第9話 契約書

 先生が帰った後、華菱社長はお父さんとお母さんの方へ歩み寄る。


「ご挨拶が遅くなりました。僕は棺コーディネート華菱の華菱 麗です。このたびは、お気持ちを落とさないでください」


 丁寧にお辞儀をし、2人に名刺を渡す。


「ああ、漆原です。葵の受けた就職先の社長様ですね。こんなところにまで、わざわざいらっしゃってくださり、ありがとうございます」


 両親は、会釈えしゃくする。


「今回、葵さんを我が社の社員として採用させていただこうと思っております。そして、婚約の申し込みをさせていただきました」


 にっこりと笑う社長に、両親は大きく目を見開き、開いた口が塞がらない。


「あ、あ、葵……。何があったの! ……あら、すっぴんじゃない!彼の前ですっぴんを見せたの!?」


 お母さんは私の両肩を掴んでぐらぐらと揺する。


「う、うん」

「ええ、僕達は出会って間もないですが、全てをさらけ出し、互いを受け入れ合った深い仲なのです」


 一瞬、気まずい沈黙に包まれる。


「葵ったら……。一晩で情熱的な恋愛を……」   

「あらあら、ハンサムなお兄さんには決まってお相手がいるものだよ。仕方ないねぇ」


 頬に両手を当てるお母さんに、謎に残念そうにするおばあちゃん。 

 頬が赤く染まるのをごまかすように、慌てて言い返す。


「社長、私の家族に誤解を与えるような言い方をしないで!」 

「だって、事実ですから」


 社長はどこ吹く風だ。


「いきなりでご両親は驚かれると思ったのですが、早いうちにご報告するべきかと思い増して……。必ず、僕達2人で幸せになります」

 

 深々とお辞儀をする社長に、お父さんとお母さんはマッハで首を振りまくる。


「とんでもないです! むしろうちの葵を気に入ってくださって本当に本当に感謝します! お仕事だけでなくて、こんなご縁があるなんて……」

「ああ、幸せすぎて怖いわ! 待って、結婚詐欺ではないかしら!」 


 頭が上がらないお父さんに、本人を前にして動転しすぎて結婚詐欺などと口にしてしまうお母さん。


「もう、2人とも落ち着いて。お母さん、結婚詐欺は失礼すぎ」


 注意する私を見て、華菱社長は上品そうに声を上げて笑う。


「いいんですよ。僕は葵さんの飾らない、素直なお人柄に強く惹かれましたので。どうぞよろしくお願い致します」

「こちらこそ、葵のことをよろしくお願い致します!」


 お父さん、お母さん、おばあちゃんは神に感謝でもしそうな勢いで手を合わせて深く頭を下げる。 

 社長は、私の家族の前ではナルシストの要素を微塵みじんにも出さず、見事なまでの好青年として振る舞った。

 漆原家では、救世主メシアごとく華菱社長から後光ごこうが射している様に見えたに違いない。


********************


 実家から最低限の荷物を運び、再び赤坂にやってきた。

 赤坂駅で華菱社長が外車で出迎えてくれる。  

 社長のチョイスだと一発で分かる、赤いオープンカーだ。


「社長、お迎えありがとう」

「長旅お疲れ様です。では、家へ向かいましょうかね」


 しばらく走ると、棺コーディネート華菱の近くの敷地に車を停める。

 そこは色とりどりの薔薇が咲き乱れるローズガーデンとなっていた。


「すごい、薔薇がたくさん……!」

「素敵なローズガーデンでしょう。屋敷もなかなかです」


 敷地内には、水色の三角の屋根がいくつもある、まるでテーマパークのお城のような洋館が佇んでいて、テンションが爆上がりだ。


「かわいい! シンデレラの王子様のお城みたい」

「だって僕が王子様の様な美男子ですから」 


 社長があまりにも真顔で言うものだから、笑っていいのかよくないのやら。

 

