第17話 不死の薬

 定時はとっくに過ぎ、帰り支度をする。


「今日、満月らしいデス」


 ジュディさんは、張りのある声をあげる。


「満月と言ったら、かぐや姫だよね。月には綺麗な女性がたくさんいるんだろうなぁ」

「白亜さんは、相変わらず女性好きですこと。かぐや姫といえば、謎の多い話ですよね。例えば、不老不死の薬とか」


 皆で雑談をしている最中、電話の音が鳴り響く。

 

「はい、こちらミナト区役所。……ええ、はい、……承知致しました」


 電話対応した白亜さんは、受話器を置くと、面白くて仕方がないとでもいうような表情をする。


「警察からの電話。トシマ区で不老不死の薬を研究する幽霊の出現だって。超タイムリーだ。明日は、ジュディが休みで俺が出張だから、葵ちゃんは麗と一緒に幽霊対応をよろしくね。俺は記録書くから皆は先帰って」


 白亜さんはシャットダウンしたばかりのパソコンを立ち上げる。


「と、トシマ区……。僕、明日休みで良かったデス……あ、いけない!」


 ジュディさんが慌てて自らの口元を手で抑えるのに対し、社長の表情はみるみるうちに般若はんにゃと化す。


なんて、頼りませんよ! 葵さんと2人で幽霊問題を解決させてみせますから!」

 

********************


 トシマ区・東池袋界隈ひがしいけぶくろかいわい

 映画館やゲームセンター、ショッピングモールなど商業施設の並ぶ賑やかな繁華街を通り過ぎると、閑静かんせいな住宅街が現れる。

 現場に乗り込む前、白亜さんの残した記録を再度確認する。



 YM01465番、富士ふし 輝夜かぐや(日本名・中国人)。


 66歳で死去。

 六本木のクラブにて、若者集団に混じってテキーラショットの一気飲みを繰り返し、急性アルコール中毒で死亡。


 9月15日、警察より電話連絡。

 1年前より、トシマ区内の彼女の住んでいたアパート周辺にて、時々異臭がするとの情報が入っていた。漢方薬関係の仕事をしていたこともあり、退職後も彼女は不老不死の薬の開発に執着していた。

 独居である彼女の死により、大家がアパートの荷物を撤去しようとしたところ、どこからともなく物が投げられ、作業の継続が困難だった。

 現場には、常にきつい臭いのする液体の入った鍋が煮立っているため、火災の不安も伴う。



 社長は記録を閉じると、嫌そうな顔をしながら、外回り用の鞄から長靴や軍手、サージカルマスクやゴーグル、シャワーキャップ、作業着などを取り出し、装備をする。

 すぐに特殊清掃でも行えるような格好だ。


「臭いがきついとか、勘弁してほしいです。全く、どうしてトシマ区にお住まいなのに死亡届をミナト区に提出してしまったのでしょう。髪や服に臭いが付いたらどうしてくれるんでしょうか。ほら、葵さんの分も持ってきたので、装備してください。僕と同じ様に、滑稽こっけいな格好に身を包むのです」


 意外だった。

 あんなにもヘアスタイルやファッションにこだわる社長が、文句を言いながらも身体を張って仕事に取り組むなんて。

 何だかんだで、彼は仕事人なのかもしれない。

 そんな社長を微笑ましく思いながら、社長とお揃いの格好になる。

 夫婦初のペアルックだ。


 覚悟を決め、軽くドアをノックしてから大家さんから受け取った鍵を差し込み、部屋に入る。


「お邪魔します」


 ドアを空けた瞬間、マスクをしているのにも関わらず異臭を感じる。

 鼻の奥を突き刺すようなツンとするなかに、甘ったるさが加わって、絶妙に不快な臭いだ。


 部屋奥から、人影が近付く。

 大胆に肩を出した紺色のオフショルダートップスに、プリーツ生地のクリーム色のミニスカート。

 案の定、膝から下は透けている。

 しわだらけの顔に、ピンク色に染めた髪や真紅のリップと濃すぎるオレンジ色のチーク、カラスの翼のようなつけまつげの破壊力が半端ない。

 彼女が、富士輝夜さんだろう。


「何よ、女の子の家に勝手に入ってくるなんて! この変態!」


 彼女はヒステリックな声で叫ぶ。


「驚かせてしまってごめんなさい。散歩をしていたら素敵な薫りを感じたので、こちらへいざなわれてしまいました」

「ふん。そういう割に、ふらっとそこらを歩いていたような格好に見えないけどね。あんた、日本人?」

「ええ、日本人です。僕達、美貌にこだわっており、こうして肌を紫外線から守っているのです。ところで、凄くお若いですね。何か秘策でも?」


 社長なら言いそうかもしれないと思ってしまう嘘だ。

 すっかり騙され、富士さんは上機嫌になっている。

 茶色の液体がなみなみに入った湯飲み茶碗を差し出される。


「日本人でも、分かる人には分かるんだねぇ。これを作って、毎日飲んでいるのよ。ここだけの話なんだけどね、不老不死の薬なの。ちょっと前まで漢方薬の仕事してたから、知識もバッチリ。この薬のおかげで20代の頃から見た目も変わっていないし、病気もしないのよ。私が死ぬなんて未来は考えられないわ!」


 化粧と服装の好みは20代のまま、というのが喉まででかかったのを必死に抑える。

 こんな状態の富士さんに、「あなたはもう死んでいる」なんて言っても絶対認めなさそう。

 それより、臭いが本当にきつい。

 社長は、かすれた声で彼女に問いかける。


「へぇぇ、不老不死ですかぁ。あなたはこれを作って、ずっと生きて、いったい何を成し遂げたいのですか?」

「この薬の成果を認められたい。そして、『美人過ぎる研究者』として雑誌にも取り上げられたいわ! でもね……。先週、これを研究所に持って行ったんだけど、興味を持ってくれるどころか、こちらを向いてもくれなくて。やっぱり日本人には漢方の魅力が分からないのね」


 言いたい。

 日本人だからとかいう問題ではなく、あなたがもう亡くなっていて、一般の方からは見えないからだ、と。


「もう動物での治験はとっくに終わっているの。後は人なんだけど。あ、あんた達で治験すればいいのね! 早速飲んで!」


 富士さんがこちらに湯飲み茶碗を渡してくるので、私達は本能的に首を振り、後退りする。

 

「お気持ちは嬉しいのですが……」

「あんた達も結局冷やかしだったのね! やっぱり、中国の漢方魂は中国人にしか分からない! 価値の分からない日本人なんて早く帰って帰って! これからは中国人しか家に入れてあげないんだから!」


 富士さんは大声をあげながら、辺りに散らかっている衣服や新聞を投げ、玄関に立てかけられたほうきを手に取り、大きく掃くようにして、私達を追い出す。

 

 富士さん宅から離れたところで、フル装備を解除する。 


「ああ……臭かった……。富士さん、強烈過ぎ」


 シャワーキャップでヘアスタイルが乱れ、顔にげっそりと縦線の入った社長が死にそうな声で呟く。


「悔しいですが、お手上げです。どうやら、かなり中国魂にこだわっている様で。《彼ら》を頼るしかなさそうです」

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