第35話 お線香

 4月1日、エイプリルフールであるこの日はルカさんの命日。

 彼女がこの世を旅立ったのが嘘であったらと願った麗やご家族を思うと胸が苦しい。

 ルカさんのお墓参りで、麗のご両親やルカさんの婚約者である真人さんもお見えになる。

 多忙な彼らが休みを合わせて集まれるのはこの日くらいなので、場違いなのは分かっているが、初の顔合わせとなる。

 寺の近くで、お墓に供える白百合の茎をハサミで整える。


 ブラックスーツ姿に、鳥籠を持つ麗が憂い気な表情をしている。

 籠に入った麗子ちゃんが心配そうに麗を見ている。

 原因はルカさんを思い出すのと、心の距離を感じる家族に会うことだろう。


 麗は、私のことは「仕事を共にしていくなかでお互いにかれあった」と彼の両親に話しているらしい。

 あながち間違いではない。

 彼の家族がなんとなく訳ありなのは分かっているが、ただの交際ではなく結婚まで考える間柄となると、家族がらみの人間関係を切り分けて考えるのはまず不可能だ。

 何か問題があるなら問題があるで、実態を知っておく必要がある。


「麗様」


 振り返ると、すらりと背の高い30代後半ほどの男性が立つ。

 鼻筋が通り、流し目が特徴的の整った顔立ちに、銀縁の眼鏡が知的な印象を与える。


「真人さん、ご無沙汰しております。こちらは僕の婚約者の葵さんです」

「はじめまして、漆原です」


 真人さんは穏やかに笑う。


「ギャーギャーギャー! ギャーギャー!」


 持つ鳥籠に入った麗子ちゃんが威嚇いかくするように激しく叫ぶ。

 こんな麗子ちゃんは初めて見る。


「こら、麗子ちゃん。久しぶりのお外で興奮したのですよね。大丈夫ですよ、しー」


 麗が麗子ちゃんをあやす。

 真人さんは私に微笑むと、銀縁のメガネがきらりと光に反射する。

 

「はじめまして、ルカさんの婚約者であった真人です。僕は学生時代に麗様達の使用人として、身の回りのことをお手伝いさせて頂きました。今では、麗様のお母様の経営する北里美容クリニックの皮膚科医として働いております。どうぞよろしく」


 麗のお母様は、美容クリニックの経営者だったのか。

 お金持ちのお嬢様と元使用人との恋なんて、韓国ドラマみたいだ。


「麗様、お肌の調子が良いみたいで安心しました」

「ええ、毎日お手入れを欠かさずにしておりますから」

「麗様に保湿のクリームを塗っていたのが昨日のことの様に感じます」


 真人さんは、左手の薬指の指輪を大切そうに右手の人差し指でなぞる。

 ルカさんが亡くなっても、真人さんは彼女をずっと大切に思っていたのが分かる。


 六十路前後であろう男女がやってくる。

 ロマンスグレーの髪を丁寧にまとめ、血色の良い肌に穏やかな笑みを浮かべる男性は、琥珀こはく色の瞳をしている。

 ダンディーな俳優みたいな彼は、麗のお父様だ。

 お父様の隣を歩く、青色の瞳に長い睫毛まつげ、やや白みのかかった金髪に色白の肌の女性は、まるで異国の王妃様のように麗しい。

 麗のお母様は、外国の血が流れている様だ。

 麗はハーフだったのか。

 どうりで顔の彫りが深く、儚げな訳だ。


「葵さん、はじめまして。私は、麗の父です」

「母です。お会いできて光栄ですわ」


 麗の両親は、丁寧に私にお辞儀をする。 


「お義父様、お義母様、はじめまして、漆原……」

「麗から聞いてるわ。早速お墓参りをしましょ」 


 ルカさんの眠る、華菱家のお墓へと移動する。

 遺体は見つかっていないので、形としてのお墓参り。

 私達はお墓に用意していた白百合を手向たむける。

 お義母様は線香に手早く火を付け、手を合わせる。

 煙がゆっくりと風に流され、やや甘ったるい香りが辺りに漂う。

 私達もそれに続く。 

 私の家では、柄杓ひしゃくでお墓にお水をかけていたが、華菱家ではやらないのに少し違和感を感じたが、そういう風習なのかもしれないので黙っておく。

 お義母様は、お墓に手をそっと乗せる。

 

「葵さん、もう聞いたかもしれないけどルカは結婚式を挙げる前に亡くなってしまったの。私達、言葉に出来ないくらい悲しかった。でも、貴女が麗のところに来てくれて、麗を好きになってくれて本当に嬉しいわ」


 お義母様は涙ぐみながらも、ひっそりと花が咲くように優しく笑う。


「ねぇ、葵さんはお仕事で活躍されてるみたいだけど、結婚したら家で麗を支えるわよね? 私は仕事一筋で家庭は全然だったんだけど、すごく後悔しているの。だからルカにも、葵さんにも、仕事を辞めて家庭優先にしてほしいって思ってるのよ」

 

 お義母様自身の経験を思い返した上で、そう話しているのは分かる。

 しかし、何だかもやもやとした感情が心のなかを渦巻く。


「よしなさい、それを決めるのは葵さんだ。葵さんは、どうしたいですか?」


 お義父様は私の気持ちを察してくれたが、ここでどう答えるのが正解なのだろう。

 解答を過ってはいけない。

 そう思えば思うほど、私の本当の気持ちからは遠ざかっていくし、追い詰められる気がする。

 これが板挟みというものなのか。


「お母様、お父様。あなた達の言うとおり、僕は父の仕事を継ぎますし、結婚もする予定ですから。お二人は僕達には口出ししないで頂けます?」


 麗はややぶっきらぼうに答えた後、思い出したように付け足す。


「僕は葵さんの感性に惚れ込んでいますので」


 麗が両親と真人さんに背を向け、私の手を取ってお墓を後にして歩いていく。

 黒いワンピースを着た、俯いた女性の姿が見える。


 宮古さんだ。


 彼女の過去の発言や麗の動揺具合を思い出し、心臓の鼓動が大きくなる。

 どうして彼女が、ここにいるんだろう。

 懐古かいこの念に駆られるような線香の独特な香りが、これほどまでに薄気味悪く感じたのは今日が初めてだ。

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