第38話 ウェディングドレス

 麗を帰宅させたのは良いものの、彼は帰ってからも何をするにも上の空。

 せっかく権田原さんに麗の好きな真鯛まだいのポワレをディナーに出してもらったのに、ほとんど口にしない。

 鏡を見て自分をひたすら誉めるような発言もないし、私に写真を撮ってほしいと懇願こんがんもしない。

 権田原さんがトレーニングに誘っても、マッサージをすると言っても、悲しげに首を振っている。

 完全に生気が抜けている。


「麗様、心配でございマッスル。葵様は何かご存知で?」

「さ、さぁ……」


 権田原さんは花瓶に飾る花をなるべく明るい彩りにしたり、温めたハーブティーを注いだりと、自室に引きこもる麗のために尽くしている。

 まさか権田原さんに、成仏できない幽霊の話をする訳にはいかない。

 麗の部屋をノックして入ると、彼はベッドのなかに毛布を被って縮こまっている。

 

「麗」

「何です?」


 籠もった声が、ベッドの上にこんもりと盛り上がった毛布より聞こえるので、毛布をつまみ上げる。

 胸元のがっつりと開いたサテン生地のパジャマに身を包んだ麗の姿が露わになる。

 普段なら、「僕のセクシーショットを目に焼き付けられるなんてラッキーですね」なんて言いそうだが、虚ろな目で私を見つめるのみだった。


「空気読めないのは分かってるけど、白亜さんからの伝言していい?」


 麗は無言で頷くので、なるべく声のトーンを上げて話す。


「明日から、オーストラリア旅行……じゃなくて出張だって。ジュディさんも今日からオーストラリアに行ってるから、ジュディ家にもお邪魔するよ。彼、家出した家族にきちんとお話する決心ついたんだってさ」


 麗は一瞬だけ瞳を見開き、すぐに目を細め、整った唇から振り絞るようにして声を漏らす。


「姉が亡くなったのはオーストラリア付近なのですよ。プライベートでクルージングしていた船が原因不明の沈没でしてね」


 私達の間にどんよりとした空気が流れる。

 このタイミングでオーストラリア旅行の提案は地雷だった。

 そもそも、そんな話は聞いていなかった。


「ご、ごめん。知らなくて。無神経だったね」 


 冷や汗をかきそうなくらい慌てる私を見て、逆に麗は冷静になったみたいで、少しだけ口元に笑みを浮かべる。


「いいんですよ。それより、ちょっと付き合って頂けます?」


 麗はガウンを羽織り、揃えてあったスリッパを履く。

 クローゼットからトレンチコートを出し、私に羽織らせてから玄関に向かって歩き出す。


 辿り着いたのは、棺コーディネートだ。

 鍵を開け、女性用衣装収納部屋へ入る。

 蒔絵師の私にとっては足を踏み入れることのない部屋で、真新しい気持ちだ。

 硝子のケースに飾られているウェディングドレスの前で足を止める。 

 胸元に小花と葉の刺繍が施されたプリンセスラインのドレスは、ウェストからスカートにかけてふんわりと膨らみ、所々に白薔薇のモチーフが装飾されていた。 


「綺麗」


 無意識に、そう呟いていた。

 

「これは、姉のために僕がデザインしたドレスなんですよ」

「麗が?」

「はい。結婚式当日に着るのではなくて、亡くなった後にデザインしたものですけどね」


 麗は、ドレスのすそ辺りのレース部分に視線を向けて話す。

 

「麗、やっぱり貴方、すごいね。こんなに素敵なドレスを作れるなんて。私だったら、当日もデザインしてほしいなって思っちゃうな」


 忖度そんたくない私の言葉に、少しだけ彼は頬を染め、すぐに首を振る。


「姉は有名デザイナーにオーダーメイドで依頼してましたね。どんなデザインにしようかと、張り切って打ち合わせをしてきたので晴れの日にドレスを着るのを楽しみにしていたんだと思うんです」


 友達の結婚式の話を聞いたり、挙式に出席したりするたびに、祝福と共に自分の置かれた立場の焦りと羨望せんぼうの感情を抱いたのを思い出す。

 

「そういえば、姉のドレス試着時に僕が立ち会った日もありましたが、一度も試着室から出ませんでしたね」

「えー。見せてくれなかったの?」

「はい。『ごめんね、本当に心から喜べる日に見てね』と。結婚式当日を本当に楽しみにしていたのですね」


 ルカさんにとって、結婚式はとても大切な日であったに違いない。

 皆に祝福された後に待っているのは、大好きな人とずっと一緒にいられる毎日。

 そう願っていたはずなのに、こんなことになるなんて。

 一寸先は闇とは、まさにこの状況を言うのだろう。

 

「だから僕は、棺コーディネート華菱を立ち上げました。生前では叶えられなかった姿でも、最期に着飾れるように。欲を言えば、幽霊として僕の前に現れた姉にドレスを着てほしいとも思っています。彼女にとっては、人生最期の晴れの日ですから。葵さん、貴女には……」


 麗が何か言いかけるタイミングで、深夜0時を告げる物悲しいピアノの音楽が鳴る。

 棺コーディネート華菱の待合室にあるアンティークな時計だ。

 このメロディ、何て曲だっけ。

 音楽が鳴り終わる頃には、私達はルカさんに纏わる記憶が欠落しているのだろう。

 このメロディの曲が何なのかが、引っかかって思い出せないように。

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