第33話 トレーニング

 華菱宅に招かれ、麗の部屋を案内される無気さん。きょろきょろと辺りを見渡している。


「無気さん、こちらが僕の自室です。どうです? すばらしくリラックスできるでしょう」

「うーん。何だか見張られてるみたいでそわそわするな」


 無気さんは困っている。

 麗の自室は私も初めて入った。

 彼の部屋は、三面鏡が置いてあるどころか全面鏡張りだった。

 天井にポスターを貼る人間の存在は知っていたが、天井に鏡を取り付ける人間は初めてだ。

 インテリアとして、麗の彫刻が3体、鏡張りされていないドア部分には彼の油絵が飾られている。

 そして、美術館で現代アートを見たときに彼が掲げていた額縁。

 狂気を感じたのは私だけだろうか。


「セレブの生活はハードル高いなぁ。ごめん、この部屋では生活できないよ」


 さすがの無気さんも、ついていけない様子で少し安心した。

 麗はふっ、とニヒルに笑う。


「この部屋は、僕が入ることで完成する美術館なのですから。馴染めないのは当たり前でしたね」

「華菱さん、良く分からないこといってらぁ。僕には執事さんくらいの部屋が案外良かったりして」


 権田原さんは全否定する。


「ダメでございマッスル! お客様ですので、素敵なお部屋でおもてなシックスパック!」


 権田原さんの部屋も入ったことはない。


「僕も権田原さんの部屋を見たことないです」

「私も見てみたいかも!」

「麗様に、葵様まで……」


 権田原さんは、観念して部屋を案内する覚悟をした。

 彼のことだから、筋トレグッズがたくさんあるのだろう。

 ジムみたいな部屋になっているのかな。


「こちらが、僕の部屋でございマッスル。無気様、気に入るでございマッスル?」


 ドアを空けると、殺風景な部屋の中央にテントが張ってあった。

 

「テ、テントですか!」


 驚いて裏声になる麗。


「このテントは、思い出のテントでございマッスル。日々の辛いお仕事……ゴホン、日々の慌ただしいお仕事のなかでも、寝るときくらいは楽しい思い出に包まれて寝たいでございマッスル」

「権田原さんの思い出って1人旅? 友達と行った? 権田原さんの友達って、やっぱマッスル仲間?」


 思わず私は権田原さんを質問責めにしていまう。


「その質問はタブーでございマッスル」


 権田原さんは深々とお辞儀をすると、いつものごとく燕尾服がブチブチと破ける。

 この光景も見慣れてしまったのが恐ろしい。


「おおおっ! すごい筋肉、こんなの初めて見る! 漫画に出てくるみたいだ!」


 無気さんは感動している。

 麗も「なんと美しい」と、ため息を付く。


 権田原さんは、両手に力こぶを作る王道ポーズを取る。


「スキンシップロテイン!」

 

 無気さんは、権田原さんの筋肉をぺちぺちと触っている。


「す、すごい……僕も、こんな風になれるかな」


 無気さんが筋肉に興味を持ち始めた。

 これは成仏のチャンスが訪れるかも、と麗と目を合わせる。


「僕も権田原さんと日々鍛えているので、この美貌を保っているのですよ。無気さんもこれを機に、トレーニングしてはいかがですか?」

「せっかくだし、やってみようかな」

「では早速、トレーニングするでございマッスル!」


 権田原さんは無気さんの襟首をひょいとつまみ上げてトレーニングルームに連れて行く。

 ガチャリと鍵が閉まる音が聞こえた後、東南アジアかどこかの異国の音楽とともに無気さんの悲鳴が聞こえる。

 中で何が行われているのだろう。


********************


 権田原さんに無気さんを託した後、私達はリビングに戻り、ソファーで横並びになりながら怪獣が襲撃してくる映画を観る。

 麗はすかさず顔パックのシートを取り出し、鏡を見ながら丁寧に貼り付けている。

 本当に美意識が高い。

 彼とは一定の距離を保ってきたし、あまり込み入ったことは聞かないようにしていたが、最近少し分かりあえたのを良いことに、思わず口にしてしまった。


「何でそんなに、美意識高いの?」


 とっさに出た言葉が「何でそんなにナルシストなの?」だったら、築かれつつある信頼がガラガラと音を立てて崩れ落ちるところだった。

 麗は、ドヤ顔で答える。


「僕は僕自身を愛しているからです」


 なるほど、愛しているから手をかけられるし、いたわってあげられるのね。

 今日の華菱のホームページに、写真の他に今日の名言として追加してあげよう。


「それって、いつから?」


 顔パックをしていても、鳩が豆鉄砲をくらったような表情をするのが分かる。


「ずっと前、からですかね。でも、自分が嫌いな時もありましたよ」

「どうして嫌いだったの?」

「……アトピーが酷くて、肌荒れしてたときがあって。そうならないように日々保湿をこまめにしたり、食生活を心掛けたりしています」


 今のつやつやとした彼の美肌からは想像もできない。

 普段から努力を積み重ねた彼の結果が、ナルシストなのかもしれない。

 そう考えると、華菱 麗という人間が急に人間臭く感じ、抱きしめたくなる衝動に駆られる。

 彼の頬に自らの片手を添え、彼の瞳を覗き込む。

 麗の、澄んだ琥珀色の瞳が微かに揺れる。

 しばらく私達は見つめ合うが、リビングに汗だくになって駆け込む権田原さんの存在に気がつき、何事もなかったようにぱっと離れる。


「す、スキンシップロテイン中、ごめんなさいでございマッスル! 無気様が!」


 彼に何が起こったのだろう。

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