第22話 ウーパールーパーのぬいぐるみ

 13時過ぎのシンジュク区・神楽坂。

 小雨が降っているというのに、食べ歩きや散歩を楽しむ老若男女で賑わっている。

 本日は完全に休日のため、社長と一緒にランチとお散歩デートだ。

 神楽坂は右を見ても左を見ても、どの通りに入っても、古民家風のレストランや和風雑貨屋、輸入食品店のなど独自路線を貫いた店が集まっている。

 お店の並ぶ坂を下り終えたところで、社長はぴたりと足を止める。


「葵さん。僕はランチで頂いたサラダのオーガニックドレッシングが忘れられなくて。お店に戻って買って帰ろうかと思います。しかし、来た道をあなたに戻らせるのもどうかと思うので、近くの喫茶店に入るなどして休んでいてください」


 社長の気遣いに感謝しつつ、どこか時間を潰せそうなところはないかと辺りを見渡すと、小さなゲームセンターがある。


「じゃあ、ここのゲームセンターで遊んでるね」

「わかりました、すぐ戻りますから」


 社長はランチを済ませたお店へと戻って行く後ろ姿を見送りつつ、ゲームセンター内に入る。

 リズムに合わせで太鼓たいこを叩くゲームや、顔の原型がとどめられないであろう写りとなるプリクラ機、銃でゾンビを倒すゲームなどがある。

 どのゲームをやろうかと辺りを見渡すと、サッカーボールほどの、ころんと丸いウーパールーパーのぬいぐるみが景品となるUFOキャッチャーの前に、小学校に上がる前くらいの年齢の男の子を発見する。

 彼には足が無い。


 あっ、と口に手をやる。

 AIダニエルの幽霊可視機能をそのままにしてしまっていた。

 社長から、業務が終わったらその都度必ずオフにするようにと口酸っぱく言われていたのに。

 幽霊可視機能をそのままにしてしまった原因である昨日の業務は「幽霊アウトリーチ」だった。


 「幽霊アウトリーチ」とは、成仏の相談に来ない幽霊達を積極的に職員が見つけ出しに外回りをすることだ。 

 役所に相談に来る幽霊以外で、助けを必要とする幽霊に手を差し伸べることが目的となる。

 もし遭遇そうぐうした幽霊が自分の管轄かんかつの幽霊だったらその場で対応する。

 他自治体の場合、緊急性があれば遭遇した職員が対応する。とりわけ緊急でない場合は、管轄となる自治体に引き継ぐしくみになっている。


 亡くなったときに「幽霊になった方・成仏の出来なかった方へ」という通知を送っていても、気が動転していて読まない幽霊も多く、意外にも幽霊保護課の認知度は低いらしい。

 もっとも、幽霊可視の状態でやみくもに1日歩き回っても、2人くらいの幽霊しか見つけられはしなかったのだが。


 幽霊にも頻繁に出くわさないのに加え、1人で外回り後に直帰してしまったため、私はすっかりオフにするのを忘れていた。


 男の子は、UFOキャッチャーのレバーを握って動かしたり、バンバンと手で叩いたりして、今にも泣き出しそうな表情をしている。


 私の心のなかで葛藤が始まる。

 幸い、鞄は昨日と変えなかったので、業務用スマホは手元にある。

 ダニエルに命じて、幽霊可視機能をオフにしてしまえば良いだけのことだ。

 それに、この男の子の幽霊がミナト区の管轄かも分からない。

 しかし、目の前にいる彼を放っておいて良いのだろうか。

 じっと男の子の幽霊を見ながら考えに考えていると、男の子と目が合ってしまう。


「すばる、これ欲しいんだ!」

「え、えっと、すばる君って言うんだ。ウーパールーパーのぬいぐるみが欲しいの?」

「僕が分かるの!? お母さんも、お父さんも、僕が話しかけても分からなかったのに!」


 きらきらとした目、嬉しそうに声を張り上げるすばる君。

 これはもう、見なかったことにする訳にはいかない。


「すばる、病気で入院してたんだ。治ったらね、お父さんとお母さんがゲームセンターに連れて行ってくれるって。やっと元気になったのに、お母さんもお父さんも泣いてばかり。だから僕、ひとりでゲームセンターに来ちゃった。家出したこと、怒られちゃうかな」


 すばる君は、きっと病気で亡くなったのだろう。

 幽霊保護課で働いてから、いろいろな未練を抱える幽霊に出会ってきた。

 なかにはくだらないと思うような未練もあったのは事実だが、一人ひとりにとっては大切な思いであることには変わらない。

 大人の幽霊ばかり関わってきたが、子どもの幽霊となると余計に未練を断ち切ってあげたいと思ってしまう。


「お父さん、お母さん、来てくれるかな? それまで、お姉ちゃんに遊んでほしいな」


 不安げに私のスカートのすそを引っ張るすばる君。

 両親に自らの存在を分かってもらえなくて、きっと苦しい思いをしているだろう。


「お姉ちゃんと遊ぼ! これ、取ってあげるね。あんまりやったことないけど、取れるかな……」

「葵さん、何をぶつぶつ独り言言ってるんです?」


 振り返ると、社長が戻ってきていた。


「しゃ、社長! 今、この子が……」


 すばる君の方を見ながら話すが、社長は眉をひそめて首を傾げる。 


「誰もいませんが」

「ち、違うの。幽霊が……」


 社長は、さっと顔色を変える。


「まさか葵さん、幽霊可視機能をオンにしたまま帰られました?」


 ゆっくり頷くと、社長は目を細め、今まで聞いたことの無いような静かで低い声を出す。


「あれほど、気をつけるようにと言ったのに」


 その声のトーンがあまりに恐ろしく、私の知る社長ではなかったので、怖じ気づいてしまい、唇が震える。


「うあああああん! 顔の怖いさん、優しいお姉ちゃんをいじめないで!」


 すばる君は大声をあげて泣きじゃくるので、我に返り、彼の頭にそっと手をあてる。


「社長、ごめんなさい」

 

 直視できずに下を向いて謝ると、社長は頭を抱えて投げ捨てるように言う。


「業務用スマホは持ってます?」

「……うん」


 鞄から業務用スマホを取り出し、社長へ渡すと、彼はぶっきらぼうに言葉掛けをする。

 

「ダニエル、華菱です。幽霊可視機能をオンに。それから、休日出勤届も提出してください」

『カシコマリマシタ』


 社長は、すばる君の視線に合わせるようにしてしゃがみ込む。


「僕は鬼ではありません。世界一の美青年です。今から一瞬だけ世界一の美青年を誰かに譲ります。見ていてくださいね」


 私は社長の後ろにいたので、社長の顔が見れなかった。

 すばる君は、社長の顔を見るなりぴたりと泣き止み、天を仰ぐようにして酸欠になるんじゃないかというくらいの大笑いをしている。

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