第30話 現代アート

 ひどい喧嘩をし、どんなに気まずくて顔を合わせるのが嫌でも、逃れられないのが職場に身内がいるデメリットだ。


 家を飛び出してホテルに連泊したのはよいものの、棺コーディネート華菱の出勤でも、幽霊保護課でも、麗と顔を合わすことになる。

 棺コーディネート華菱では、アトリエにこもって蒔絵作品を作り続ける。

 幽霊保護課では、麗と出勤日が被る日は、彼が事務所にいるときは積極的に外回りに出向いた。

 ものすごく気まずいが、私だけ素直に謝るのは何だか腑に落ちない。

 強情なのは自分でも分かっている。


 そんな生活が一週間続き、あっという間に桜の蕾が膨らむ季節となる。

 棺コーディネート華菱のアトリエで、いつものように黙々と作品作りをしていると、アトリエに麗が入ってくる。

 筆をとる手が、ぴたりと止まる。


「葵さん、明日完全にお休みですよね? 予定入ってます?」

「予定ないよ」


 これまでのことを話し合う覚悟が彼に出来たのだろうか。

 心拍数が速くなるのを感じる。


「僕、美術館で作品を出展するんですよ。ぜひいらっしゃってください。チケットは貴女のお給料から引いてありますので、無駄にならないように絶対来てくださいね」


 チケットを渡され、何事も無かったように扉を後にする麗。

 すこんと拍子抜けした気分。

 彼のことを理解するのは、本当に困難だ。


********************


 翌日、指定された清澄白河の美術館を訪れる。

 ここでは、現代アートの展示を定期的に開催しているらしい。

 天井の広い設計の建物に入ると、いくつか展示会場に分かれていた。

 渡されたチケットの企画展の内容は、「世にも恐ろしい生き物」。

 麗が出展したということは、自画像でも描いたに違いない。「美しすぎて恐ろしい僕」とでもいうタイトルが妥当だろう。

 喧嘩中ではあったものの、喧嘩が長引きそうなのに加え、彼の作品には興味があったし、現代アートは好きなので純粋に楽しみたいと思った。


 チケットを係員に見せ、「世にも恐ろしい生き物」の展示室へと入る。

 スズメバチ、サメといったリアルに怖い生き物から、悪魔や鬼といった想像上のものまで、様々な作品を取り扱っていた。

 その中で、私は初めて見る生き物の存在を知る。


 顔はさる、胴体はたぬき、手足はとら、尾はへび

 まるで、つぎはぎだらけのぬいぐるみみたいな生き物だ。

 作品紹介より、この奇妙な生物の正体は、「ぬえ」と言う妖怪だと分かる。


 暗闇で鵺の全体を見ず、一部分だけを見た人間は「あの動物は猿だ」「いや、あれは蛇に決まっている。にょろにょろしてた」と言い争いになるだろう。

 明るいなかで鵺の全体像を見たら、それはそれで受け入れがたい恐怖かもしれない。

 本当は鵺という妖怪なのに、虎だの猿だのと言われて鵺は複雑な気持ちだったのかもしれない、と考えると少し笑えてくる。

 

 脳内に衝撃が走る。

 麗の身のまわりに起こったことも、鵺と同じなのではないか。

 一部を知り得ただけで、全体像を勝手に想像してしまっているが、実は全く違ったもので成り立っている。

 私は、想像したものを事実と思い込んでいるのではないか。

 だとしたら、彼にすごく失礼だ。

 

 今までの行いを反省しつつ鵺の展示を後にし、イベントコーナーにたどり着く。

 白紙の紙と色鉛筆が置いてあり、フリースペースの壁に来客がそれぞれ思い思いの絵を描いて貼っていた。

 誰もが知るネズミのキャラクターの絵や、誰かの似顔絵、風景画などまちまちだ。


 私は白紙を手に取り、ハリネズミが2匹並ぶ絵を描く。

 それぞれのトゲの部分に、マシュマロが突き刺さった絵だ。  

 個性を活かしつつ、互いを傷つけない方法もどこかにあるのだろうと考えながら。

 出来上がった絵は、モフモフが目立っていて、ハリネズミというよりアフロネズミだ。

 テープでぺたりと壁に貼り付ける。


 イベントコーナーを後にすると、「再入場不可」の出口となる。

 一つひとつ丁寧に見たはずなのに、麗の展示を見つけられなかった。

 もう一周しようかと思ったところで、後戻りしようとすると、スタッフに声をかけられる。


「チケットを見せてもらえますか?」

「はい」

「華菱様の企画展付きですね。どうぞこちらへ」


 スタッフが黒いカーテンをめくると、違う部屋が広がる。

 カーテンの向こうへと行くと、部屋の中央に額縁を持って自らの上半身に当てはめる生身の麗の姿がある。

 足下には作品名が書かれている。

 言うまでもなくタイトルは「美しすぎて恐ろしい青年・麗」だ。


「麗、何してるの?」

「葵さん、来てくれましたか。最近貴女が元気がないので、笑わせようと思ってですね」


 ここ、笑っていいところなのだろうか。

 彼の場合、本気でやってそうだけど。


「僕、まだ他の展示見てなくて。もう一周、付き合ってもらえます? スタッフさん、もう華菱の企画展は終了で大丈夫です」


 額縁をスタッフに渡す麗。

 ひょっとして、このためだけに美術館を一部屋貸し切ったのだろうか。

 いろんな意味で彼らしく、どこかかわいいと思ってしまった。



 企画展を、麗と一緒に眺める。

 彼は特に気に入るものは無いようで、数秒見て次の作品へと移動する。

 彼なりのユーモアなのか、「芸術にはうるさいのです。僕自身が美の物差しなので」などと話している。

 

 イベントコーナーの作品も、彼は一つずつ眺めている。

 彼は、目を細める。


「こちらの作品を描いた方に、会ってみたいものです。何となくですが、作者はきっとあたたかい雰囲気の方なんでしょうね。これ、特別に買えないかスタッフさんに聞いてみようと思うのですが、難しいですかね?」


 麗が指差したのは、私の描いた作品だ。


「いくらでも、描いてあげるよ」


 絵を壁から剥ぎ取った麗の表情は、かわいい悪戯をする子どもみたいに無邪気だった。

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