 リビングに通されると、ドアがノックされる。

「麗様、お二人分のティーセットが御用意でき……」

 社長は、すかさず立ち上がってドアの方へ行く。

「ありがとうございます、権田原ごんだわらさん。そのまま受け取りますね」


 ピンク色の薔薇のつぼみの入ったティーカップにポット、ショートブレッドをテーブルへと置く。


「くつろいでいてくださいね、お茶とお菓子も召し上がれ。今から契約書を持ってきます」 

「ありがとう」


 ポットからティーカップへと紅茶を注ぐと、華やかな香りが広がる。

 薔薇の紅茶だ。

 ショートブレッドも、焼きたてで口に入れるとほろりと崩れる。


 屋敷内のリビングには、ベルベット生地のワインレッド色のソファーに、白い大理石だいりせきのテーブル。

 熱帯魚が泳ぐ水槽すいそうが壁に埋め込まれている。

 ああ、本当に、社長様のお家ってかんじ。

 きょろきょろするのは失礼だとは思っていても、つい見てしまう。


 ドアがノックされる。


「お待たせしました。こちらが契約書になります。先に、契約結婚の方から」


 社長からA4サイズの紙が数枚束ねられた契約書を受け取る。

 契約結婚の契約書まで作っているなんて、抜かりがない。

 

 私、文字がびっしり書いてあるもの、苦手なんだよね。

 えーと、甲……乙……。

 どっちが社長で、私なんだろう。

 まぁ、不利益なことはきっと書いてないよね。

 スマホのアプリのダウンロードとかするときも、最後まで一字一句読むわけないものね。

 でも、きちんと読むべきか……。

 

 そんな私の様子を察して、社長は助け船を出す。


「一言で申しますと、契約婚約の期間は一年。話し合いの結果、双方が結婚生活を続けるのが著しく難しい場合のみ、婚約破棄とするといった内容です。契約上でも、婚約という形ですので異性関係のトラブルは以ての外です。婚約終了後、一年後は正式に籍を入れて夫婦となります。よろしいですか?」 


 とてもシンプルで分かりやすい説明、ありがたい!

 迷わずサインする。


 社長は、仕事の契約書を渡す。

 こちらは、A4サイズの紙が束になっており、なんと一センチ程の厚さがある。


「し、社長……」

 

 社長を上目遣いで見て、解説を求める。

 彼は、一息吸った後にマシンガントークで説明を始める。


「あなたは棺コーディネート華菱にて蒔絵師の仕事をしていただきます。依頼のあった方のお話を伺い、お気に召すような蒔絵を棺に施す作業です。また、棺コーディネート華菱では公務との兼業も行っております。本来公務で働く際の兼業は認められないのですが、こちらで現業員げんぎょういんとして働く分には例外となります。法定受託事務ほうていじゅたくじむになりまして、日本国憲法第2x条に規定する理念に基づき、全ての……」


 げんぎょーいん?

 ほーてじゅたく?

 途中から何言われてるのか分からなくなってきて、右から左へと社長の言葉が通り抜けていく。


「つまり、世の秩序ちつじょを守るための仕事です。大きな社会貢献です。サインして頂けますよね?」


 有無を言わせない圧をかけて社長はにっこりと笑う。


 なんかよく分からないけど、世の為になるなら、それ以上のことはないよね!

 それにしても、蒔絵師としての仕事が社会貢献とは、深い。


 私はよく考えずに、契約書にサインをする。


「では、契約成立ですね。早速、区役所にとどけを提出しに行きましょうか」


 社長は満足げに頷き、腰を上げる。


 区役所?

 そうか、転入届だ!

 14日以内に手続きしないと行けないんだった。


 新しい仕事に、契約だけれども社長である婚約者もゲット。

 オープンカーに、ローズガーデン、お城のような素敵な豪邸に、執事さん。

 都内生活の出だしは、恐ろしいくらいに順調過ぎる。

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