第29話 ハリネズミのジレンマ

 身も心も疲れた状態で家に帰り、不安で夕食も喉に通らない。どう話を切り出そうか自室で悩んでいると、時刻は午後8時を過ぎてきた。

 意を決して麗のもとへと行く。

 彼は美顔ローラーをコロコロと頬周辺に転がしながら、リビングのテレビでホラー映画を観ていた。

 麗子ちゃんはマイペースに餌をついばんでいる。


「あ、葵さん。映画、一緒に観ます? 今、ちょうどいいところですよ」


 麗はゾンビが墓地からよみがえるシーンを夢中になって観ている。


「ゾンビより怖い話していい?」

「ええ」

「麗の元婚約者の話」

「何のことです?」


 麗は、何を言っているのか意味が分からないといった表情をする。


「とぼけないでよ。ルカさんって言うんでしょ?」


 ルカさんの名前を出すと、麗は映画を一時停止にする。


「彼女、生きていたら少し年上だったんだ。麗、結婚式直前に婚約者が亡くなるなんて辛かったよね。宮古さん、彼女のこと恨んでたんでしょ。だからルカさんを亡き者にすれば、麗の気持ちが自分に向くと思って……」


 声が震える。

 感情に訴えて啖呵たんか切ったのはよいものの、先の言葉を言うことはできなかった。

 彼は、過去の話を持ち出して、怒るだろうか。


「どこでそんな情報を手に入れたのです? 葵さん、ひょっとしてドラマ好きですか? しかも昼ドラ系のドロドロのやつ。さすが僕の認めた想像力豊かな棺コーディネート華菱の重役ですね」


 麗はパチパチと拍手する。

 皮肉めいた言葉かけに、自らの胸の内側がかっかと苛立っていくのが分かる。

 

「ごまかさないでよ! いったいいつまでしらを切るつもり? 私は麗が時々悲しそうな表情をするのを心配してるだけなのに! しかも私まで命の危険があるかもしれないのに、そんな大事なことをいつまでも黙っていたなんて!」


 感情的に訴える私に、麗は腰を上げる。

 

 リビングを後にしたと思ったら、すぐに書類を抱えて戻ってくる。

 彼は書類をぱらぱらと巡り、ある箇所を指差す。


「貴女と僕で交わした契約書です。ここに書いてありますよね?『互いのプライバシーには、過度に干渉しないこと』って。貴女だって、聞かれたくないことの一つや二つ、あるでしょうに。契約書というより、人としての基本だと思うのですが」


 私のなかで、何かがぷつんと切れる。

 このような場面でも冷静に契約書を取り出し、人としてどうかなどと人間性を否定されるようなことを言われるなんて。


 どうして、分かってくれないの。

 どうして、隠してばかりいるの。

 どうして、抱えてばかりいるの。

 

「もう知らない! 麗なんて大嫌い!」


 リビングに置いてあるクッションを叩きつけ、溢れる涙を振り切るように、部屋から飛び出す。


「葵さん! ちょっと! どこに行くんです!?」


 麗の声が聞こえ、振り返ると彼もリビングから出て追いかけてくる。


「レイナンテダイキライ! レイナンテダイキライ!」

 

 麗子ちゃんが彼の顔面の前でバサバサと羽を広げて飛んでいる。

 そのすきに、私は家の外へと駆けていく。


********************


 山手線を行くあてもなくひたすら回る。

 どこか遠くに行きたいような、あまりこの場から動きたくはないような。

 知らない場所で一人で思いにふけりたいような、仲の良い友人とひたすら話し込みたいような。

 相反あいはんする気持ちが、私のなかを巡る。

 

 上京したばかりは山手線の駅名がほとんど分からなかったが、今ではすらすらと言える。

 それなのに、困ったときや落ち込んだことでも何でも気軽に話せるような友人ができていないと思うと何だか寂しい。

 こちらに来てから、麗とばかり一緒にいたのだと改めて感じる。


 私のことを知っているけれども、よくは知らない。

 顔を見れば、少し安心する関係。

 今の私は、そんな距離感の人に会いたいのかもしれない。

 

 池袋で下車し、「上海♡一番」の店舗の入るビルへと向かう。

 扉を開けると、琳さんが出迎えてくれる。


「アラ、お久しぶりネ。今日は、パペット劇はお休みの日。閑古鳥が鳴いてるョ。暇してたョ。まま、座って座って。何にする?」


 琳さんが食べかけたであろうゴマ団子と、少女漫画が、客席であるテーブルに置かれていた。


「ゴマ団子、私も食べたいです」

「ごめん、葵サン。ラスト15個でハンパだから、あたちが全部食べちゃったョ」


 手を合わせて舌を出す琳さん。

 ラスト15個ってどこがハンパなんだろう。


「今日のおすすめは何ですか?」

「んー、ハリネズミのジレンマかなっ。龍サン、ハリネズミのジレンマ頂戴!」


 ハリネズミのジレンマってメニュー、ものすごく気になる。

 龍さんはカウンターにて頷く。

 いったい何が出てくるんだろう。

 

「今日、社長サンいないの?」

「う、うん。ちょっとね」


 琳さんに麗のことを聞かれてどぎまぎとする。

 まさか、家を飛び出したなんて言えない。

 琳さんはすっと席を立ち、龍さんの元へと行く。


「ま、そういうときアルよネ。これ、ハリネズミのジレンマだョ。中はカスタードね」


 琳さんに差し出されたのは、蒸籠せいろにびっしりと入った、キツネ色に揚げられたハリネズミ饅頭が5匹。

 ハリネズミ饅頭は見たことがあるけれど、こんなにもぎゅうぎゅうに詰められたのは初めて見た。


「かわいいんだけど、ハリネズミ達、めちゃくちゃきつそう……」

「だから、ハリネズミのジレンマ。ハリネズミ、寄り添い合おうとすると針で相手を傷つけちゃうから、ぴったりくっつけないのョ」


 よく見ると、ハリネズミ饅頭同士がぶつかり、トゲトゲの部分が取れている箇所がある。

 蒸籠の底には、所々トゲトゲが取れたものが落ちていた。

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