鳴をあげるのと同時にその場に崩れ落ちる。

 気絶をしたのだろう。

 フードが取れて黒い髪が剥き出しになり、サングラスは外れて地面へと落ちる。

 


 思わず叫ぶ私。

 完全に、やらかした。


「ジュディって、僕のルームメイトのジュディじゃないか。偶然だね。ジュディが起きたらダブルデートしようか」


 にこにこと楽しそうにジュディさんに毛布をかける真人さん。

 普通こういうときって、慌てたり心配したりするのが先ではないのか。


 そもそも彼は、別人を元婚約者の顔に整形させてその遺体を婚約者だと言い聞かせて本気で接する、どこまでもネジを掛け違えている危険な人間。


 そんな彼と、私は実質2人きりだなんて。


 待機している白亜さんに、助けを求めなきゃ。


「お手洗い、使わせてください。お腹痛くて……」


「お大事に。そっちだよ」


 真人さんの指差す方へと向かい、さり気なく途中でジュディさんのサングラスを拾う。

 殺風景なトイレの個室でスマホを確認するも、見当たらない。


 今朝はもともとコンビニに行くだけだったから、小銭入れしか持ってなかった。


 焦る心を抑えながら、サングラスにそっとささやく。


「ダニエル、幽霊保護課の白亜さんに繋いで」

 

 返ってきた言葉に、一気に青ざめる。


「ケンガイデス」


 


 

 

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