第32話 セレブな生活

 今年度も残すところ後1週間と少し。

 私達が汗水垂らして事務作業に勤しむなか、やる気のない幽霊・無気さんは頬杖をつきながらぼんやりとしている。

 無気さんはこのように、面談など用が無くても時々事務所に来ては、中身のない話をしたり、仕事をする職員を眺めていたりするのが日課となっていた。


「無気サン、今日は構ってあげられないデス! オー、忙しくてピンチ!」


 台帳を山ほど抱えてジュディさんは叫ぶ。

 無気さんはそんな彼に、のほほんとマイペースな質問をする。


「そんな張り詰めてやるくらい楽しい?」

「エンジョイしてマス! な訳、アリマセン! お仕事だからやるしかないんデス!」

「その割にはみんな生き生きと見えるから言ったんだけどな。楽しいイコール生き生きじゃないのね」


 無気さんはふむ、と首を傾げる。

 彼は、そもそも何かを一生懸命やるみたいな経験がそもそもなさそうだ。


「俺、どうして興味が持てないのかをいろいろ考えたんだよね」


 あくびをする無気さんに、私達は一斉に注目する。

 何を言っても「分かんない」でぼんやりとしていた彼が自ら考えたなんて。

 無気さんにとっては大きな進歩だ。

 白亜さんは拍手し、問いかける。


「無気さん! 原因は分かったかい?」

「俺、家がそんなに裕福でなくて。娯楽もなく、普通に生きていく分にはいいんだけど、いいなと思ったことをやるのには何でもお金がかかるじゃない?」


 確かに、生きていくには何をするにもお金がかかる。

 例えば生命を維持するための食事も、品数や食材が増えれば増えるほどお金がかかるし、凝ったものや珍しいものを食べようとすれば、もはや娯楽や贅沢となってしまう。


「だから一度、セレブの生活ってやつを味わってみたいわけよ。やりたいことが今は分からないから、お金に不自由のないセレブの生活をしていくうちに見つかるかなって思ってね」


 セレブの生活、という単語で、白亜さんとジュディさんは一斉に麗に視線を向ける。


「どういうつもりです?」

「麗は豪邸に住んでて、確か執事さんもいるって噂じゃん? 一部屋くらい無気さんに部屋使わせても、何もダメージないだろうし。セレブ体験を気軽にするには持って来いだと思うけど。でも、それだと葵ちゃんが心配かな」


 白亜さんは心配そうに私を伺う。  

 生身の男性だったら怖いかもしれないけれども、幽霊なら人間に触ることもできない。

 部屋には鍵がしっかりとついているし、警備もバッチリ、しかも執事の権田原さんも実は強いらしい。

 

「よ、よく分からないけど、無気さん無害そうだし。いても、私は問題ないかなって」

「冗談じゃないです! どうして僕の家に幽霊なんか招かないといけないのですか! 僕の執事はとても繊細なんですよ!」


 麗は白眼になりながらヒステリックに金切り声をあげる。

 白亜さんは、小声だがドスの効いた声を出す。


「お願いだよ、麗。葵ちゃんだってきっと覚悟の上で引き受けてくれてるじゃん。無気さん、成仏可能期間まで後一週間だろ。。俺達もそれを覚悟の上ではあったけどさ、成仏できるならさせてあげた方が、彼にとっても幸せだろ」

「……きちんと時間外勤務の申請をさせて頂きますから。終わったら有給休暇もまとめて使わせてくださいね」


 観念したようにうなだれる麗。

 額に手を当てて、かったるそうに無機さんへと声かけをする。


「無気さん、終わったら家にいらっしゃい。おもてなししますので」

「やったね。ちょっと緊張してきたぞ」


 無気さんは、いつもより5%増しで楽しそうに見える。


********************


 華菱家に到着すると、ローズガーデンの手入れをする権田原さんの姿が見える。

 そういえば、私達はダニエルの力で幽霊が見えるけど、権田原さんの目にはどう映るのだろう。

 

「麗、権田原さんに無気さんのことをどう説明するつもり?」

「お客様ということで説明済みですが、。だから僕は、彼を家に招くのが嫌だったのですよ。後で権田原さんを2人で頑張ってフォローしましょうね」


 園芸バサミで薔薇の枝先を丁寧に整える権田原さんは、私達に気が付くと、満面の笑みでこちらへと近づいてくる。


「麗様、葵様! お帰りなさいでございマッスル! 麗様がお話されていたお客様でございマッスルね! はじめまして! 僕は権田原 源蔵! おもてなしのお料理も、僕のボディも、仕上がっておりマッスル!」


 無気さんは鼻をつまみ、マスクを秒で装備する。


「は、はじめまして。僕は無気 力です。お世話になります」


「僕、臭うでございマッスル……?」


 涙目になる権田原さんに、震えながらこくりと頷く無気さん。

 権田原さんは、静かに涙をこぼしながら、ポケットからオーデコロンを取り出して首筋や手の甲に数回プッシュしている。


「無気さん! 何て失礼なの!」


 声を張り上げる私に、麗はこっそりに耳打ちする。


「権田原さんは、素で幽霊が見えてしまうかたです。彼は、人間と幽霊の見分けがつきません。また、幽霊が見える人間に、幽霊は近付けません。大変臭うらしいです」 


 そういえば、権田原さんに初めてお会いしたときに、臭いを気にするような発言があったっけ。

 心霊写真が全て遠巻きに写っているのは、見える人間に幽霊が近づけないからという理由なのかもしれない。


「無気さん、セレブ体験には執事がマストだと思いますが、やめます? 僕の執事に、失礼な振る舞いをされては困るのですが」

「ご、ごめん。彼、ございマッスルだって。ふふ、あはははは、ふふふ」


 無気さんは、普段より20%増しに表情豊かだ。

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