第8話 故人に口なし

 自分の顔が青ざめていくのが分かる。


「お、おばあちゃんが危篤きとく?」


 おばあちゃんとは、お母さん側の祖母だ。

 実は有名な蒔絵師で、おばあちゃんのところに弟子入りしたのがお父さんだ。 

 そこから、お父さんとお母さんは結婚したという縁がある。

 今年98歳で、寝たきりになっており、苦しくて会話もまともに出来なくなっていた。


 電話越しの母も慌てふためいている。 

 

『葵が今、試験中なのは分かってるけど、戻ってくる頃にはもうだめかもしれないと思って。今、家にお医者さんに来てもらっているわ』

「そんな……」


 胸が苦しくなる。


『葵、おばあちゃんっ子だったものね。いつもおばあちゃんの後を追っていたもの』   

 

 いつかは誰もが亡くなる。

 分かってはいるけど、いざ目の前のこととなると悲しくて張り裂けそうになる。


最期さいご、おばあちゃんに声を聞かせてあげて』


 お母さんがおばあちゃんにスマホを渡している。


『葵ちゃん、おばあちゃんはね、分かるんだよ。やっと、おじいさんが迎えに来るんだって』

「そんなこと言わないでよ!」

『おばあちゃんの唯一の後悔はね、葵のウェディングドレス姿を見られなかったこと。死にきれないで、幽霊になって化けて出そうだわ……ゴホッ……ゴホッ……』

「大丈夫?! そんなに話しちゃ身体に負担が!」


 バタン、とスマホが落ちる音がする。


『葵、こんな状態なの。多分間に合わないかもしれないけど、早めに帰ってきてあげて。じゃあね』


「おばぁ様の御名前は?」

 通話を終えると、社長はこのタイミングで妙な質問をする。


「おばあちゃんは、漆原うるしばら 菊代きくよ


 社長は、カタカタとパソコンを叩くと、緊迫した声を張り上げる。


「すぐに戻られる準備をなさってください!貴女を送ります。10分後には出発しますからね!」

 社長は慌てて扉の外へ出て行く。

 

 最寄りの赤坂駅まで送ってくれるのだろうか。

 現在、午後2時33分。

 私も、新幹線か飛行機の時間を確認しないと!

 早く到着する方で行こう。

 片手で荷物をまとめつつ、空いている手で乗り換え案内アプリで検索する。


 新幹線だと、赤坂駅から東京駅まで約15分、午後3時24分の新幹線に乗るとして。 

東京駅から金沢駅だと約3時間だから、到着すると午後6時30分で、市内にある家に着くのは何だかんだで午後8時前……。

 飛行機だと羽田空港から小松空港間で1時間だけど、そもそも今から予約すると18時15分しか空きがないから、電車で行くのと変わらないか……。


 社長がドアを勢いよく開ける。


「用意できましたよ、では行きましょう」

「送ってくれるの? ありがとう」


 棺コーディネート華菱のオフィスを出ると、彼は駅とは反対方向に進む。

 実はこっちの方が近道なのかな?

 社長は、棺コーディネート華菱の隣にある、大きなホテルに入っていく。

 ホテル美詩南葉びしなは・スカイガーデンラウンジ入口。


「社長! 駅に向かうんじゃないの!?」

「館内ではお静かに」


 ぴしゃりと言われてしまう。

 迷路のように広い建物内のエレベーターを乗り継ぎ、エレベーターは最上階に止まる。

 最上階から、屋上へと出ると、信じられない光景が目に入る。


 ヘリコプターが、屋上に!


