第44話 キャンプ生活(ルカ回想編)
目を覚ますと、ナイロン生地に針金が通してある天井。
私はテントの中で、毛布をかけられ、脇には小さなランプが置いてある。
微かな明かりより、着ていた白いレース生地のワンピースが海水と土や草木のくずがついて汚れでしまったのが分かる。
毛布を剥ぎ取り、テントの外に出る。
辺りはすっかりと暗くなっていた。
砂浜に設置されたテントの隣で、筋肉質な男が必死で寝袋に自らの身体を押し込もうとしていたが、盛り上がる筋肉が邪魔をして寝袋のチャックが上がらず、苦戦している。
男は私の視線に気が付き、恥ずかしそうにする。
「起きましたか。大丈夫ですか?」
見た目通りの野太い声だ。
とっさに日本語が出てしまうところから、彼はおそらく日本人なのだろう。
私はゆっくりと頷く。
「あなたが、助けてくれたのですか?」
「はい。ダイビングをしていたら、沈んでいく船と人の姿が見えましたので。ご無事でよかったです」
筋肉質な男は、くしゃっとした笑顔になる。
「ご家族達もきっと心配していたことでしょう。すぐに連絡したほうが良いですね。スマホも沈んでしまったと思いますし、僕のを使ってご家族にご連絡してはいかがですか?」
助けられたので、日本に帰ることになる。
日本に帰ったら、また偽りの気持ちで過ごす日々が始まる。
本当の気持ちで行動したら、家族は私を疎ましく思うだろう。
帰りたくない。
北里ルカに戻りたくない。
楽しい気持ちのまま、沈んでしまえばよかった。
どうして私を助けてしまったの。
余計なこと、しないでほしい。
生き延びた自分の生き様は、
助けてくれた目の前の男も、憎い。
本来だったら助けてくれて、安全な場所に避難させてくれてありがとうとお礼を言うべきだろう。
そうは思えないこと、逆に恨んでしまう自分が一番憎くて醜くて、自然と涙が溢れてくる。
「今はまだ落ち着かないのに、急かしてしまってごめんなさい。落ち着くまで、テントでゆっくりしてて良いですから。僕は夜も外の寝袋で寝ますので」
オロオロと彼はうろたえた後、思い出したように付け加える。
「ちなみに、僕は権田原 源蔵と言います」
そう言って、彼は寝袋へまた入ろうと奮闘し始めた。
私がテントに戻ると、ビリッという布の破れる音がした。
「大丈夫ですか、権田原さん」
「ははは、寝袋が破れてしまいました」
彼のたくましすぎる上半身に、寝袋が耐えられなかったのだろう。
しゅんと落ち込む権田原さんと、破れた寝袋の組み合わせが失礼だが、どこか面白くて私は思わず声をあげて笑ってしまう。
「ところで、お腹空いていませんか? 何も食べていないですものね。ちょっと待っていてくださいね」
権田原さんは網を手に取り、凄まじい速さで砂浜を駆け、海中へとダイブする。
数分も経たないうちに、網に数匹の魚を入れて大切そうに抱えて戻ってくる。
手早く串にさした魚に塩をふり、火をおこして魚を焼く。
魚に振った塩はハーブソルトというところが似合わなくて、またもや笑ってしまう。
その間、湯を沸かしてティーパックの紅茶を淹れ、ビスケットを皿に乗せたり、林檎を果物ナイフでうさぎにカットしたりしている。
手際の良さにあっけにとられているうちに、魚が焼きあがる。
「好き嫌いや食べたいものが分からないので、お魚、果物、お菓子で用意しました。お魚は臭みをとって食べやすくするためにハーブソルトで仕上げました。すぐに用意できるのがこれだけなのですが……」
「ありがとうございます、頂きます」
焼き魚をかじる。
調味料をふんだんに使った料理とは違う、優しい自然の味がする。
冷えていた身体と心が、徐々にあたたかくなる感覚。
こんな経験は初めてだった。
「ところで、権田原さんはどうしてここにいるのですか?」
「僕は日本でサラリーマンをしていましたが、パソコンと窮屈なスーツに適応できなくてですね。ある程度お金も貯まったので、思い切って海外でしばらくキャンプ生活することにしたのですよ」
「権田原さんは今度もしお仕事するとしたら、執事さんとかやってみたらどうです?」
「執事さん? 家事が好きだし、パソコン使わなくていいし、何より主さんに喜んでもらえそう。良いですね」
権田原さんが彼自身の話をし、私にあれこれ聞かないのは、彼の優しさからだろう。
名前すらも、彼は私に尋ねないのがありがたい。
悪い人ではないと分かったので、私は彼と数日共に過ごした。
彼との生活は楽しいけれども、ずっとこうしている訳にはいかないのだろうというのは、分かっていた。
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