第11話 連続するショック

 女性の幽霊がついさっきまで立っていた場所を、穴が空くくらい凝視する。


「ね、見えたでしょ?」


 白亜さんはウィンクする。

 そういえば、白亜さんのメガネは私に渡されたメガネと一緒だ……。


「このメガネをかけると、現業員として登録された人だけが幽霊見えるようになるんですよ。貴女のデータは人事課で登録済みですので、見えたという訳です。最近は、職場から貸与された特殊スマホを操作するだけで見えるようにもなりましたが。あ、特殊スマホは後で渡しますね」

 

 社長は、手鏡を取り出して髪型に乱れがないかチェックしながら説明する。


「黒縁メガネだけだったのに、スマホも選べるようになったの、華菱サンのせいです」

「そうそう、繁忙期に華菱は黒縁メガネを取ったり、かけたりして『どちらの僕が頂点の美を飾るのでしょうか。突き詰めたい』なんて悩み始めて現場に行けなかった日があったっけ」

 

 2人が冷やかすような眼差しを華菱社長に向けると、社長は咳払いをし、話を変える。


「それはさておき、今の幽霊は、すごく単純ですよ。成仏させるのに何か月もかかった幽霊もたくさんいますから」


 いろいろ言われたけど、一体何が起きているの? 

 理解しきれないし、何だか気持ち悪くなってきた。

 くらくらするのは、疲れただけかな。

  

「死亡届が出されて、魂があの世に辿り着いていない場合は役所から幽霊宛てに通知が届くようになっててさ。それで俺達に成仏の手伝いをしてもらうために役所を訪れる幽霊もいるし、暴走してる幽霊を止めるのに現場に出かけに行くことも……って、葵ちゃん大丈夫?」


「オゥ、顔青い、大変です。横になる? 休憩室、連れてく?」


 白亜さんとジュディさんが心配そうにしており、華菱社長が私の背をさすっている。

 そのまま私は、意識を失っていく。


********************


 目を覚ます。

 見知らぬ白い天井に、レースの天蓋てんがい付きのベッド。 

 オレンジ色のランプがともされ、枕元のアロマストーンからは、ほのかにラベンダーの香りがする。


 ここは、どこだろう。

 実家から赤坂にある社長の家へ引っ越して来て、役所に行って……。

 そうか、ここは社長の家か。


「具合はいかがですか?」


 部屋のソファに座っていた社長が枕元に近づく。


「うん、今は……」

「それなら良かったです。いきなり倒れるのですから、心配しました」


 幽霊を見たら気を失って、そのときの様子を全く覚えていないけれど、物凄く迷惑をかけたのは確かだった。


「社長、ご迷惑かけたね。連れてきてくれてありがとう」


 社長は首を振る。


「最初は誰しも驚きます。僕もでした。少しずつ慣れていきましょうね。……怖かった、ですか?」

「怖いというよりは、信じられないというか。キャパオーバーってかんじかな……」

「それなら安心しました。細工をしない限りは、普段は幽霊など見えませんのでご安心を」

 

 それを聞き、一安心する。

 あんなの、ずっと見えてたら大変だ。

 むしろ、絶えず見えていたら慣れてくるのかな。


 ドアのノックされる音がする。 


「麗様、葵様の具合はいかがでござい……」

「権田原さん、少しだけお待ちください」


 社長はドアの向こうの「権田原さん」に声をかける。

 権田原さんって、試験の時やローズティーを運んでくれた時にドア越しにいた方だよね。


「権田原さんは、僕の執事です。彼、とても繊細で、裁縫が得意なんですよ。あの壁にかかっているクロススティッチの刺繍は、彼の作品です」


 社長に言われ、額に入った作品を見る。

 赤い屋根がかわいらしい屋敷に、溢れるばかりのピンク色の薔薇が咲き誇る庭は、英国の屋敷を思わせる。

 

 噂の執事さん……!

 わくわくしながら、社長に質問する。


「執事さんって、おじいちゃん? それとも、若めの方? 燕尾服えんびふく着てる!?」

「若いですよ。僕達より2つ年上です。ちなみに葵さんと僕は同い年です。ちなみにとても美しい方です」


 社長と私、同い年だったんだ。

 それはさておき、あの社長が美しいと認める方だなんて!

 きっと、色白で、すらりとしていて、物腰柔らかで、動作もきれいで、優雅にたたずむ執事さんなんだろうな。


 執事の妄想が自然と笑みに出てしまう私を見て、社長も笑顔になる。


「ちなみに、権田原さんにも幽霊保護課のことは内緒ですからね。権田原さん、入って大丈夫ですよ」


 ノックがされる。

 執事さんとの御対面ごたいめん、ちょっと緊張。


 入ってきたのは、私が想像していた彼とは180度違う人物。

 黒髪短髪に、やや太い眉毛。

 社長よりも背が高く、がっちりと広い肩幅、逆三角形の身体。

 黒い燕尾服から覗く、白いシャツは厚すぎる胸板に耐えきれず、爆発寸前でピクピクと動いている。


 ボディービルダーか、ボディーガードの間違いじゃないか。

 彼は、野太い声で自己紹介する。


「はじめまして、葵様。僕は権田原ごんだわら 源蔵げんぞう。お会いできて光栄でございマッスル」

 

 お会いできて光栄でございマッスル。

 光栄でございマッスル。

 マッスル。


 私の脳内で「マッスル」が、山びこのごとく、こだましている。

 私の描いた線の細い美男子執事は、ガラガラと音をたてて見事にくだかれ、消え去った。


 権田原さんは右手で私の手を取り、自らの心臓の位置にもう片方の手を当て、片足で跪く。

 この動きにより、ついにシャツと燕尾服は「この世の終わりだ」と悲鳴を上げた。


 バチブチブチブチブチブチ。 


 破け、弾ける衣服の欠片かけら

 露わになる、筋肉で盛り上がった両腕に、見事なまでのシックスパックの上半身。


「き、きゃあああああ!」


 慌てて目を覆う私に、恥ずかしがってカーテンの裏側に駆けていく権田原さん。

 

「権田原さん、燕尾服はゆとりのあるものを先日仕立て上げたばかりだと仰っていたではありませんか!」


「申し訳ございマッスル! 確かにゆとりはあったのでございマッスル……しかし……」


 社長はひらめいたように声を上げる。


「分かりました、また筋肉が増えて成長されたのですね! なんて洗練された肉体美なんでしょう……。まるで、ショコラティエにテンパリングされた板チョコのようにつややかで……嗚呼ああうるわしい……」


 社長はポケットから絹のハンカチを取り出し、真珠のような涙を零す。

 そんなシックスパック型のチョコ、食べたくないよ!


 ああ、今日は衝撃しかない。

 私は、サテン生地の枕カバーに泣きそうな顔をうずめる。

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