第37話 記憶
生暖かい春風が頬を撫でる頃、新年度が始まる。
「みんな、今年度もよろしく。早速、成仏期限が過ぎた幽霊のお知らせだよ」
白亜さんは暗い表情をしている。
幽霊は、死亡届の日付の翌日から起算して3年以内に必ず成仏しなければならないと法で定められている。
3年が経過してもなおこの世界に残ると、幽霊は成仏の資格を失う。
その場合、この世とあの世の魂の数にずれが生じてしまう。成仏できなかった幽霊を初めから存在しなかったことにするため、意図的に誕生から死亡までの歴史とそれまで関わった人の記憶を消す必要がある。
そうなる前に、黄泉送致係は未練のある幽霊を自発的に成仏させる必要がある。
記憶を消す仕事の大変さもあるが、一番は幽霊になった人間の尊厳を守るためでもある。
ちなみに、期限までに成仏できない幽霊は、数年に1回くらいしかいないらしい。
「対象者は、北里 ルカ。3年間、ずっと彼女と出会えなかったよね。 麗、大丈夫?」
まさかの、ルカさんだなんて。
麗は血の気のない表情をしている。
「麗、休んだ方がいいんじゃない!?」
「オー! 華菱サン、横になりマス? それとも鏡見マス?」
私達の声かけにも、彼は全く反応しない。
虚ろに目を空けたまま、一点を直視している。
「葵ちゃん、ジュディ、一瞬だけちょっと3人で話したいんだけど」
白亜さんの提案で、麗から少し離れたところで私達は小声で緊急会議を始める。
「葵ちゃんは、北里ルカのことはどこまで知ってる?」
「麗のお姉さんですよね。仲が良かったみたいで」
「華菱サン、ずっと彼女が成仏できるよう、努めてマシタ」
白亜さんやジュディさんと話をしつつ、麗を見る。
ぽかんと口を空けて、上の空だ。
「記憶を消すって、具体的にはどうするですか?」
「俺達がどうかするってよりは、秩序維持係がその人と関わった人の記憶を書き換える作業をするんだ。秩序維持係にすごい負担がかかるから嫌がられるし、幽霊にとっても関わった人間にとっても生きた証が無くなる訳だから、こちらとしても切なくなるよ」
「ちなみにルカさんの記憶は、幽霊保護課が届け出を出した翌日には消える。華菱サンだと、はじめから一人っ子だという認識になりマス」
記憶が消えた後はルカさんがはじめから存在しなかったことになるので、ある意味で麗も苦しまなくてすむのかもしれない。
だが、記憶のある限りルカさんとの思い出を大切にしていたいと思うのは当然だろう。
「もっと早くみんなに伝えることもできたんだけど、あまり早く伝えても、皆よそよそしくなるでしょ? それに麗は、とっくにこの日を意識していたと思うしね。今日秩序維持係に強制成仏の届け出を提出する予定なんだけど」
「オゥ、今日デスか! 僕、今日の午後からしばらく、有給休暇をまとめて貰ってるのデスけど……。絶対、これから大変。華菱サンも心配だし……」
ジュディさんは浮かない顔をする。
白亜さんは彼の肩をぽんと叩く。
「ジュディだって、大事な予定なんだろ?」
「ハイ。僕、この前の無気サンと関わったのをきっかけに、昔の自分に向き合う。だから、家出した家族に会いに行きマス」
ジュディさんと前に2人で話した時を思い出す。
きっと、迷いに迷ってやっと決断したのだろう。
「ジュディさん、きちんとお話できると良いですね」
「ハイ、舞妓はんにはなれませんでしたが、大事な仲間ができた。それを伝えたいデス。ただ、直前になって戸惑って言えなくなっちゃう心配も……」
「じゃあ葵ちゃんと麗もオーストラリア行けばいいじゃん? 1日だけ予定合わせてジュディの家に行く約束してさ。葵ちゃん達のいる前で家族にそれ伝えれば言いやすいし! 華菱カップルも、婚約してから旅行もしてないし、ジュディも親御さんと仲直りできるし、一石二鳥だ」
白亜さんは相変わらず驚きの提案をする。
「葵ちゃん、そうしよう! とりあえず今日は麗と2人で早く帰ってもらって、明日から強引にオーストラリア旅行決行で!」
「白亜さん、急ですよ。それに、明日から幽霊保護課は白亜さんだけですよね!?」
「ここで部下のプライベートも何とかさせるのが上司ってやつだから。麗にとっても仕事から離れて気分転換させてやるほうがいいと思うな。じゃ、葵ちゃんは麗を連れて今日は帰って休ませて。明日からオーストラリア旅行、いってらっしゃい!」
白亜さんの背に後光が差し、神様のように見えた。
理想の上司って、こういう人のことをいうんだろうな。
明日から海外旅行だなんて思わぬ方向に話が飛んだけど、麗にはなるべく笑っていてほしいのは確かだ。
ルカさんの思い出がぽっかりと空いた分、旅行の楽しい記憶で埋め込んでほしいな。
********************
葵、麗、ジュディが帰宅した業務後。
白亜係長は事務所にて報告書や会議資料作りに勤しむ。
ポーカーフェイスが影響しているのもあり、疲労の色は全く見えない。
ぜんまい仕掛けの人形が動くがごとく、カタカタとタイピングをする。
幽霊保護課のドアがギィという音をたてて開く。
こんな時間でも、空いていたらやってくるお客様がいたら対応してしまうのが彼の優しいところだ。
白亜係長は、すぐに口元に穏やかな笑みを浮かべて来客者を出迎える。
「白亜さん……」
か細い女性の声だ。
来客者の顔、身体を見て、それが誰か認識するまで彼は数十秒かかり、理解した瞬間に白亜係長の表情は凍りつく。
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