「ヘリコプターで羽田空港まで約20分、小松空港までプライベートジェットで約1時間。そこからタクシーを走らせれば、午後5時前にはご自宅に到着できるでしょう」


 屋上からの風を受け、社長は髪が乱れないように手で抑えている。


「え、まさか、社長が家まで送ってくれるの!?」

「ええ、お婆様や親御さんにご挨拶する必要もありますので」


 当たり前でしょう、といった表情で彼は何事もなかったようにヘリコプターに乗り込むので、私も慌てて後を追う。


********************


 午後4時40分、自宅に到着。

 おばあちゃんの部屋に向かうと、お母さん、お父さん、白髪交じりの白衣の年配の男性がベットを囲むようにしてすすり泣いている。


「ただいま、おばあちゃんは……」


 お母さんはハンカチで顔を覆い、ただただ嗚咽を上げている。

 そんなお母さんの背を、お父さんはさすっている。


「お母さん、お父さん、あのね」

 私の声掛けですら、彼らは気が付かないほど悲しみに飲み込まれている。


「葵ちゃん、早かったですね。しかし、菊代さんはたった今、息を引き取られました。あと15分、早ければ……」

 消え入りそうな声で話す男性は、かかりつけの病院の医師だ。


 私達漆原家は、病気にかかると決まってこの先生にお世話になっている。

 あと15分……。

 本来なら夕方に到着できるはずがなかったが、もう少しで死に際に顔を見せられたかと思った途端、急に悲しみが込み上げてきた。


「最初で最後の終楽章フィナーレを周りの人が嘆いていては、故人も悲しみます」


 重く、憂いが満ちる空間をぶち壊したのは、華菱社長だ。

 お父さん、お母さんは顔を上げる。


「高貴な貴女にふさわしい素敵な最期を、僕がお手伝いさせていただきます」

 彼は、おばあちゃんの顔を優しい眼差しで見つめる。


 社長は、持ってきた大きなボストンバッグを広げる。

「葵さんは、玄関に置いた包みを持ってきてください」

「うん」


 社長に言われた通り、丁寧に白い布で包まれたものを運ぶ。

 これは、おばあちゃんの万が一のときを想定し、彼が用意してくれた棺だ。


「ありがとうございます。では、布を取ってください」

 黒い棺を埋めるように、レモン色や、桃色の菊の蒔絵が施されている。

 彼は空の棺に、ボストンバッグから取り出したケースに入れられた淡い色の菊や牡丹ぼたん、ダリアのブリザードフラワーを入れていく。

 お母さんもお父さんも先生も、彼が誰なのかを質問も出来ないほどに、華菱社長の動作に見入っている。


 華菱社長は、亡くなったおばあちゃんの枕もとでささやく。

「困りましたね。ドレスも着物も、お似合いになりますもの」


 彼はおばあちゃんをしばらく見つめ、別のボストンバッグをのぞき込む。

「選びきれませんが、こちらにしましょうかね。上品さの溢れる貴女には、こちらがお似合いになるかと」


 ややクリーム色の掛かった布生地に、白と薄紫うすむらさきのクレマチスの刺繍がなされた着物に、うぐいす色の帯を選び、おばあちゃんに見せるようにする。

「ああ、やっぱり、こちらのお着物にして正解でした」


 一通りの棺コーディネートが終了すると、社長ははかなげな表情をする。

「僕はこのコーディネートに全力を尽くさせていただきましたが、貴女が満足なのかは知るよしもない。そこだけが残念です」


 彼が憂い気におばあちゃんに話しかけると、わずかにおばあちゃんの唇が動く。

「あれ、まさか……」

 先生が慌てて脈を取り、聴診器を鎖骨に当てる。

「脈が……戻った!」


 お母さんもお父さんも、私も、まさかとは思いながらおばあちゃんを見つめる。

 おばあちゃんは、ゆっくりと目を開き、口を動かす。


「ごめんねぇ、おじいさん。ハンサムなお兄さんに惹かれてしまったよ」


 私達家族は、おばあちゃんにわっと泣きつく。


********************


 漆原家が歓喜の声を上げるなか、華菱社長は密かに外に出て、自らのスマホで電話をかける。


「こちら、ミナト区役所幽霊保護課黄泉送致係の華菱です。幽霊候補となる迷える魂を無事、保護致しました」



※普段は詰めている行間を空けてみました。 

読みにくい、読みやすいなどを教えて頂ければ幸いですm(_ _)m

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