第51話 着信音
麗が矢切さんとオーストラリアへと旅立った後、今後の行動について話し合う。
結果、ジュディさんがルームメイトの行動を見張り、行動パターンをつかみ、チャンスがあれば協力して矢切さんの遺体を隠しているところを突き詰めることとなった。
幽霊保護課としては遺体を発見して死亡届を提出。矢切さんも成仏し、この世とあの世の肉体と魂の数に誤差がでないようにするのが最大の目的だ。
当然、真人さんには自首してもらうことになる。
目的と今後の予定を確認したところで、今日の業務はお開きとなる。
灰色の空から、冷たい雨。
棺コーディネート華菱に寄る。
扉を開けようとすると、背中をぽんと叩かれる。
「ごきげんよう」
田中様だ。
ベージュのレインコートに、黒のレースがたっぷりと着いた傘を差している。
「田中様、お久しぶりです」
「今日はね、来る予定もなかったけれども久しぶりにこの近くに通ったからちょっと寄ってみたのよ」
にっこりと笑顔になる田中様を、ロビーに案内し、温かいローズヒップティーに薔薇の蕾を浮かべ、薔薇模様の描かれたティーカップに注いでお出しする。
「今日は華菱が不在です」
「まぁ。お出かけ?」
「はい、仕事でオーストラリアへ」
田中様の目に曇りがかかる。
「オーストラリアって、ルカさんが亡くなったところじゃないの。そこにひとりで行かれたの?」
「ええ」
ルカさんは生きていた。
事実を田中様に言うのは、守秘義務に反しているので絶対に口にしてはいけない。
「私、心配よ。オーストラリアにはどうしてもルカさんのあのイメージがあってね。二人とも、娘や息子みたいに思っていたから」
手で顔を覆う田中様。
そういえば、田中様には旦那様がいたとは聞いていたが、子どもの話は聞いたことがない。
お客様の身内の事情に対して聞くのは失礼だし、もし子どもがいないとしたら麗達のことを身近な存在として、息子みたいに感じるのは当然なのかもしれない。
「大丈夫ですよ」
「ありがとう、葵さん。心配し過ぎかしら」
口元に手を添えて上品そうに笑う田中様。
彼女のスマホの着信音が響く。
ピアノのおだやかなメロディーのクラシックだ。
「お迎えも来たし、そろそろ帰ろうかしら。今日はありがとう」
「お気をつけてお帰りください」
田中様の小柄ながらにも、しゅっと背筋の通った背中が、いつもよりも元気がなさそうに見えた。
誰もいない棺コーディネート華菱のロビー。
田中様の座っていたソファに座ると、田中様の温もりが残っている。
しっかりしなければいけないのに、誰かのあたたかさを求める私がいた。
********************
深夜0時を過ぎた頃、家に戻って扉を開こうとすると内側から開く。
「あ、葵様……」
いつもは「お帰りなさいマッスル、葵様」と言って、何も持たずにドアを手で支えてくれる権田原さん。
今日は両手にスーツケースを抱えており、片腕の筋肉でドアを支えてくれた。
背中に登山でもするみたいな大きなリュックを背負っているが、立派な上半身の筋肉のせいで米粒がちょこんと乗っている様に見える。
「権田原さんこそ、こんなに大荷物を抱えてどこにいくの?」
「じ、実は……」
権田原さんの太い眉が困ったように歪み、目からは涙が滝のように溢れてくる。
「今日付けで退職させて頂きマッスル……」
「え、いきなりどうして?!」
「オーストラリアで麗様と葵様、僕のハニーと僕で鉢合わせになってしまったあの日に、どんな過去があってもハニーと生きて行きたいと思い、僕はハニーにプ、プ、プロテインしてもいいですかと伝えたでございマッスル。そうしたら、ハニーから『そんな気持ちじゃないの』と悲しそうに言われてしまったでございマッスル」
権田原さん、ひょっとしてプロポーズとプロテインを言い間違えたのだろうか?
「ハニーと麗様はもとはと言えばご家族でしたので、もしプロテインが成功したとしても麗様のもとで働き続けるなんて出来かねマッスル! しかもその後、ハニーからはいくら連絡してもお返事が無く……僕はこのまま消えてしまいたい。葵様、僕の無礼をお許しください……」
権田原さんは嗚咽混じりの消えそうな声で話す。
丸まった背中に手をあてようとしたところ、彼のスマホの着信音が鳴る。
1990年代に流行った女性歌手のポップなラブソングだ。
狩りでもするのかという勢いで、権田原さんは素早くスマホを取り出して確認すると、彼は希望に満ちた顔へと変化する。
「葵様、ではここで失礼するでございマッスル!」
権田原さんは大きなスーツケースを両手に軽々と抱えて全力疾走し、夜の闇へと消えた。
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